臨時便『西村・米手』号?

どですかでんさんの『併結便』も好評で大成功!

そこで夢をもう一度と行きましょう!
昨年10月15日に西村さんが投稿した「広島駅に残る客車への給水設備」というのを覚えておいででしょうか?あれを見たときに思いついた風景がありましたが撮影に手間取りました。やっと叶いましたので私の「ここはどこ?私はだれ?」との併結便でご覧に入れたいと思います。
諸賢には何をするものかはお判りでしょうが、これが現在も存在するのです。
さて何処にあるのでしょうか?

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15 thoughts on “臨時便『西村・米手』号?

  1. 米手作市様
    まさしく蒸機への給水塔ですね。よく見つけられましたね。確かに撮りにくい場所にありますね。ひょっとすると、入ってはいけないエリアに入って、線路際のフェンスまで近づいて撮られたのでは?この場所にあるということは、△△駅からわざわざ〇〇〇機関区まで戻って給水しなくて済むようにここに設置されたのでしょうか。広島駅の給水設備の記事を見て、ここを思いつかれたのは、さすがだと感心致しました。

    • 心配ご無用!
      入ってもいい場所です。自転車駐輪場のフェンス越しに撮影しました。

  2. 米手作市さま 西村雅幸さま
    こんなところにこんなものが。小生の記憶と西村さまのヒントを参考に、風景からすると京都駅周辺のように思われます。奥に新幹線が通ってますね。手前の在来線には複数の線路がありますが、奥の線路が僅かに右上がりになっています。このような場所は東海道線の下り線が梅小路貨物駅に入る下り貨物線を越えるための上り勾配の始点辺り、つまりタキイ種苗の前辺りと見ましたがいかがでしょうか。はずしたらご免なさいですが、ジャンケンは先に出すにしかずですから。

  3. 梅小路公園のSLスチーム号折り返し地点の近くだったと思います。
    2年ほど前に甥っ子と公園近辺散策していて、何となく記憶にあります。

  4. 西村雅幸さま ほへほへさま
    大宮通りタカバシのすぐ西でしょうか。グーグルアースを見たところ背景の建物形状からそうらしいと判断しました。また給水管らしき物も写っているようですが、探索者同様ボンヤリしていて確証がもてません。このあたりで米手さまから答えが出てくるのを期待しましょう。

  5. 米手作一様
    先日はスヌ31 1が写ったハガキをお送りいただき、ありがとうございました。こちらこそよろしくお願いします。
    しかし、皆様早いですねえ。小生は全くわかりませんでした。皆様の答えを参考に、ストリートビューで五条陸橋の上からのぞき込むと、はっきり見えました。昭和46年のことですが、もう少し西の方で山陰線のC57と、奈良線のC58が並んで待機してました。ですが、蒸機時代の遺物が未だに残っているとは、この投稿を見るまで知りませんでした。
    ところで、ほへほへ様とは西利の写真展会場でニアミスしていたようです。

  6. 投稿を急いだあまりに、「大宮陸橋」とするべきところを間違えてしまいました。謹んで訂正し、お詫び申し上げます。

  7. 講談に“げに恐ろしきは女の執念・・”と言うのがありますが、テッチャンの執念も負けてはいないようです。今回驚いたのは紫の1863様のマネをして、あの1900生さんまでもがgoogleEarthを使ったことです。なんでも「電車」と言う人に「気動車」と言い直したり「インフルエンザ」を「流感」というような寂寥感があります。
    気を取り直してご説明しますと、西村さん、ほへほへさん、ご指摘の通りです。でも、よくこの時代に生き残っていたものと感心しています。かつては同じようなものが京都駅一番ホームの東端にもありました。
    少し角度を変えて場所がすぐに分かる画像を掲載します。

  8. 米手作市さま
    今回は又またディープな題材ですネ。
    直観的に京都駅東のタカバシを八条方面にチョット下った所かな、とは思ったのですが、モタモタしている間に既にコメントは9件。
    ホボ出る幕ナシ状態で、出遅れました。(笑)
    確か、今鉄道警察の有る所は機関車の溜まり場だったと記憶していて、現認してはいませんが、蒸気時代の給水設備では無いかと思いつつ、改めて写真を見て『アホか!』と自分が情けなくなりました。
    『それやったら、バックに新幹線が写る訳ないやろ!』
    で、タキイ方面の『西』の勝ちですネ。
    以上、一人芝居?となってしまいました。(笑)

    • 河 昭一郎様
      写真は北側から撮れば後に新幹線が写ります。ご指摘は間違いございません。でもいくら東にあった駐泊所の写真を見ても給水塔はありません。転車台があるのに見えないのです。かつて給炭庫が撤去されるときになくなったのかもしれません。

    • と、書きましたが、今一度精査したところ発見しました!
      何処やらの役所の役人のような解答ですがご覧下さい。

  9. ところで場所については明らかになりましたが、この施設の本来の目的と運用実態がまだ不明のようです。西村さまの仰るようにかつてのSLへの給水塔(管)だと思われますが、実際にはどのように運用されていたのでしょうか?梅小路機関区所属機は区へ帰投しますが、例えば福知山区のC57などはこの辺りで給水して(通常石炭の補充は不要だったと思われます)折り返しに備えていたのでしょうか?ぜひ出題者の米手さまからお教え願いたいと思います。

    • それが“小さな脳みそ”それもいささか硬化しているものをいくら絞っても、当時ここで給水している機関車の場面は思い出さないのです。福知山区のC57などは梅小路機関区できっちり給炭と給水をしているのを見ています。
      これは奥山先輩あたりでないと分からないのではないでしょうか?

      • 米手作市さま
        早速のご返答有難うございました。見ておられないのであればますますナゾは深まりますね。いったい何のためのものだったのでしょうか。考えれば考えるほど寝不足になりそうです。

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