南海電車2001系 投稿日時: 2018年8月4日 投稿者: 米手作市 関三平先生の「昭和の電車」が一ヶ月に一回になったのと、この暑さで昼間に作業が出来ず、調子が狂って困ります。 今回も投稿の準備が完成していたのに、エンターキーを押し忘れたため遅れました。関先生、すみません! この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(1)大阪市電901 昭和の電車 一畑電鉄デハ20型 神戸市電400型 京都市電600型 関先生を囲んでの懇談会ご報告 関三平先生から皆様へお知らせ 乙訓の長老様へ 長野電鉄OSカーの写真のこと
米手作市様 どですかでんさんの2018.07.29付け[99055]「冬 早朝の大嶺支線客車1両の列車が行く」に南海本線上を行く同社サハ4801のことをコメントさせていただきましたが、今回の関三平先生の電車シリーズは関西3羽ガラス(新京阪デイ100、参宮急行モ2200、阪和モヨ100)に続く名車南海の20m車で日本発の冷房車で有名であった2001形(電9形、モハ301形)が登場しました。この場をお借りして、晩年の姿ですが新宮発123列車連結の南海本線上を走る2001形牽引の難波行き南紀直通列車を発表させていただきます。写真は架線電圧が600V時代で2001形の150KW×4大出力車が1500V化後も残るには懸念があったようで直通列車も1970年7月16日に廃止されました。2001形は形態的には戦後製も含めて数種類に分けられるようですがコメントに写真を2枚以上投稿する方法がよくわかっていないのでこのサハ4801中心の1枚としました。撮影日は1968年11月21日箱作~鳥取ノ荘間で前3両が2000+2800+2000で特急扱いです。後に大阪通信員さんのお宝となる座席もこのサハ4801のどこかに設置されていたことと思います。 返信 ↓
準特急様、 めずらしい写真をありがとうございます。以前に「散歩道で見つけました」シリーズでこの客車を載せた覚えがあります。電車が客車を引っ張る、その客車が国鉄線内を走る。いい時代ですね。 コメント欄に複数の写真を投稿することは、現在は出来ません。ただいま改良工事をお願い中です。 返信 ↓
米手作市様 お褒めいただくとまた投稿しようという気分になりもう一つ国鉄紀勢本線上を行くC576[和歌山]牽引白浜口行き3106列車土曜運転準急「しらはま」の次位につくサハ4801です。スハ43に準じたスタイルですが台車はTRN51形と称したウィングバネ式で1952年帝国車両製の1両だけの車両であったため検査等の場合国鉄オハフ33などがピンチヒッターで南海線を走りました。前のコメントで南海2001形を日本発の冷房車としましたが日本初の冷房車が正しく、毎度誤字、当て字が多くお許し下さい。 返信 ↓
暑い、暑い毎日が続きます。天気予報で気温が34度予報されると、涼しいのかと錯覚してしまうのが怖いです。どうか皆様お大事になさって下さい。 さて、関先生のお話は毎回楽しみにさせて頂いていますが、今回はとんがり帽子付き標識灯や白塗りヘッドランプ、勉強になりました。固定クロスや転換クロスはどんなものだったのでしょうか?旅情が湧きますね。 準特急さんの写真、凄いですね。電車が客車を引っ張るなんて・・・南海電車と国鉄の相互乗り入れ、昭和ですね。よく撮っておられると感心します。有り難うございます。 返信 ↓
マルーン様 南海は空港が沿線にあり成田のある東の京成に似ていると思います。趣味的に見るとどちらも地味に見えるところも共通点と私は思っておりました。関東のファンはJRから見える阪急に少し馴染を感じるようですが、南海は少し奥に入って訪問の機会が少ないこともあり疎遠になり易いと思います。同じように関西のファンにはJRから見える小田急、京急は若干の馴染みがあり京成あたりが疎遠ではないかと個人的に思っています。ところが今思い出してみると南海はものすごく強いプロ野球球団を持っていましたし、私が撮影をしたころには四国連絡のヘッドマーク付きの特急電車があり、これまた旅情を掻き立てられたものでした。難波の駅も阪急梅田同様に広々として私鉄王国を感じます。電車が客車を引っ張る姿は多分諸先輩方が沢山お持ちと思います。地味と申しましたが南海は高野線を含め沿線風景がいいことと特急から通勤車まで車両がバラエティに富んでいます。むしろ、阪急の方がもう少し多彩な車両やカラーがあればと思うこともあります。マルーンさんには西宮北口にある阪急ブレーブスの記念館を案内いただきましたが、先日、南海で監督もやられた中大出の穴吹義雄さんが亡くなられました。時代がどんどん進んで古い写真も興味がない人が多くなっていくのは致し方がないですが、未だ懐かしく思っていただけるのなら発表させていただきます。マルーンさんには失礼申し上げましたが、コメント有難うございます。 返信 ↓
マルーン様 大阪球場はすり鉢状でどちらか言いますと狭苦しく観戦しにくい球場であったと思います。ユニホームは南海電車と同じ緑色が印象に残っております。しかし、野村、杉浦、スタンカのバッテリーや寺田、杉山、長谷川など強力打者がいる南海は西鉄とともに米田、梶本、バルボンだけの阪急や近鉄パールスではとても勝てない時代でした。しかし、野球とは別に電車は各社それぞれスター揃いでした。 返信 ↓
米手作市様
どですかでんさんの2018.07.29付け[99055]「冬 早朝の大嶺支線客車1両の列車が行く」に南海本線上を行く同社サハ4801のことをコメントさせていただきましたが、今回の関三平先生の電車シリーズは関西3羽ガラス(新京阪デイ100、参宮急行モ2200、阪和モヨ100)に続く名車南海の20m車で日本発の冷房車で有名であった2001形(電9形、モハ301形)が登場しました。この場をお借りして、晩年の姿ですが新宮発123列車連結の南海本線上を走る2001形牽引の難波行き南紀直通列車を発表させていただきます。写真は架線電圧が600V時代で2001形の150KW×4大出力車が1500V化後も残るには懸念があったようで直通列車も1970年7月16日に廃止されました。2001形は形態的には戦後製も含めて数種類に分けられるようですがコメントに写真を2枚以上投稿する方法がよくわかっていないのでこのサハ4801中心の1枚としました。撮影日は1968年11月21日箱作~鳥取ノ荘間で前3両が2000+2800+2000で特急扱いです。後に大阪通信員さんのお宝となる座席もこのサハ4801のどこかに設置されていたことと思います。
準特急様、
めずらしい写真をありがとうございます。以前に「散歩道で見つけました」シリーズでこの客車を載せた覚えがあります。電車が客車を引っ張る、その客車が国鉄線内を走る。いい時代ですね。
コメント欄に複数の写真を投稿することは、現在は出来ません。ただいま改良工事をお願い中です。
米手作市様
お褒めいただくとまた投稿しようという気分になりもう一つ国鉄紀勢本線上を行くC576[和歌山]牽引白浜口行き3106列車土曜運転準急「しらはま」の次位につくサハ4801です。スハ43に準じたスタイルですが台車はTRN51形と称したウィングバネ式で1952年帝国車両製の1両だけの車両であったため検査等の場合国鉄オハフ33などがピンチヒッターで南海線を走りました。前のコメントで南海2001形を日本発の冷房車としましたが日本初の冷房車が正しく、毎度誤字、当て字が多くお許し下さい。
暑い、暑い毎日が続きます。天気予報で気温が34度予報されると、涼しいのかと錯覚してしまうのが怖いです。どうか皆様お大事になさって下さい。
さて、関先生のお話は毎回楽しみにさせて頂いていますが、今回はとんがり帽子付き標識灯や白塗りヘッドランプ、勉強になりました。固定クロスや転換クロスはどんなものだったのでしょうか?旅情が湧きますね。
準特急さんの写真、凄いですね。電車が客車を引っ張るなんて・・・南海電車と国鉄の相互乗り入れ、昭和ですね。よく撮っておられると感心します。有り難うございます。
マルーン様
南海は空港が沿線にあり成田のある東の京成に似ていると思います。趣味的に見るとどちらも地味に見えるところも共通点と私は思っておりました。関東のファンはJRから見える阪急に少し馴染を感じるようですが、南海は少し奥に入って訪問の機会が少ないこともあり疎遠になり易いと思います。同じように関西のファンにはJRから見える小田急、京急は若干の馴染みがあり京成あたりが疎遠ではないかと個人的に思っています。ところが今思い出してみると南海はものすごく強いプロ野球球団を持っていましたし、私が撮影をしたころには四国連絡のヘッドマーク付きの特急電車があり、これまた旅情を掻き立てられたものでした。難波の駅も阪急梅田同様に広々として私鉄王国を感じます。電車が客車を引っ張る姿は多分諸先輩方が沢山お持ちと思います。地味と申しましたが南海は高野線を含め沿線風景がいいことと特急から通勤車まで車両がバラエティに富んでいます。むしろ、阪急の方がもう少し多彩な車両やカラーがあればと思うこともあります。マルーンさんには西宮北口にある阪急ブレーブスの記念館を案内いただきましたが、先日、南海で監督もやられた中大出の穴吹義雄さんが亡くなられました。時代がどんどん進んで古い写真も興味がない人が多くなっていくのは致し方がないですが、未だ懐かしく思っていただけるのなら発表させていただきます。マルーンさんには失礼申し上げましたが、コメント有難うございます。
仰る通りかと思います。
大阪球場等無茶苦茶興味ありです。
是非よろしくお願いいたします。
マルーン様
大阪球場はすり鉢状でどちらか言いますと狭苦しく観戦しにくい球場であったと思います。ユニホームは南海電車と同じ緑色が印象に残っております。しかし、野村、杉浦、スタンカのバッテリーや寺田、杉山、長谷川など強力打者がいる南海は西鉄とともに米田、梶本、バルボンだけの阪急や近鉄パールスではとても勝てない時代でした。しかし、野球とは別に電車は各社それぞれスター揃いでした。