1957年5月/1958年7月北陸鉄道その5

西金沢(のち白菊町)-鶴来-神社前は旧金沢電気軌道、新寺井-鶴来は能美電気鉄道が前身で、北陸鉄道に統合後は両者合わせ石川線。さらに神社前-白山下の非電化線であった旧金名鉄道→金名線を含め石川総線とも称されていた。神社前とは加賀一ノ宮である白山比め(しらやまひめ。「め」は口偏に羊)神社を指す。なお金名鉄道は1日2往復列車(ガソリンカー)が神社前まで乗り入れていた。電化は敗戦後の1949年12月6日である。

さらに金名とは、以前にも書いた記憶があるが、金沢と名古屋の頭文字で、熊延鉄道(熊本、延岡)や大社宮島鉄道(出雲大社、宮島)などと同類の、大風呂敷・大法螺吹き社名。世の中上には上があるもので、日露支通運電鉄なんて会社設立を謳い、詐欺そのもの?の計画もあった。


2軸単車の59 市内線のお古か ビューゲルとポール両方装着は庫内入換用であろう

モハ1502 汽車会社1925年製のオリジナル半鋼車デホニ102の荷物室・扉撤去

モハ3103 伊那電気鉄道買収車 伊那デ122→国鉄モハ1922→北陸

モハ3104 上と同じく伊那デ123→買収モハ1923→北陸
サハ611 能登鉄道ホハ1が前身とは「真っ赤な嘘」

小生は電車なんぞどうでもよく、このサハ611、612だけを撮りに来たのである。これは能登鉄道開業(1925年3月3日、羽咋-能登高浜)時2両購入した日車製の中型並の木製ボギー客車だが、製造が新しいだけあって、台枠はUF12並、台車もTR11を短軸にしたようなものである。北陸統合でホハ1201、1202に改番、さらに石川線に移ってサハ611、622に。蛇足ながら大正末~昭和にかけ、かような省型木製ボギー客車を開業時新製投入した鉄道には、能登のほか、弘南、北海道拓殖鉄道がある。

ところが、である。このサハ611を、目をこすってよっくとご覧あれ。やったらめたらと古い客車であることがお分かりになろう。台枠はUF11、台車に至っては1911年(明治44年)か1912年(45年)の代物である。すなわち、これは能登鉄道のオリジナル客車ではなく、鉄道院形式ホハ6810(→形式ホハ12000)の、最も古いかその直後―明治製の客車に相違ない。高橋 弘氏が1949年に撮られた写真は、オリジナルそのものである。

即ち、北陸鉄道では国鉄で廃車になったホハ12000形式を、恐らく1955年以降に購入し、振り替えたとしか考えようがない。それにしても振替とは、一般により新しい車両とするものであろうが、14年も古い車両との振替なんぞ、聞いたことがない。事故か何かで損傷したのに廃車手続を避けたのか。それとも新しい方の台枠を新製電車に流用した?可能性もあるかもしれない。電車屋さんよ、何ぞご託宣を。

北陸鉄道の車両紹介は極めて少なく、かつて鉄道ピクトリアル215~220号の「私鉄車両めぐり」も、執筆者には大変申し訳ないが、いまいち分かりづらく、内容にも欲求不満がつのった。このサハ611の項でも、正式の経歴が記されているだけで、挿入写真は明白に振替後なのに、失礼ながら全くお気づきになっていない。

1 thought on “1957年5月/1958年7月北陸鉄道その5

  1. 北陸鉄道の昭和30年代の貴重な写真を拝見させていただき感激しております。そもそも北陸鉄道の車両についての資料は、湯口先輩の仰せの通り、鉄道ピクトリアルNo.215~220の「私鉄車両めぐり」くらいしかなく、内容が今一つ判りづらいため、記事の内容を図解しながら読みました。その中でも今回湯口先輩よりご指摘のあった石川総線のサハ611の写真については、明らかにホハ12000形の形態のため当時から疑問を抱いていました。大正14年であれば車体構造はナハ22000に近く、窓は上昇式であってもおかしくないと思います。この疑問を指摘の上明文化されたのは今回が初めてではないかと思います。もう一つ鉄道ピクトリアルNo.215の記事の中にサハ651が紹介されており、「サハ610形とほとんど同じ形態ながらこれは国鉄ホハ12000形が前身である。能登線へ入線後サハ610形と同時期に石川線へ転属してきた。痛みが激しくあまり使われることなく昭和30年に廃車された」とあります。諸元表には、製造年記載なし、製造会社三山車輌(車輌は工業の間違い)とあり、前回ご紹介いただいたサハ600形(601~605)と同じです。また、能登線の過去の車両要目にはサハ611、612の前身ホハ1形は記載されているものの、この車両についての記載はありません。
    三山工業から国鉄で廃車になったホハ12000形の手直ししたものを3両購入し、内2両をサハ611、612の振替に使用したと考えられなくはないと思います。三山工業は現在も盛業中で鉄道部品の製作等を行っておりますが、工場は名古屋市内から知多郡東浦町に移転しております。
    昭和40年代の金石線に続いて浅野川線を書いております。車両の転属が激しく今一つ判明しない部分があり、自分の撮影した写真とピク誌の記事等を照合しながら進めておりますが、ここにきて急に仕事が忙しくなってきたため現在足踏み状態です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください