謎の南海電車・クハ2001系

文の冒頭にあるCMソングは聞き覚えがあるよな気がしますが、この電車は全く知りません。

説明を読んで疑問がいくつもわいてきます。

まず、冷房のシステムについてです。クハ2801で冷気を起こしてフードで2001へ送るとか、勾配を使って冷気を分配するとか、全く想像がつきません。さらに難波―和歌山を蒸気機関車で運行したとか、どうなっているのでしょうか?南海本線は完全電化でしょう?

どなたか、戦後生まれの若輩者にわかりやすく教えて下さい。

大阪市電751型

昭和20年3月14日、B29の大編隊が大阪を襲いました。今は亡き両親から何回となく聞かされた話の出だしです。

当時、両親は千日前にあった大劇のまえで写真館を開いていました。昼頃から始まった空襲は悲惨を極め、大劇の地下に逃げ込んだ両親は逃げ遅れて最後に地上に出たときは、すでに難波と千日前を結ぶ通りは炎のトンネルとなっていたそうです。何分かに一回、風が起きてトンネルの炎が上へ開くときがあるのに気づき、日本一(日本橋一丁目)の交差点へ出たときにはこの世のものとは思えない光景だったそうです。高島屋の前の石畳には亀の甲に似た焼夷弾が不発のまま突き刺さり、市電が何台も堺筋に並んで止まっていて、そのほとんどが骨組みだけになり、まだ燃えているものもたくさんあったそうです。父は、そこに落ちていた自転車を拾って母を後ろに乗せて祖母のいる八尾を目指したと言っていました。

今日の画を拝見して、両親からの話を改めて思い出しました。

※今回は、投稿者の手落ちで、保存に不備があり色が悪いことをお詫び申し上げます。

広電連接車1040型

しばらく新聞休刊日や休稿日のためお休みが続きましたが、久しぶりの掲載です。

今回は広電の郊外型連接車4010型です。解説に「京都市電と大阪市電をモデルに・・」とありますが、なるほど京都市電600型にそっくりですね。

お宝、発掘!

大学時代の恩師のお宅を訪問したとき、奥様から「あなたは鉄道に興味をお持ちだからこれを差し上げます」と思いがけないプレゼントを頂きました。恩師の教授はすでに亡く、奥様は私が「同志社大学鉄道同好会」のOBだとはご存じないようです。

さて、このお宝はプラスティック製のコースターらしきものですが、私には覚えがありません。多分展望車を走らせたときの記念品だと思いますが思い出しません。

こんな事に長けた方が多いと思いますので、これがどんなことで作られたのか、誰が考えたのか、だれの画なのか、など教えてください。

名鉄モ400

今日から“連接車”です。以前連載された連接車は戦前型、これからは戦後型だそうです。しかし、戦後の、まだ物資が潤沢ではなかった時代にこれだけの写真を撮られたことは、我が人間国宝やtsurukame、須磨の大人などの諸先輩方も驚きではないですか?記事の最後のところで「車体は二つあるのに1両と数えるか2両とかぞえるか・・・」とありますがなるほど、と感じました。

 

関三平先生とはこんな人!

今日の夕刊に関三平先生のプロフィールがでていました。皆さんの予想と比べていかがでしたか?

まだあるロクサン!京成電鉄モハ109

これだけ続くとロクサンの影響力の大きさがわかります。しかし、京成電鉄もあまり系統や伝統には興味が無いのでしょうか。

同じ形式でこれだけ形が違うのが珍しいのでは?でも昭和62年まであったとはたいしたものです。

熊本のロクサン

関先生のファイルにある「ロクサン」もそろそろ底をついたか?と思える今回。ロクサンのバリエーションではなく似ているものになってきました。どなたかご存じの方があれば解説を。それと写真があれば見せて下さい。

京福にもあった?ロクサン!

ロクサンシリーズはまだ続くようです。今回はロクサンのコピー車両?が京福福井支社にあったというお話です。

思えばロクサンは品質は別にして鉄道業界には渇望されたのですね。知りませんでした。のちの80系のコピーブームとは違い、戦後の混乱期のわびしさが身につまされます。

他の私鉄でもコピー車両はあったのでしょうか?

山陽電鉄のロクサン

tsurukameさんの投稿を追いかけるようにが山陽電鉄のロクサン、700型登場!

以前に掲載されたtsurukameさんの投稿記事を参照しながらご覧下さい。それにしても阪急京都線にも投入計画があったとの記載には驚きました。皆さん、ご存じでしたか?P6と63がすれ違う、63をP6が追い抜く、なんてことがあれば見たかったなぁ!

南海のロクサン

モハ63は諸先輩の思い出の中で生き続けていたことがわかりました。たしかに人生と重なる電車でした。今回はtsurukameさんの山陽のロクサンと同じように南海へ売られていったロクサンの話です。ただ読んでみると貧しかった戦後の子供達とおなじようなロクサンの中でちょっと裕福感のあるロクサンです。

国鉄クモハ73=ロクサン

この連載も63回になったそうです。そのせいかどうか、今回はあの63の登場です。私には環状線(城東線)で活躍したオレンジ色の仲間を思い出されます。皆さんはどんな思い出をお持ちですか?

伊予鉄モハニ200

伊予鉄、土佐電、琴電、琴参、四国にもたくさんの私鉄があるのですね!この鉄道は松山市内で坊ちゃん列車を走らせている鉄道ですね。

土佐電鉄クハニ2000

お久しぶりの投稿です。

4月8日早朝、今までに経験の無い腹部の激痛に見舞われ近くの病院に駆け込みました。当直医しかいないので、鎮痛剤を点滴されて昼過ぎには恢復しました。経過観察入院を勧められましたが断り退院して家へ帰りましたが、今度は胸が痛くなり出し翌朝再び病院へ向かいました。診察の結果急性の胆嚢炎と診察され、救急車での搬送といわれました。緊急手術を受けて十日間の入院となってしまったのです。甲斐あって昨日退院してきました。その間、9日は休刊日でこの記事はありませんでしたが16日の記事を今日アップすることになり、申し訳なく思っております。

さて、今回は見た瞬間に西村さんの江若と見まごうばかりのそっくりさん、解説を読むと京阪からの車両とは別物とのことですがなにやら曰くのありそうな面構えですね。担当は藤本さんでしょうか、長老様でしょうか、それとも湯口先輩でしょうか、よろしくお願い致します。

長老様、出番です!高松琴平62号

ぶんしゅうさんそこのけの連投ですが風邪をひいて寝ておりましたのでお許し下さい。15mの湘南型とは、初心者用のOゲージ模型のようでおもしろいですね。長老様は見ただけではなくもちろん乗っておられるのでしょうね。素人並みの質問で申し訳ありませんが、高松琴平電鉄と琴平参宮電鉄の関係を教えて下さい。

全鋼車・近鉄5201系

昭和4年製で1000mmの広窓という。少し時代が下がるがオロ36とオロ40を思い出しました。

それにしても全鋼車ができたのが意外と遅いのに驚きます。近鉄のように各社が合併してできあがった会社は別として、阪急や京阪でも同じ頃なんでしょうかね?やっぱり地下乗り入れや都市間連絡の都会型電鉄は早いのでしょうね。

 

また南海、デニ502

また南海です。南海は縁が無く、よくわかりませんが、デニ502は京阪の700型と同じように片側貫通だとか。昭和3年も共通。この時代は片側貫通が流行り?

京阪の700型って・・・

京阪電車の車両もよく出てきますが、今回は旧700型。これは両運転台でありながら片側貫通なんですねぇ。お話ではポールで窓の上下に英文のコピーがあったとか。みたいものですね。

京都水族館に行ってきました!

 

今日は14日開業の京都水族館の完成祝賀会でした。

町内に住んでいるからか招待を頂いたので見に行きました。じつは先日から年間パスポートの販売ですごい行列ができていたので開業からしばらくはひどい人気だろうと敬遠していましたが、ご招待なら楽々見られると喜んで行きました。というのはイルカのショーを見るスタンドから東海道線が見えるとの情報があったからです。

ご覧の通りスタンドから見るプールは彼方に東寺の塔、山陰線の221系、新幹線の700系、ここには写っていませんが梅小路のD51200の引く展示列車が一望です。来賓の前原誠司さんが「ここは最高ですね、新幹線のN700と在来線の国鉄塗色がイルカと一緒に見られます。全国のテッチャン300万人の入場も見込めます」とのリップサービスで会場を沸かせていました。そのほか、京都市長の門川大作さん(演歌歌手ではない)は「27年度にはここに日本最大の鉄道博物館ができる」と言っていました。これを楽しみにしています。予断ですが写真に写っている頭は、左から門川市長、右隣が山田府知事です。