今日は県営鉄道が初めて走った与那原線の終点与那原駅が復元されて博物館となっていますので見学に訪れます。開館時間は10時となっていますのでゆっくりとホテルを出ることにしました。
▲ 1914年(大正3年)12月1日に那覇 ~ 与那原が開業した県営鉄道与那原線。開通時は那覇・国場・南風原・与那原(仮駅)の4駅だけでしたが玉橋、一日橋、桟橋荷扱所(貨物)、大里、古波蔵、真玉橋、宮平の順で新駅が開駅されました。
① 牧志公園前 8:26(東陽バス30系統)⇒8:57 与那原
▲ 与那原まではバスで向かいます。牧志駅前に行かなくともホテル近くの牧志公園前にもバス停がありますので東陽バスのHPから今日(日曜)のダイヤを調べました。ここで乗車すれば楽だと早めにバス停へ行って待ちますが定刻になってもバスは来ません。日曜でバス通りも空いています。このバス停は始発のバスターミナルから5番目なのでこれほど遅れるとはどうしたもんだと待ち続けること約30分、8:51にバスは現れました。沖縄は本土とは時間間隔が違って「ウチナータイム」と呼ばれるおおらかな県民性の性かと納得せざるを得ませんでした。
HPのダイヤ通りなら31分で与那原に着く予定なので次に着くバス停を車内の表示板で確認していましたが中々着きません。
11:20 信号待ち停車した時に運転手に聞きましたら乗り越していました。次のバス停で降りて引き返しですが運転手は運賃を受け取ってはくれません。反対方向のバス停を指さして1時間に1本の運行間隔なので早くいくようにとせかしてくれます。私の見過ごしが原因ですのに・・。「ありがとうございます。」と、お礼を言って車の列が切れるのを待って道路を横断しました。何と6停留所ほど行き過ぎていました。
▲ 11:20 バス停からは少し歩きましたが、与那原駅舎に到着です。乗り越しミスを犯したので予定より1時間20分延でした。
与那原駅は与那原開業時には建設されていましたが半月前の大雨土砂崩れ発生で手前に仮駅が設置され正式営業開始は翌年1月20日でした。
北方面に向かわれる乗客はこの駅で馬車運行の沖縄軌道に乗り換えられました。かつてはこの写真の手前に軌道が敷設されていました。
沖縄戦の空襲のため壊滅的被害を受けましたが幸いにして1931年(昭和6年)にコンクリート造に建て替えられていた駅舎は全壊は避けられました。戦後は補強されて役場、消防署や農協として使用されましたが農協移転に伴い、2014年(平成26年)に復元されて与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館となりました。
▲ 開業当初にはヘンシェル社製蒸気機関車3両が輸入されて走行しました。
▲ 大正19年3月6日には昭和天皇が東宮殿下(皇太子時代)に欧州視察に向かわれた際に与那原港に寄港されて与那原駅から県営鉄道に乗車されました。初めてお召列車が走ったのです。
那覇からは人力車に乗り換えられて首里へと向かわれました。復路も逆行程で乗車、与那原港から乗船されています。
▲ 12:30 約1時間ほど展示館を見学しました。殆どの資料は県の博物館で見たものと同様でしたが、若干は初めて見る資料もありました。ご興味のある方は沖縄に行かれた時に是非ともご訪問してください。
これからは沖縄に来たら是非とも来てくださいとご依頼を受けていた知人の民宿のある伊計島へと参ります。本島からは離れた離島でしたが1982年(昭和57年)に大橋が建設されてバス乗継で行けますが、町営バスは2時間に1本の1日7往復の不便さです。
② 与那原 12:44(東陽バス30系統)⇒13:12 与儀
③ 与儀 13:27(沖縄バス)⇒14:05 JA与那城前
④ JAおきなわ与那城支店前 16:00(町営バス)⇒16:55 伊計共同売店前
今度はバス停を乗り過ごすと先には行けなくなりますのでタブレットのGoogleMapで現在位置を確認しながら向かいました。
▲ 17:00 民宿「はなりびら」に到着、6年ぶりの再会に熱烈歓迎を受けました。わずか5部屋だけで部屋のデッキには露天風呂も設置されていて沖縄で最後の夜をゆっくりとできました。 Part 13 へ続く