エリトリア 未開の大地への鉄道の旅 Part1 旅立ち

9月24日 第1日目

① 自宅 5:40→長岡天神 5:57(阪急)→南茨木(大阪モノレール)→大阪空港
② 伊丹 8:20(JL3002)→ 9:40 成田 12:15(JL407)→17:20 フランクフルト

芭石鉄道で知り会い”春から夏への中国鉄路の旅”でご一緒させていただいたW大鉄研OBのO氏から次回もご一緒しましょうとお誘いを受けていました。煙が見えてドラフトが聞こえれば、いつでもどこへでも参りますよと気軽に返事しておりましたら早速、9月にエリトリアへ行くことに決めましたが、ご都合はいかがですかと具体的なお誘いが参りました。

エリトリア”・・・??? 聞いたことがありません。一体どこにあるのかとネットで見て、初めて国境紛争や内戦が最近多いアフリカと知りました。場所は、外務省のHPはこちら

これは問題がある。慎重に検討しなければならない、ドイツからでるツアーで費用も中国鉄路にちょっと行く程度の数倍もかかるので即決はできませんでした。

春から夏への中国鉄路の旅から帰国後すぐに中国に連れてってと療養中だったT先輩からの要望も来ておりましたので、それからゆっくりと検討しようかと思っていました。S先輩も一緒に京濾高速鉄路開通直前の上海へとお招きしまし帰国後、O氏より危険な場所は避けての行動をしますので安全ですとの連絡が入りました。行くにあったっては、”人間いつかは死ぬんだ、運命は決まっている。”との悟りの世界に入りましての決断となりました。

そしてO氏がご夫婦で行かれますので、どうせなら生きるも死ぬも一緒だと、長年連れ添ったワイフも一緒に連れて行くことにしました。 今回は今までとは違っての旅になりましたが、ワイフはまだ勤めていますので勤務先からの許可を取るのに手間どいました。

日本からの参加者は、O氏のご友人N氏を入れての5名です。ドイツからのツアーが出る前日の9月26日にミュンヘンに現地集合することで決まりました。
出発は9月24日。伊丹から成由で乗り換えてフランクフルへと向かいました。
  Part2  へ続く

エリトリア 未開の大地への鉄道の旅 Part1 旅立ち」への2件のフィードバック

  1. エリトリアは旧イタリアの植民地で、イタリアの例えばサルディーニャ島に異常に?発達した軌間950mmの軽便と同じ規格、車輌が導入されました。手元にThe Railway Touring Company という、英国の「世界鉄道めぐり」専門ツーリストのパンフ2006年版がありますが、まさしく小生がサルディーニャで見たプラダ製蒸気機関車や木製客車、石積み眼鏡橋等の写真が掲載されています。
    一旦鉄道を廃止していたのですが、欧米観光客目当てに復活したんだそうで、写真からはてっきり、サルディーニャの車輌やレールを購入して敷き直したのか、と思いましたが、最初からサルディーニャと同じ規格の鉄道だったわけで、車輌も残存していたようです。
    ちなみにこの英国業者によるツアーは、世界各地で蒸機列車をチャーターし、フォトランや、景勝地での停車撮影が組み込まれており、1906年10月31日ロンドン・ヒースロー空港14時発、6日帰着で1人1,745ポンド。これには7夜のホテル宿泊、毎日3回の食事、乗り物料金が含まれている、とあります。シングルルーム追加料金は185ポンド。
    ついでに記せば、このツーリストは偶然インターネットで見つけ、メールを打ったら、無償で毎年パンフを送ってくれました。ところが同じ鉄筋長屋内で転居し、期限が切れて郵便局が転送してくれず、それっきりになりました。今でも同じアドレスかどうかは確認していませんが、www.railwaytouring.co.uk でした。

  2. 湯口大先輩様、コメントをいただきましてありがとうございました。
    先ほどようやくインターネットができるミュンヘンに無事に戻ってまいりました。ミュンヘンは、世界最大のビール祭り「オクトバフェスト」(9月16日~10月3日)の最中で、大変な賑わいです。
    エリトリアの鉄道につきましては、これからゆっくりとレポートを投稿させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

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