文の冒頭にあるCMソングは聞き覚えがあるよな気がしますが、この電車は全く知りません。
説明を読んで疑問がいくつもわいてきます。
まず、冷房のシステムについてです。クハ2801で冷気を起こしてフードで2001へ送るとか、勾配を使って冷気を分配するとか、全く想像がつきません。さらに難波―和歌山を蒸気機関車で運行したとか、どうなっているのでしょうか?南海本線は完全電化でしょう?
どなたか、戦後生まれの若輩者にわかりやすく教えて下さい。
昭和20年3月14日、B29の大編隊が大阪を襲いました。今は亡き両親から何回となく聞かされた話の出だしです。
当時、両親は千日前にあった大劇のまえで写真館を開いていました。昼頃から始まった空襲は悲惨を極め、大劇の地下に逃げ込んだ両親は逃げ遅れて最後に地上に出たときは、すでに難波と千日前を結ぶ通りは炎のトンネルとなっていたそうです。何分かに一回、風が起きてトンネルの炎が上へ開くときがあるのに気づき、日本一(日本橋一丁目)の交差点へ出たときにはこの世のものとは思えない光景だったそうです。高島屋の前の石畳には亀の甲に似た焼夷弾が不発のまま突き刺さり、市電が何台も堺筋に並んで止まっていて、そのほとんどが骨組みだけになり、まだ燃えているものもたくさんあったそうです。父は、そこに落ちていた自転車を拾って母を後ろに乗せて祖母のいる八尾を目指したと言っていました。
今日の画を拝見して、両親からの話を改めて思い出しました。
※今回は、投稿者の手落ちで、保存に不備があり色が悪いことをお詫び申し上げます。
お久しぶりの投稿です。
4月8日早朝、今までに経験の無い腹部の激痛に見舞われ近くの病院に駆け込みました。当直医しかいないので、鎮痛剤を点滴されて昼過ぎには恢復しました。経過観察入院を勧められましたが断り退院して家へ帰りましたが、今度は胸が痛くなり出し翌朝再び病院へ向かいました。診察の結果急性の胆嚢炎と診察され、救急車での搬送といわれました。緊急手術を受けて十日間の入院となってしまったのです。甲斐あって昨日退院してきました。その間、9日は休刊日でこの記事はありませんでしたが16日の記事を今日アップすることになり、申し訳なく思っております。
さて、今回は見た瞬間に西村さんの江若と見まごうばかりのそっくりさん、解説を読むと京阪からの車両とは別物とのことですがなにやら曰くのありそうな面構えですね。担当は藤本さんでしょうか、長老様でしょうか、それとも湯口先輩でしょうか、よろしくお願い致します。
今日は14日開業の京都水族館の完成祝賀会でした。
町内に住んでいるからか招待を頂いたので見に行きました。じつは先日から年間パスポートの販売ですごい行列ができていたので開業からしばらくはひどい人気だろうと敬遠していましたが、ご招待なら楽々見られると喜んで行きました。というのはイルカのショーを見るスタンドから東海道線が見えるとの情報があったからです。
ご覧の通りスタンドから見るプールは彼方に東寺の塔、山陰線の221系、新幹線の700系、ここには写っていませんが梅小路のD51200の引く展示列車が一望です。来賓の前原誠司さんが「ここは最高ですね、新幹線のN700と在来線の国鉄塗色がイルカと一緒に見られます。全国のテッチャン300万人の入場も見込めます」とのリップサービスで会場を沸かせていました。そのほか、京都市長の門川大作さん(演歌歌手ではない)は「27年度にはここに日本最大の鉄道博物館ができる」と言っていました。これを楽しみにしています。予断ですが写真に写っている頭は、左から門川市長、右隣が山田府知事です。