南海のロクサン

モハ63は諸先輩の思い出の中で生き続けていたことがわかりました。たしかに人生と重なる電車でした。今回はtsurukameさんの山陽のロクサンと同じように南海へ売られていったロクサンの話です。ただ読んでみると貧しかった戦後の子供達とおなじようなロクサンの中でちょっと裕福感のあるロクサンです。

土佐電鉄クハニ2000

お久しぶりの投稿です。

4月8日早朝、今までに経験の無い腹部の激痛に見舞われ近くの病院に駆け込みました。当直医しかいないので、鎮痛剤を点滴されて昼過ぎには恢復しました。経過観察入院を勧められましたが断り退院して家へ帰りましたが、今度は胸が痛くなり出し翌朝再び病院へ向かいました。診察の結果急性の胆嚢炎と診察され、救急車での搬送といわれました。緊急手術を受けて十日間の入院となってしまったのです。甲斐あって昨日退院してきました。その間、9日は休刊日でこの記事はありませんでしたが16日の記事を今日アップすることになり、申し訳なく思っております。

さて、今回は見た瞬間に西村さんの江若と見まごうばかりのそっくりさん、解説を読むと京阪からの車両とは別物とのことですがなにやら曰くのありそうな面構えですね。担当は藤本さんでしょうか、長老様でしょうか、それとも湯口先輩でしょうか、よろしくお願い致します。

長老様、出番です!高松琴平62号

ぶんしゅうさんそこのけの連投ですが風邪をひいて寝ておりましたのでお許し下さい。15mの湘南型とは、初心者用のOゲージ模型のようでおもしろいですね。長老様は見ただけではなくもちろん乗っておられるのでしょうね。素人並みの質問で申し訳ありませんが、高松琴平電鉄と琴平参宮電鉄の関係を教えて下さい。

全鋼車・近鉄5201系

昭和4年製で1000mmの広窓という。少し時代が下がるがオロ36とオロ40を思い出しました。

それにしても全鋼車ができたのが意外と遅いのに驚きます。近鉄のように各社が合併してできあがった会社は別として、阪急や京阪でも同じ頃なんでしょうかね?やっぱり地下乗り入れや都市間連絡の都会型電鉄は早いのでしょうね。

 

京都水族館に行ってきました!

 

今日は14日開業の京都水族館の完成祝賀会でした。

町内に住んでいるからか招待を頂いたので見に行きました。じつは先日から年間パスポートの販売ですごい行列ができていたので開業からしばらくはひどい人気だろうと敬遠していましたが、ご招待なら楽々見られると喜んで行きました。というのはイルカのショーを見るスタンドから東海道線が見えるとの情報があったからです。

ご覧の通りスタンドから見るプールは彼方に東寺の塔、山陰線の221系、新幹線の700系、ここには写っていませんが梅小路のD51200の引く展示列車が一望です。来賓の前原誠司さんが「ここは最高ですね、新幹線のN700と在来線の国鉄塗色がイルカと一緒に見られます。全国のテッチャン300万人の入場も見込めます」とのリップサービスで会場を沸かせていました。そのほか、京都市長の門川大作さん(演歌歌手ではない)は「27年度にはここに日本最大の鉄道博物館ができる」と言っていました。これを楽しみにしています。予断ですが写真に写っている頭は、左から門川市長、右隣が山田府知事です。

小田急デハ1600

何度も言いますが、私は電車、特に関東の私鉄についてはそこら辺の女子供にも劣る知識です。このシリーズを拝読するに付けても奥深いものと感心していますが、この記事に即反応してデータと知識を開陳してくれる会員の皆様にさらなる感銘を受けております。

今日の話題は小田急電鉄です。この記事の中で疑問がいくつかありますので教えて下さい。

①昭和2年から一気に作った76両がブサイクだった、と書かれているがどんな顔だったのか?

②“いっそ小田急で逃げましょうか・・”などという歌謡曲があったのか?

③廃車後は各地で活躍した、とありますがどこで活躍したのか?

よろしくお願い致します。

東急3450型、全く知らない電車です!

関先生の作品を見ているとあることに気づきました。見送り写真(後尾から先頭方向を撮る)が多いことです。普通は向かってくる列車を頭から撮るのですが、なにかこだわりがあるのか技術的な理由があるのでしょうか?写真班の方で分かる方教えて下さい。

クローバー会写真展準備完了

まもなく開催される「クローバー会写真展」に展示する会員の作品をパネルに貼る準備作業が市内某所で秘密裏に開かれた。

手配師のF氏によって集められた人夫は5人、ほとんどが未経験者で一時間をかけてで理解させた。作業を始めるとそこはベテラン、二人一組になり手際よく処理して行き18時40分には110枚の作品を完成できたのは鬼の監督と、トリミング指導の人間国宝氏の尽力によるものである。

会員各氏は友人知己を誘い合わせて見に行って下さい。

2月14日~28日 地下鉄烏丸御池駅ギャラリーにて開催です。

奈良電デハボ1200登場!

懐かしの奈良電!

思い出せば紀元節が復活した年に柏原神宮まで乗ったのが最初でした。奈良電はよく乗りましたが、久津川にいた友人の家を訪ねるためで、特急に乗ることは無く、奈良電らしからぬ明るい社内とクロスシートにかかった白いカバーに感激したものでした。

もっともこれは近鉄になってからで、この絵にある奈良電色ではありませんでした。近鉄特急の色でありながら車体幅やキハ20のような窓に旧型車の匂いがして特急料金を取られるのが不服ではありました。

 

新年第一回は山陽電鉄アルミカー

関三平画伯の「昭和の電車」シリーズも新年再開です。

山陽2000系だったか分かりませんが、扇形の模様の入った車体の電車を見たことがありました。tsurukame先輩、湯口先輩、ご解説お願いします。場所柄、前歯堅造氏あたりが適任なのだがあいにく彼は国鉄のスハ43にしか興味がなく、かつて「急行つるぎを愛する会」を一人で創ったぐらいだから山陽電車には興味はなさそうである。

名古屋市電のびわこ号?

今年最後の掲載です!連接車で市電があったのですね。先の西鉄と言い、この名古屋市電と言い、当会には応援してくれる地元出身者が少ないようで、今回も反応の薄さが危惧されます。大脇仙人~!、藤本さん!乙訓の長老様、誰でもいいから解説して下さい。ここも1000リンギット賭けます。

連接電車の急行列車・西鉄500型

先週の京阪びわこ号に続く「連接車」シリーズで西鉄500型。

と言っても西鉄とは全く無縁で知識もなし。むかしむかし、博多へ行ったとき、tsurukame氏の支配下にある金魚鉢似よく似た連接市内線を見たような見なかったような、程度。当会には西鉄マニアは居なかったようで、おそらく今回は盛り上がらずに終わることに1万ウオン賭けましょう。

 

澤村さんのお導き!

12月9日夕方、京都市内の某所で討ち入りならぬ秘密の打ち合わせが開かれるとの情報を得て、押っ取り刀で駆けつけた。そこには初老の男が7名、なにやら酒を飲みながらヒソヒソではなく大声でわめきあっている。一番年長らしい男に聞くと、まず自分はここで一番年下だと断った上で「DRFCのOBで、澤村氏の葬儀で会えなかったか、行けなかった者達の再会」とのこと。

DRFCのOBといえば、我が国鉄道趣味界における奇人変人の集合体としてとみに有名である。その会員とあらば並大抵の人格とは思えない。予想通り、話題は鉄道などかすりもせず、もっぱら年金とかつての仕事の話、さすがは奇人変人狂人の仲間である。

呼びかけの労を執って下さったパール田淵氏の心配をよそに、飲み放題をいいことに飲むは飲むは、ビールと焼酎お湯割りのやま。初参加のナポレオン山室氏や先ほど顧問の教授に間違えた稲毛氏、一人現役のサラリーマン・P6久我氏、などの怪気炎が夜の東山にこだましていた。