昭和44年10月31日 営業最終日の午後
当日は、午前に前記のように近江今津まで往復、午後からは、同志社北小松学舎でのDRFC江若お別れ合宿が始まります。いったん京都へ戻り、BOXで集合のあと、ヘッドマークを携え、合宿参加者22名とともに、再び江若を目指しました。
▲三井寺下機関区長の手でヘッドマークがキハ51に取り付けられる
14時に三井寺車庫に到着、構内に置かれた車輌は、ほとんどがモールで飾られている。まず機関区長にあいさつ、さっそくヘッドマークのことを切り出した。何の抵抗もなく、あっさり快諾していただき、夕方の初発となる浜大津15時35分発の15列車に付けてもらうことになった。それ以降に発車する後続の列車には優先的に会社製作のヘッドマークが取り付けられたため、たまたま初発の列車には何の装飾も無かった。会員の見守るなか、機関区長の手でがっちりキハ51にDRFCのヘッドマークが取り付けられた。浜大津から、この15列車に全員で乗車する。各駅ホームで待ち受ける乗客・駅員の眼は一様にヘッドマークに注がれ、運転室後部に陣取った我々は、してやったりの笑顔がこぼれる。列車は16時13分に北小松に到着、陽も山の向こうに落ち、暮色のなかでの交換を見送って学舎へ向かった。
▲北小松で交換したキハ11+ハフ2の20列車
夕食後、本日のメインイベント、北小松駅での送別式典が執り行われた。まず、浜大津行きの最終となる、20時59分発26列車の到着を全員の拍手で迎える。T中さんのマイクから江若廃止のアナウンスがホームに響く。そして、運転士、車掌の皆さんに、当会特製の江若アルバムを贈呈した。この列車は、北小松で増結作業があり、その作業が手間取って、発車するものと思って全員で拍手すると、全く動く様子もなく、間の抜けた出発式となったが、なんとか無事に26列車を送り出した。つぎの近江今津行きの最終まで1時間余りがあり、その間、会長のS井さんから、北小松駅員の3名にパネル写真を贈呈し、長年の労をねぎらう。そしていよいよ22時過ぎ、営業最終列車となる25列車がキハ51+ハフ8で到着、盛大な拍手で出迎える。この時になって急にT中さんのマイクが故障、急遽、声のバカでかいことでは右に出るものはないS田さんが地声を張り上げ、車内から好奇の目を集める。この列車でも運転士・車掌にアルバムを贈呈する。そして、22時03分、我々の”次はしらひげ~”の連呼のなか、列車は近江今津へ向けて最後の旅路についた。
その後、狂い出したT田さんら数人は、クルマに飛び乗り、深夜の国道をブッ飛ばして25列車を追い抜き、踏切で25列車に向かって”バンザイ”を叫んだと言う。これを聞いた付近の人たちは恐怖におののき、寝巻き姿の人まで飛び出し、付近は一時騒乱状態になったと言う。つくづく、バンザイの好きな会であった。
▲夜の北小松駅で増結を待つキハ21、江若最後の夜だった