ここはどこ?わたしはだれ?【増3】

【増3】号車は半車座席指定(ロハ)です。お乗り間違いの無いようにお願いします。まずは自由席(ハ)はどなたでもお答えください。

簡単だ!と侮るなかれ、お答えを下さるのは常連さんばかり。ほとんどの方からは音沙汰無いところを見ると難しすぎるのかと考えこみます。全くヒントがないとどこか分からないのは当たり前。でも、ヒントの出し方が難しい!この世界は特定の分野に長けた方がいて、そんな方がすぐに答えてくださるので頃合いが難しいです。


続いては指定席(ロ)です。いままで答えたことの無い方だけ、お答えください。

13 thoughts on “ここはどこ?わたしはだれ?【増3】

  1. 元祖ここどこに一番乗りしてしまったので指定券は売ってもらえないようで、自由席ですが、山陰であって米子でない、ということでしたら正明市でしょうか?
    乗車経験者除外の指定席の方が難問なような・・・・

  2. 米手様
    確かにC51 80は動きますね。しかし、ほへほへ様の回答には、△を上げても良かったのではないでしょうか。
    C51 80・D51 795は昭和40年前後には山陰本線沿線の機関区に所属しており、右手に見えるC57や庫からお尻を出したC11がいる機関区と言えば、候補は限られてきます。この写真から手掛かりを探し出すと、扇形庫・下路式転車台がまず目につき、矩形庫の機関区が除外されて、浜田・鳥取が落選します。
    次に扇形庫ですが、10線ほどの規模と思われ、番号のつけ方にも特徴があります。梅小路は左から順に1から番号がつけてありますが、この機関区では反対に右からついております。さらに最大の特徴と言えるのが、番号の数字が扇形庫の排煙用煙突についていて、このような扇形庫を持つのは『米〇機関区』以外には考えられません。
    もう一つヒントになるのが扇形庫の後方に見える小山の存在ですが、空撮写真から位置関係がつかめ、『米手』いや、『米〇機関区』に違いないと判断しました。米手様、小生の答えはいかがでしょうか?
    2枚目のC10 8は差し控えさせていただきますが、ホームの表示が大きなヒントになりますね。

    • そうなんですよ。小山の存在です。
      高校時代の旧客末期に米子行ったことがあるのと、小学生の時に亡父に買ってもらったキネマ旬報の「蒸気機関車」誌に、米子機関区のC51 80は化粧煙突が少し高いっていう写真が子供心に強烈に印象に残ってたのです。

      来週漬物店のギャラリー訪問したいと思っています。
      13日も八条口で少し呑んでいました。
      最近京都づいています。

  3. 紫の1863様、ほへほへ様、宇都家様、
    これは私のミスかもしれません。いや、ミスでした。
    この写真はC54を撮りに行ったとき浜田で撮ったと記録していました。その時(中学生)米子で撮った記憶が無かったので浜田機関区と思い込んでいましたが、ご指摘を受けて精査したところ浜田と米子の間に別の写真が写っていたので別の日、つまり米子でも撮影していたことになります。
    ご両人様には謹んでお詫びすると共に正解とさせて頂きます。
    今後もこのような一流大学の入試問題同様の出題ミスがあると思いますが、その都度ご指摘ご訂正をお願い致します。

  4. 米手作市様
    ここはどこ?シリーズ調べようと思っているうちにどんどんコメントが増えてとても出る幕がなかったのですが、指定席を取っていただいたおかげで少々調べる気になりました。もちろんヒントはC108、これが現在大井川にあるのは知っていましたが、さて昔はどこにいたのかとなるとネット検索頼みとなります。1962年に会津若松機関区からラサ工業に行き1994年に大井川に入線、1997年から営業運転開始となっていました。写真の感じから大井川に行く前で、ラサ工業でもない、会津若松機関区時代の写真のようです。ところが会津若松機関区出たのが1962年となっていましたので、この年、米手作市様はまだ高校入学されたくらいのはず、そのお年で会津若松くんだりまで行かれたのでしょうか?
    年代の疑問点はありますが、会津若松機関区であれば行動範囲は磐越西線只見線となり、その中でこれくらいの規模の駅となると会津若松しか考えられません。また、駅名票は判読できませんが、よく見ると漢字4文字のようで、これも会津若松でないかと考えた理由です。

  5. 大津の86様
    コメントありがとうございます。
    だれからもコメントをもらえなかったらどうしようかと思っていました。
    答えは『会津若松駅』正解です。
    文中に「その年で会津若松くんだりまでいったのか?」とのことですが、正直に言いますが、この写真と沼尻鉄道の写真は父親が旅行中に車窓から撮ってくれたものです。近くの温泉への旅行中に手当たり次第に撮ったものの内の一枚でした。“下手な鉄砲も数打ちゃ当たる”の例えを地で行く話でした。

    • 外野より失礼致します。会津若松の会津線ホームは、周囲は変わりましたが、ホームそのものは米手さまの父上が撮られた60年前?と、本質的に変わっていないと思います。跨線橋を越えた4・5番線が今でも同じ用途に使われています。さすがにその向こうのヤードを埋めている貨車・客車は見られませんが、線路はそのままです。元写真と同位置から写したものがあれば良かったのですが、5番線で一昨年秋に撮ったものがあるので、ご参考に供覧したく存じます。

    • 米手作市様
      会津若松は行ったことの無いところですが、ネット検索で失礼しました。また初心者用の指定席お願い致しします。

  6. 宮崎繁幹様、
    ありがとうございます。父も草葉の陰で「いまごろあの写真が役立つとは!」と喜んでいるでしょう。
    会津鉄道の写真を見るに付けても「駅」の雰囲気の変わりように落胆するばかりです。昔の駅の写真には土地の香りと共に旅立つ華やいだ気分が漂っていました。それはどんな裏寂れた駅でも同じ事。でも現在の駅で撮った写真には、あの朝日に向かって立ち上がるようなすがすがしさと緊張感を感じることはできません。私にはその違いが分からないのです。

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