阪急202号 投稿日時: 2011年1月25日 投稿者: 米手作市 関さんのシリーズは、ますますマニアックになってきました。 こんなのを見たことがあるようなないような、でも前週の南海のデト11の兄弟とか。二回の改造後の姿だそうですから最初の形は、デトと同じだったのでしょうか?写真を持っている人は見せてください。でも持っているとすれば長老様か藤本さんぐらいかも。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 関連記事がありません。
でたぁ-!迷図作家さんはこうした風変わりな(ゲテモノ)電車がお好きなようでこれからが益々楽しみになって来た。こうした役割を限定した電車には、ゲテモノが多く見られる。我らが京阪では、ピクトリアル誌822号で佐竹先輩撮影による事業用車が紹介されているが、この202号に該当するのは3010号である。阪急では運転台を公衆電話ボックスと言っていたそうだが、京阪では「箱番」と言っていた。踏切番小屋、守衛番小屋などから出た言葉であろう。阪急202号が1927年に川崎造船所で造られた時の写真を見るとアングル?組の上に運転台が載っており、なんとまぁ、と思ったものだ。ところが阪神には更に珍貨物車が昇圧寸前迄いた。きっとそれも迷図作家によって紹介される事であろう。この202号は阪急オリジナルで、デト11と共通するのは電車で最も大切な主電動機が移植されたもので、その点からいえば異母兄弟となる。 クローバー会の皆さん、本日よりしばらく老人は「離れ」に隔離されます。 返信 ↓
でたぁ-!迷図作家さんはこうした風変わりな(ゲテモノ)電車がお好きなようでこれからが益々楽しみになって来た。こうした役割を限定した電車には、ゲテモノが多く見られる。我らが京阪では、ピクトリアル誌822号で佐竹先輩撮影による事業用車が紹介されているが、この202号に該当するのは3010号である。阪急では運転台を公衆電話ボックスと言っていたそうだが、京阪では「箱番」と言っていた。踏切番小屋、守衛番小屋などから出た言葉であろう。阪急202号が1927年に川崎造船所で造られた時の写真を見るとアングル?組の上に運転台が載っており、なんとまぁ、と思ったものだ。ところが阪神には更に珍貨物車が昇圧寸前迄いた。きっとそれも迷図作家によって紹介される事であろう。この202号は阪急オリジナルで、デト11と共通するのは電車で最も大切な主電動機が移植されたもので、その点からいえば異母兄弟となる。
クローバー会の皆さん、本日よりしばらく老人は「離れ」に隔離されます。