昭和40年代の北陸鉄道金石線

EB123  42年3月21日  中橋(左手の線路が国鉄金沢駅との連絡線)

湯口先輩より10月8日【9875】と10月16日【9947】で昭和30年代の北陸鉄道金石線、小松線を元簸上鉄道の客車を中心にご紹介いただいたが、昭和40年代の金石線の状況を紹介する。

湯口先輩撮影の写真を補足させていただくと【9875】のトップ「サハ521+サハ604」のサハ604は、乙訓の長老の解説の通りで、6両在籍し601~603が石川総線、604、605が金石線、606が浅野川線に所属し、昭和36年から37年にかけて廃車された。台車まで鮮明に写っている写真を見たのは初めてで、改めてクローバー会の諸先輩の実力を感じた。3枚目の写真の手前はモハ611で、金石線の前身、金石電気鉄道の11として昭和2年日本車輌で新製、北陸鉄道合併後の改番でモハ611、昭和35年7月電装解除してサハ701、浅野川線、金石線、小松線と転属して昭和40年10月に廃車された。

【沿革】

金石線の歴史は古く、明治31年2月長田町~金石間4.85kmを金石馬車鉄道として762mmで開業、大正3年8月1067mmに改軌と電化を実施して金石電気鉄道に改称、大正9年10月長田町~中橋間0.6km開業、大正12年8月金石~大野港間2.0km開業、昭和18年10月戦時統合で北陸鉄道に合併し、同社の金石線となり、昭和46年9月1日全線の営業を廃止した。中橋~金石間は県道と並行しており、全線軌道法の適用を受けていた。

【訪問時の状況】

金石線を訪れたのは、現役時代の昭和42年3月と昭和44年3月、社会人になってからの昭和45年10月と昭和46年3月の4回で、電車に関しては諸先輩が撮影された個性的な車両は姿を消し、ほぼモハ3000形に統一されていた。始発の中橋駅は金沢駅の裏手にあり、国鉄とは線路は繋がっているものの乗客は徒歩連絡であった。当時電車は30分間隔で運転されていたが、並行する県道には市内中心部香林坊~金石間に同社のバスが頻繁に運行(現在もほぼ10分間隔)、大野港までも30分間隔(現在はほぼ1時間間隔)で運行され、電車の利用者は通勤、通学客以外は極めて少なかった。

【車両】

昭和46年3月時点での車両は、電気機関車3両(EB123、ED211、ED231)ディーゼル機関車1両(DL21)電車6両(モハ3001~3005、クハ1201)であった。

①電気機関車

EB122/昭和55年9月14日廃止になった能美線(新寺井~鶴来)の前身能美電鉄が開業時に新製した木製4輪車デ2として大正14年日本車両製で新製された車両である。昭和34年に電気機関車に改造され、EB122となり、昭和41年にボギー車化された。白菊町駅の入換に使用されていたが、昭和45年3月金石線に転属となり、同線廃止により廃車となった。

 

上/45年10月11日 下/46年3月20日 金石

ED211/元能美電鉄のデ3として作られた車両で、前述のEB122とは同一グループであった。昭和38年に電気機関車に改造されEB123となり、昭和41年に主電動機を4個に増強されED211となった。

 

46年3月20日 中橋

ED231/元能美電鉄のデ8として作られた車両で、昭和5年日本車輌製の半鋼製4輪車であった。一旦電動貨車モヤ621に改造後EB131となり、昭和41年ボギー車化の時の主電動機を4個に増強されED231となった。長く石川線で活躍していたが、昭和45年3月EB122と共に金石線に転属となり、同線廃止により廃車となった。EB122、ED211とは異なり、電車時代の面影が強く残っていた。

 

42年3月21日  新西金沢(石川総線時代)

②ディーゼル機関車/昭和38年協三工業製の小型DLで、北陸本線の交流電化に伴い、金沢駅での自社の電気機関車による貨車の受渡しが不可能になったため作られた。

 

46年3月20日 中橋

③電車

モハ3000形(3001~3005)/昭和24年日本鉄道自動車で新製され、石川総線の主力であった。昭和39年名鉄から転入したモハ3700形(元名鉄モ700形)の投入により5両とも金石線に転属した。モハ3005は石川総線時代の事故復旧時にノーシル・ノーヘッダー、張上げ屋根、正面に貫通扉の設置が行われ、近代的なスタイルとなった。その他の車両についても前面窓のHゴム化(3001、3002)、窓枠のアルミサッシ化(3004)等が実施された。金石線廃止後は全車両小松線に転属し、従来の車両を置換えた。

 

モハ3001  46年3月20日 金石

 

モハ3003  42年3月21日 中橋

 

モハ3004 上/45年10月11日 中橋 下/46年3月20日 金石

 

モハ3005 46年3月20日 大野港

クハ1201/河南線の前身、元温泉電軌のデハ29が前身で、昭和18年木南車両で作られた。北陸鉄道合併後の改番でモハ1816→モハ1832となり、昭和37年に電装解除してクハ1201となって浅野川線に転属した。昭和45年に金石線に転属となったが、廃止後再度浅野川線に戻った。

 

46年3月20日 大野港

【参考1】金沢機関区一般公開

昭和45年10月11日訪問時、偶然にも金沢機関区の一般公開日であった。現在も鉄道記念日前後の土曜日、日曜日に全国各地で機関区等鉄道施設の一般公開が行われて多くの見学者で賑わっているが、この時はそれほど見学者は多くなかった。

 

【参考2】快速こしじ

快速「こしじ」は、電車急行を特急に格上げした時に余剰になった471系、475系等を使用して富山~福井間で運転されていた快速電車であるが、一部気動車による運転もあった。当時の時刻表が手許にないので詳細は不明であるが、この列車の運転区間は金沢~富山間であったのだろうか。45年10月11日金沢駅の七尾線ホームでの撮影である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください