新年第一回は山陽電鉄アルミカー

関三平画伯の「昭和の電車」シリーズも新年再開です。

山陽2000系だったか分かりませんが、扇形の模様の入った車体の電車を見たことがありました。tsurukame先輩、湯口先輩、ご解説お願いします。場所柄、前歯堅造氏あたりが適任なのだがあいにく彼は国鉄のスハ43にしか興味がなく、かつて「急行つるぎを愛する会」を一人で創ったぐらいだから山陽電車には興味はなさそうである。

新年第一回は山陽電鉄アルミカー」への2件のフィードバック

  1. アルミボディ電車の最初は山陽というのが電車屋さんの常識で、ありとあらゆる記述がそうなっており、疑問を持つ人などいない。しかし、栃尾鉄道モハ210は1954年9月29日設計認可だが、ボディにアルミ板を使っていたのに、全く無視され続け今日に至っている。かつて「軽便など鉄道の範疇に入らない」とのたまった先輩(現在でも鉄道友の会の重鎮)がおられたが、彼等にはこんな吹けば飛ぶような田舎軽便など、眼中に無いのであろう。従って関センセイが山陽をアルミ電車の最初と記されても、不思議でも何でもなく、むしろセンセイが常人(にしてはヘンな電車をお取り上げになるが)である証拠?になる。
    ついでだが栃尾モハ210は直角カルダン式59.9kw×2、直接制御で、設計書には「カルダン式装置主電動機の取付 吊枠上に取付く」とあって、これは特別設計とされた。車体はやたらと屋根が低く、ピッチ1,100mmのクロスシートはまるで幼稚園児通園マイクロバスの座席を向かい合わせにしたようなもので、流石に1ボックス2人座れればいい方で、すぐロングシートに改造され、末年はクハ112になっていた。

  2. 湯口先輩、
    さっそくのスクープありがとうございます。
    でも栃尾鉄道という鉄道があったことすら知らない人が多いのではないかと思いますので、もし写真でもありましたら、いや、失礼しました、「軽便の湯口」と言われた方が写真をお持ちでないなどあり得ないことです、ぜひ見せて下さい。お願いいたします。

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