北陸鉄道加南線モハ1821 大聖寺 近畿車輛で車体新製 台車電気部品は木製車のもの
1957年5月3日北陸路は大聖寺の加南線からだが、夜行で着いて、電車を2本撮っただけである。
中々に整った電車なのは認めるが、小生は木製車を撮りにきたのだから、まあ折角だから撮っておこうか、ぐらいの気持ち。それでもポール付の姿はこれが最後になった。
松任では松任工場に入場する社型国電(旧宇部)モハ1301+クハ5301が止まっていた。これは確かずっと以前にご高覧に供した筈である。
金沢では先ず浅野川線へ。
浅野川線サハ211←浅野川電気鉄道ハフ24 日車1925年製
サハ221←浅野川電気鉄道ハフ23 汽車東京1925年製
サハ606←ハフ21 車体は名古屋市電ボギー車のお古 台車は雑形3軸ボギーからの改造
モハ572←カ12 浅野川電気鉄道生え抜き 汽車東京1925年製
モハ851←国鉄モハ1900←伊那電気鉄道デ101 汽車東京1923年製
モハ1601←浅野川電気鉄道デハ2 日車1927年製 のち小松線サハ1601
小生に電車の講釈が出来るわけもないから、サハ600のみを。車体は一見して分るように、かなり細身で、その割には長めのボギー路面電車の成れの果て―名古屋市電を鋼体化改造した際廃棄した木製車体を再生したものと聞くが、詳しくは知らない。乙訓ご老人の出番であろう。
問題は台車で、これが珍物である。国鉄雑形3軸ボギー客車の台車を切断し、2軸に縮めたとしか思えない代物だからである。一般に3軸台車のイコライザーは左右非対称だが、これは対象に見えるから、イコライザーを中間で切断し、継ぎ合わせたか。施行は名古屋市南区にあった三山(さんやま)工業なるところだそうな。車両絶対不足時期ならではの工夫だが、この付随客車は北陸鉄道に6両あった。
【サハ606の台車】
驚きました。こういう代物は初めて見ました。世界中には他に例があるのでしょうか。3軸ボギーはアメリカには、結構あったのではと思いますが、ヨーロッパではどのくらい実績があったのでしょう。むかし関西学鉄連のクイズ大会で、3軸ボギーの電車はあったかという設問に、筆者は一畑の作業局3軸客車流れの改造制御車と、電気式気動車のキハニ36450の片側台車を、回答しました。3軸ボギーは殆ど実体験が無いだけに、工学的意味についても非常に興味があります。
【北鉄その3】出てこい池の鯉で電車関係のみへそ出しとしよう。
1800系は昭和16年11月28日山代車庫火災による復旧車他で、複雑な改番があるのでパス。浅野川フ2→フ12→ハフ24→北鉄サハ211、同前フ1→フ11→ハフ23→北鉄サハ221、サハ601~606は名古屋市電旧1001~1015を鋼体化名義で新造1051~1065に昭和18年10月した際の抜け殻の再利用である。北鉄モハ571~573←同前デ11~13←浅野川カ11~13。カの意味不明。モハ851:詳細は山科の人間国宝の”買収国電”を参照されたし。
以上、昭和29年4月1日、昭和35年5月4月21日訂正、の車両主要寸法及性能一覧表その他を参考にした。前者は昭和32年5月山代車庫で、後者は昭和36年6月公園下・本社車両課で頂戴した。