気がつくと、すっかり涼しくなりました。当方、暑い期間は想定外の業務が飛び込み、掲示板では全く役立たずの状態が続いていました。ようやく落ち着きましたので、復帰することにします。
まずは、ユースシリーズから参りましょう。
前回からの東北の続きとして、今回は、向山駅近くのグリーンユースを紹介します。向山と言っても、ピンと来ない駅ですが、東北本線は、三沢のひとつ下り方にある小駅で、今では青い森鉄道の駅になっています。このユースは、当会のI原さんから”ぜひ泊まれ”と勧められたことが発端だったように思います。その勧めた真意はついぞ聞き漏らしましたが、駅からすぐ近くの牧場の横に建つユースは、冬期とあって宿泊客も少なく、居心地のいいユースだった印象が残っています。寝ている最中に強い地震があり、飛び起きたことも覚えています。付近に観光地もなく、その後は廃止されたと思っていたら、名前を改めて今でも営業中と分かりました。
このユースに泊まった目的は、八戸線の撮影と、南部縦貫鉄道の撮影でしたが…。
▲青森駅でステーションホテルをして、早朝の八戸に着いた。東北本線から八戸線を分岐するこの駅は、訪問の前年、昭和46年4月に尻内から八戸に改称されたばかりで、それまでは、現在の本八戸が八戸と称していた。尻内と言えば、東北本線蒸機時代、勾配区間の補助機関車の基地として名を馳せていた。〔尻〕の区名板が、その役割にうまくはまっていた。八戸改め本八戸まで行き、跨線橋を渡ると、ちょうどC58の牽く八戸線の貨物列車が発車したところだった。踏切が開くと、寒そうに白い息を吐いた人々が通り過ぎて行った。
▲八戸線では、C58の牽く客車列車が朝に1往復設定されていた。一戸発1627列車と野辺地発534列車が八戸で併結されて鮫まで行く列車で、鮫ですぐ折り返し、C58のバック運転で、八戸へ戻る運用だった。東北本線から乗り換えなしで本八戸、鮫への通勤・通学輸送を目的とした設定のようだが、東北本線が第三セクター化された後も、なぜか一戸発鮫行き列車がそのまま残っていた。IGR、青い森、JRと、3社にまたがる珍しい列車だった。本八戸で降りて、近くの馬淵川鉄橋で、この客レを迎える。晴れてはいるが、とにかく風邪がきつかったことだけは覚えている。
▲本八戸で撮影したのち、終点の久慈まで向かうと、途中から雪模様になった。乗った631Dは、キハ17270+キハ17253+キハ17250の3連、あの蛙の腹のようなビニールシートは冬にはこたえた。この頃のローカル線気動車は、多形式の混結が常であったが、八戸線は、一部にキハ22が使われていたものの、あとは見事なくらいにキハ17に統一されていた。これはこれで編成美があった。
▲種市での到着風景、乗り込む老婦人の見事なまでの同一ファッションには驚く。他の地域ではまず見られない、東北ならではの光景だ。この時代、旅行していると、生活、文化、経済すべてに渡って、東北は後進地域だと実感できるシーンがよく見られた。他ではもう見られなかった、板垣退助の百円札が堂々と通用していたのも東北だった(もっとも、東京でも上野駅だけは百円札が使われていたのには、さすがと思ったものだ)。
▲いっぽう貨物列車は、八戸区のC58でかなりの本数が設定されていた。陸奥湊で降りて、近くの新井田川鉄橋で待ち構える。河口に近い、この付近にも東日本大震災の際には、津波が押し寄せたが、橋梁流失までには至らなかった。ただ、種市以南は鉄橋流失などにより現在も不通で、再開は来年度以降とアナウンスされている。
見事に揃った種市の老婦人のファンション。老婦人と言っても多分今の私達より若いご婦人方だと思いますよ。最初見た時は湯口先輩の写真かなと思いました。種市と言ってもピンと来ません。八戸線は乗ったことがないからです。実は先月青森に行った時に新庄から余目まわりで行きましたが、陸羽西線と羽越線余目~秋田間も始めての乗車でした。尻内機関区所属のD51は撮影しておりますが、最近名前聞かんなと思っていましたが、新青森開業前までの東北新幹線の終着駅八戸が尻内だったのですね。それも昭和46年に名前が変更されていたのですね。確かに古い時刻表を見たらそうなってました。勉強になりました。今度八戸線の撮影に行こうかなと思います。海を大きく入れて撮れる所はどこですかね。
準特急様
いつもコメント、ありがとうございます。
そうですね、種市で写っている老婦人は、今の私よりは若い世代でしょうね。その時は、ホントに年寄りと感じたものでしたが、今の大学生が我々を見ると、同じような感慨を持つのでしょうね。今日、たまたま母校近くの地下鉄駅へ行って、多くの学生に囲まれた時、ふと思いました。
さて、八戸線も狙っておられるとのこと、地図で見ると海岸沿いを走っていますが、実際は、ほとんどが海岸線からやや離れたところを走っています。大きく入れて撮れる場所はないように思います。そのため、津波の被害も他線区よりは最小限に食い止められたようです。
総本家青信号 特派員様
DRFCクローバー会名物の写真展が近づいて来ましたが、まだロクな写真撮ってません。海が好きなのでお聞きしましたが、八戸線も難しそうなので大人の休日クラブを利用して大湊線あたりにしようかなとも思っております。種市の御老人を撮られた時代は今より平均寿命がもっと短い時代であり、あのように元気で汽車に乗れるのはせいぜい50代までではないかと勝手に思ったからです。逆に今は平均寿命がのびて、それはそれでいいことですが、私が2~3日おきに行ってますアスレチッククラブやスーパーは老人がうじゃうじゃ居ります。私も紛れもなくその一人ですが。