羽村さんが遺したアルバムから 〈10〉

趣味団体の会合で、いつも“デジ青”を愛読いただいている方から「最近、投稿が少ないでんなぁ」と言われました。私自身の投稿も途絶えていて、申し訳ない気持ちですが、何気に、右欄の月別の投稿数を見ますと、今月は10件しかありません。「ほぼ毎日更新!」を謳ってきた“デジ青”の看板に偽りありで、とくに外部から暖かく見守っていただいたデジ青ファンからソッポを向かれるのではと危惧しています。このまま推移すると、2001年に“デジ青”が誕生以来、月別最低の投稿数という不名誉な記録になりかねません。
私ひとりでは、どうすることもできませんが、挽回するためには投稿を重ねるしかありません。ネタは用意しているものの、どれも中途半端なままですが、投稿しやすいものから載せていくことにします。まずは羽村さんシリーズ、昭和25、26年は紹介しましたが、続いてスキャンした昭和27年以降分を紹介しましょう。
本シリーズの第一回は、二代目京都駅の写真からスタートしているが(NO.100199)、
昭和25年11月、二代目駅舎は早暁に炎上、焼失する。これを機に、懸案の高架化も検討されたが、一刻も早い再建が優先されて、地上駅のままで駅舎工事が急がれる。わずか1年4ヵ月の突貫工事で三代目駅舎が完成し、昭和27年5月に竣工式が行われた。この写真は、昭和27年3月に三代目駅舎を写したもので、高さ30m 8階建ての塔屋は、まだ足場が掛かって工事真っ最中のようだ。撮影場所は丸物百貨店の屋上からで、手前の建物は京都中央郵便局、現在、京都タワービルの建つ場所だ。京都駅の背後の八条口側には、高い建物はなく、煙を上げる工場が見える。手前に目を転じると、右に市電のループ線があって、3両の市電が停車中なのが見える。ループ線は三代目駅舎の完成に合わせて、駅前広場の再整備の際にターミナル式に改められるから、この点でも貴重な記録だ。

駅前広場から塔屋を見る。中央に掲げられた看板を見ると「京都駅本屋復旧工事」とあり、あくまで焼失した駅舎を元に戻す工事とした捉え方のようだ。手前の平屋は工事中の仮駅舎。西側からほぼ完成した駅舎を見る。この時代、東京駅は煉瓦造りの古い建物、大阪駅は戦争で工事が中止になったままの無骨な建物、これら大都市の駅に比べて、京都駅の何とも近代的でシャープな駅舎は、少年時代の京都人の自慢だった。中央改札口付近、ラッチがズラリ並んだ、この雰囲気は、三代目駅舎が取り壊されるまであった。時計は14時18分を指し、行き先案内の右の二つは「奈良線16時39分発王寺行き」「14時55分発門司行き」を示している。

8 thoughts on “ 羽村さんが遺したアルバムから 〈10〉

  1. 一枚目の写真を見ると、南区は工場の煙突の煙がたなびいて、今と雰囲気が違うと思いました。
    話は変わりますが、最近、国士舘大学の応援団の最盛期、1970年代に4年間奮闘された方の記事が話題となり、当時の先輩後輩は、上下関係が大変厳しかったことが、今の若者に、信じられないという感想で盛り上がっています。
    同志社の鉄道サークルは「体育会系」と外部で言われた噂も耳にしたことがありますが、最近の投稿が少ないのはどうしたことでしょう。
    寒さが堪えているのか、私も最近はうんと元気がありません。
    なかなか厳しい歳末を迎えつつも、皆様の安否を気遣います。

  2. 写真を見ていると懐かしさと共に「へー!?」と言うことにも気付かされる。
    最後の一枚はそんな写真だ。
    中央改札口のラッチは懐かしい。駅員がパンチをカチカチならして“持たせ切り”をしていたのが目に浮かぶ。驚いたのが行き先掲示板。昭和27年とのことだから終戦後7年目、なのにもうパタパタ式になっているのにはビックリだ。
    火災の夜、消防車のサイレンに起こされた。何台も何台ものサイレンと鐘の音が子供心に不安だったのを今でも覚えている。

    • 米手様
      京都駅の火災のことを体験されているのですか。私の場合、鴨川の花火大会の火の粉で、京都御所の中の小御所が焼けたことを思い出します。私の家にも、火の粉がパラパラと落ちてきて怖かったことを思い出します。京都駅火災が昭和25年、御所火災が昭和29年ですから、ちょうど米手さんの歳の差と同じなのですね。

  3. 総本家青信号特派員様

    三代目京都駅、小生には『思い入れ』があります。
    思えば二代目の京都駅が炎上した時は阪神間に在住し小学校低学年でしたが、京都出身の母が悲しんでいた様子に子供心にも同情したのを思い出します。

    また、私自身はたったの2年間でしたが毎日京都駅を利用した因縁があり、他ならぬ青春時代真っ只中の想い出が詰った駅でした。
    彼女とのデートもさる事ながら、カメラ片手に汽車だ電車だと走りまわったのが、本当に昨日の事のように思い出されます。
    山陰線ホームではC51やDD41&DD91を、奈良線ホームでは天ナラのキハ16、更に駅の真ん中を『延々と?』続く黒い貨車を引いて堂々と通過するEH10の他、何よりも有り難かったのは中線で休む我が『国電』を心行くまで撮れた事でした。

    それはそうと、駅の8階建ての塔屋は何なんだろうと思いつつ、中を探検し損なったのが心残りです。

    • 河 昭一郎様、
      ご無沙汰しております。
      この塔屋には食堂が入っておりました。
      行ったことがあるのは「うなぎの江戸川」です。あと「ハマムラ」もあったかな?どちらも八条口のレストラン街に残っています。

  4. 河さま、米手さま
    京都駅の思い出、ありがとうございます。一枚の写真がきっかけになって、当時を思い出していただき、投稿者冥利に尽きます。私も塔屋の思い出はいろいろあります。たまたま塔屋に関する資料を、ある方からいただきましたので、近々に発表します。

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