エリトリア2011年 未開の大地への鉄道の旅 Part16  希望へのエリトリア鉄道の今は その7

第7日目 9月30日 その1

①  マッサワ5:30(Bus)→6:15 アーチ橋7:15(列車)→9:20
マイ・アタル
② 
マイ・アタル(列車)10:44→13:02ダマス14:00→15:43バレサ
③ バレサ16:12(列車)→17:53ギンダ
(Bus)18:00→19:30アスマラ

今日は、早朝5時のレストラン集合で、朝食後の5時30分過ぎにはバスに乗って、まだ真っ暗な夜明け前のマッサワを出発しました。

▲ ようやく明るくなった6:15、昨日夕方に最後の撮影をしたアーチ橋に到着しました。道路にはコンクリート橋が架けられて大型トラックも往来しますが、庶民の足は、ロバが牽く荷車です。
乾いた河川は住民の通行路でもあります。撮っている間にいくつもの往来がありました。


▲ エリトリア鉄道のマッサワ側のハイライトは、石で組まれた頑丈な最長のアーチ橋です。木の名前が分からないのですが、この木の下には長い針を付けた”まきびし”が落ちていました。靴で踏むと、ぐさりと靴底を貫いて足裏を刺します。足元に気をつけて歩きました。
約一時間の撮影タイムが終わると、昨夕同様にまた貨車に乗り換えました。


▲ 貨車内には、お湯を沸かす「かんてき」、大量のミネラルウオータ、コーラと冷やす氷も積込まれています。そして、現地人の若い21歳と25歳のアテンダントさんも乗車されて、車内は華やかになりました。この氷は、火照った身体を冷やすのに役立ち、アテンダントさんに何度もお願いして、アイスピックで氷を砕いていただきました。


▲ 線路際に昨日とは違っての難民部落が出現しました。手をふったり、走ったりの大勢の元気な子供たちがいます。家と言うより小屋やテントの様子からかなり長期間の難民生活がうかがえました。


▲ 8:20、それまで並走していたR1号線とは分かれて、灼熱乾燥地獄の荒野に入っていきました。一旦停車して、1カットの撮影です。標高はまだ海抜66mです。

8:28、再び乗り込み荒野を行きます。途中、破壊された駅舎がありました。マッサワから19.6キロのドガリ駅跡です。


9:20、先で客車を連結すると言われていたマイ・アタル駅に到着しました。マッサワから29.4キロ、海抜181m、荒野の真ん中の駅で、周囲に人家は全くありません。交換駅だったのでしょうね。ここまで来ますとマッサワとは違って、べったりした不快な高温の塩風はなくなりましたが、気温はどんどん上がっていきます。
ここで貨車から搭載物の移動です。側線には、無数の貨車が放置されていました。撮影地点はこちらです。


▲ 機回しが行われました。オープンデッキの客車ですので最後尾を望みましたが、残念ながら機関車の次の連結でした。

▲ 次は、機関車への石炭補充です。ズタ袋に入れた石炭を貨車から機関車まで運んで積みます。水は、タンクローリー車が待機していて、ホースで給水します。独立戦争前は給水設備もあって困らなかったのですが、破壊されて給水車が必要になりました。給水と石炭運びは停車する度に行われましたが、とにかく多くの人手のいる作業を人力作戦で、行っていました。この列車を走らせるために、一体何人の現地の人々がたずさわっているのでしょうか。

約1時間20分の停車の後、ようやくアスマラ方向に向けて出発しました。
 Part17  へ続く

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