“ところで河様、昭和41年3月頃ピク誌の「読者短信」に京都駅の3番線と4番線の間の留置線で撮影されたクハ76305の写真を投稿されておられませんでしょう。古いピク誌は京都の実家にあり確認はできていませんが、多分同じ日に私も撮影しています。”
早速探しましたらこれが見つかりました。藤本さんの記憶の写真がこれなら多少違っています。茶坊主が写っているのは1966年2月号でした。前後の号ではこれしかありません。しかもご指摘のクハ76305ですからこれのことでしょう。
撮影場所は京都駅ではなく芦屋駅で、撮影者も河様ではなく山本克彦氏でした。でも周囲の写真は懐かしい物ばかりですね。
藤本哲男様
うっかりしている間に小生のコメントに絡んだご質問等をいただいており、気付くのが遅れて申し訳ありません。
相鉄の初代5000形の塗色の件、ネットで探し回って確認しましたところ、カラーで記録しておられる方がいらっしゃいました。やはり貴殿の仰る通り腰板部と幕板部は紺色に緑色が混じったような色でした。小生の『モスグリーン』表現は正にこの色のつもりだったのですが、『モスグリーン』はあくまでも緑色イメージが強く紺色のイメージはありませんので『不適切』表現でした。以前のクハ79の時と同様、新聞紙への印刷なので色が変わったと考えられますが、腑に落ちないのは上記のネット写真と比較した限りでは窓周りの色はほぼ忠実に発色しています。
スカ線のモハ72の件、詳細な資料記述をご提供いただき、ありがとうございます。当時小生は編成の車番を控える習慣が無かったため大いに参考になりました。
またクハ76305の件は米手作市氏がフォローしていただきました通り、山本克彦氏が芦屋で撮られたものが該当写真と思います。因みに山本氏は小生の知合いで、実はこの時期小生は既に東京にヤドガエしていたため、氏からは別アングルの76305の写真も送って貰ったりしました。
米手作市様
ご回答有難うございます。
クハ76305の件は鮮明に覚えていたのですが、撮影場所は私の勘違いでした。
昭和40年7月3日付で、クハ76032、305がモハ70037、104、105、106と共に大船から明石に転属してきました。クハ76は茶色に塗り変えたのですが、モハ70はスカ色のまま使用されました。クハ76032は正面窓が木枠で、全金車、正面木枠窓車ともに大阪緩行では初めてでした。僅か10カ月後の昭和41年5月に中央西線用として大垣に転属しました。クハ76032は編成の中間で撮影したのですが、ネガが行方不明になっています。撮影後亡き母にカメラを貸し、その後ネガを受取らなかったためです。
その前年には元流電(合いの子を含む)の中間車のサハが転属してきました。この辺りの車両の動きについて近日中に纏めてみたいと思っています。
他にも東急5000系、東武5700系についてもコメントしたいと思っているのですが、戦力外通告直前の身でありながら本業が多忙なため進みません。