京都市電北野線に寄せて(3) まるごと特集「レイル」発売

北野線の話題が“デジ青”を賑わすのに合わせたように、北野線をまるごと特集した雑誌「レイル」が発売されましたのでご紹介します。特集発行のきっかけは、平安神宮に保存されているN電2号です。本欄でも、Wakuhiroさん連載の「重文指定」の記事のように、N電2号が、ことし9月30日付の官報で国の重要文化財に指定されました。路面電車としては初めてのことです。

北野線を開業した京都電鉄は、そのあと市営に吸収されたため資料が乏しく、また京電研究の第一人者だった当会顧問の大西友三郎さんも亡くなられて集められた資料も散逸し、その実態は解明されない部分も多かったのです。重文指定を機に、京都在住の趣味・研究者の協力で、不明部分を解明しようとなりました。路線の歴史的経緯、京都電鉄から京都市に引き継がれた車両の番号、改番、仕様の一覧表がまとめられました。車体や台車などの組立図も掲載され、いずれも初公開です。また写真については、ベテラン鉄道写真家の未発表の鮮明な写真で誌面を飾ったほか、私が保管していた写真も活用していただきました。原稿も有志で協力、クローバー会のネットワークが活かされた号となりました。主要書店で発売中です。

クローバー会では、米手さんと私が、N電当時の思い出を担当。米手さんは、京都へ初めて写真店を開設された“千中”が賑やかだった思い出を、私は父に連れられて“天神さん”の日に見た、謎の駅舎について記述。左下の写真は、乙訓老人の千本中立売の写真、当時の賑やかさが伝わる、いい写真だ。

もうひとつ、重文指定の2号の写真掲載も、“デジ青”がきっかけだった。2号は、状態が良くなかったのか、廃止に先立って廃車されてしまい、営業中の写真が残っていない。私も、編集部から依頼されて、家捜ししたが、かの有名な鉄道写真家も撮っていない。諦めようとしたところ、ふとデジ青に載った米手さんの「新・ここはどこ?私はだれ?(中村進一氏のアルバムより)」シリーズに、ズバリの2号の写真があるのを発見、米手さんのおかげで貴重な2号現役の写真を誌面に飾ることができた。

17 thoughts on “ 京都市電北野線に寄せて(3) まるごと特集「レイル」発売

  1. レイルの美しい大型写真が見事です。それに当会の総本家青信号特派員さんも中心となられ、米手作市さん、総本家さんも思い出で登場します。また、大西友三郎さん、乙訓の老人さんの作品も沢山出てきます。沢山と言えば上越線等の旧型電機等の撮影で有名な田部井康修さんの作品も見事です。田部井さんは高崎の歯医者さんと伺っておりますが当時親交のあった五条坂の高橋弘さんのご案内でN電を撮りに来られたとあります。昔の方は東西の積極的交流もあったようで羨ましく思う次第です。総本家さんは最近よく耳にする名古屋レイルアーカイブ(名称は不確かですが)の解説もされています。レイル編集長の人脈も凄いものがあり立派な本ができたと思います。何れにしましても特に京都に関係の深い方には必読、必携の書と言えます。

    • コメント、ありがとうございます。一冊まるごとN電というのは初めてだと思います。最初、ゲラを見た時は、何とも勿体ない誌面の使い方と思いましたが、本になって見ると、このゆったり感こそ「レイル」なのだと思いました。縁あって、いろいろな方から写真を預かっていましたが、それが活かせたのが嬉しいです。それと、高崎の田部井さん、以前、東京・信濃町での趣味者の集まりで、たまたま同じテーブルになりました。初めてお目にかかりましたが、ずいぶん話が弾みました。その時のことを覚えていただき、今回、田部井さんから写真の考証をしてほしいと編集部へ指名があったそうです。覚えていただいて、本当に光栄なことでした。

  2. 総本家青信号特派員様

    北野線と言えば、若き頃に魅せられて「N電の追っかけ」をした時の事や、暑い夏の日中、カメラ片手に汗だくになって沿線を歩いたのが昨日の事の様に思い出されます。
    その頃、聡本家さんと懇意になれていたら、色々教えて頂けたのにと残念な思いです。

    N電の何たるか、Nとは何なのかも知らず、駅前から河原町線で予備校通いだった小生がフト気付いたのがおもちゃのようでメルヘンチックな単車でした。
    乗車して見たそれは、まさしく「乗ってる~」感で一杯の異質体験でした。

    • 河さま
      貴重な写真とともに、コメントを頂戴し、ありがとうございます。河さんのN電の思い出は、ピクの記事でも拝見しております。中立売橋では、たしか堀川の河原まで下りられて撮影されていました。結構、やんちゃな年頃だったのですね。N電も廃止されて来年で60年です。実体験としての思い出を持っているのは、私など70歳代以上でしょう。その意味では“最後のN電特集”の発行の意義は大きいと思います。

  3. レイル116号は、小生も早速に買い求め拝読。おおいに楽しませて頂いて居ります。よい機会ですので、小生所蔵のN電写真からも、少しご紹介したく存じます。まず宮松コレクションにあったN56号の写真、撮影時、場所とも不明ですが、ひらがな系統時代なので、昭和10年以降、終戦までの間の撮影と判ります。場所は、車掌が下車し、停車中で客待ちしている様でもあるので、京都駅前ではないか?、と思うのですが皆さまは、どう思われますか。本筋と関係ないが、婦人案内係が説明してくれるのは、何なのか気になるではありませんか!

  4. 宮崎繁幹様
    貴重な写真をお持ちですねえ。気になって眠れません。何とか調べが付かないものかと、昔の京都駅前を写した写真が載ってそうな本を片っ端から広げ、ようやく分かりました。
    撮影場所は京都駅前です。しかし、有名な「松本旅館」の前ではありません。70~80mほど東で、京都タワーの前あたりになります。レイル116号の39ページに、ヒギンズ氏の写真が載っておりますが、以前はもう少し先まで線路が続いていたようです。
    背景の右側にぽっかりとトンネルのように見えるのは、京都中央郵便局(撮影時は七條郵便局)の庁舎です。問題の意味深な文字のある建物ですが、あいにく電車が邪魔をして読めません。何とか見えないかと苦心したところ「社會〇株車」とあります。京都駅前・車から、観光バスを連想しました。「京都今昔写真集」という本に、昭和30年頃に撮影された京阪バスの名所遊覧バス案内所が載ってました。時代が違いますので、会社名が違うかもしれません。「婦人案内係」とはバスガイドさんのことで、説明してくれるのは名所のガイドではないでしょうか。
    楽しませていただきました。ありがとうございます。

    • 紫の1863さん
      1枚の写真からあらゆる事実を推理される姿勢、さすがですね。
      京阪バスの「京都定期観光90周年」のサイト(pdfファイルです)を見ると、
      『「僅かの時間で愉快に見物」「女子案内者が歴史的に興味ある説明を丁寧にいたします」をキャッチフレーズに昭和 3 年 4 月18 日に京都遊覧乗合自動車(京都定期観光バスの前身)として営業を開始しました。』
      とあり、開業当初より女性バスガイドが乗務していたことが分かります。
      戦前から駅前に案内所があり、京都タワー建設まで同所にあったようです。
      1927年4月18日、京都遊覧乗合自動車が営業を開始する。1928年4月15日、京阪電鉄が京都遊覧乗合自動車を買収、京都名所遊覧乗合自動車を設立し、営業を開始。1939年9月30日、京都名所遊覧乗合自動車が京都聖蹟巡拝自動車に社名変更。1940年1月1日、京阪自動車株式会社が京都聖蹟巡拝自動車を合併。

      • 御二方には、早速に謎解きをして頂き、有難うございました。婦人案内係とは、バスガイドのことでしたか。100年近い間に、乗合自動車はバス、婦人案内係はバスガイドと云わないと通ぜぬ世の中になっていた訳ですね。

  5. N電は是非見たかったですが、間に合いませんでした。
    2号の写真は、どこかで見たような、、、と思いましたところ、カラーブックスの「路面電車 ー消えゆく市民の足ー」(中田安治氏)でして、クレジットに中村氏のお名前が確かにありました。子供の頃に買ってもらい、繰り返し読んだので印象に残っておりました。
    子供の頃、と言えば、学校の図書室か、家か忘れましたが、「小学生の作文集」みたいな本に、N電最終日の情景を描いた作品があったのも印象に残っています。作者さんは10才で書いたとして、1951年生まれで現在69才。作文を書いたことを覚えておられるでしょうか?

    • 宇津家さま
      貴重な報告、ありがとうございます。中田さんのカラーブックス「路面電車」、私も持っていて、さっそく見ました。95ページに中村さんのN電2号が載っていましたね。今日、米手さんと一緒に中村さん宅まで写真をお戻しに行って御礼を伝えたばかりです。本文にも書きましたが、2号は早くに廃車されて、誰も撮っていません。本の著者の中田さんも懇意にしていただいている方です。お二人の関係や、ほかの協力者の間柄は、今日に行って話を伺って氷解しました。

  6. 宮崎繁幹様
    紫の1863様
    乙訓の老人の甥様
    貴重な戦前のN電写真、その解明をお三方にしていただき、感謝申し上げます。私も杵屋栄二さんの写真集で、この場所で撮られた写真を見ることができました。「レイル」N電特集は、編集長の企画で見応えのある本に仕上りましたね。京都市内の書店でも、多くの方が見られていました。私は、ほんの少しお手伝いをしただけですが、60年前の電車が、まだ人びとの心に生きていることを感じました。

  7. 紫の1863さん、北野線の京都駅前電停が、移動していたことを教えて頂き、有難うございました。考えてみれば、京都駅前に最初にやって来たのは、市電ではなく京電で、大昔は狭軌の線路が東海道線を超え、南の伏見線まで繋がっていたのですね。貼付したのは京電時代の京都駅(七條停車場)です。時期は、明治34年から明治末頃でしょう。8号車を挟んで向かい合った電柱に、電車のりばの標識があり、右のには、「伏見いなり、京橋」、左は判読し難いが「?小路」とあります。京都は日本で最初に電車を走らせたのだから、電車の絵葉書は多くあって良さそうだが、他の大都市に較べずっと少ないように思います。多分、絵葉書の題材には、有り余るほど名所旧跡があった為でしょうか。しかし、ここ七條停車場については、各種の絵葉書が見られ、これもその1枚です。

  8. 宮崎繁幹様
    明治年間の京都駅駅前の様子が分かる、貴重な絵ハガキを拝見させていただきありがとうございます。初代駅舎は書籍等で見ておりますが、京電が一緒に見られるものはありませんでした。古地図で凡その位置関係は分かりますが、やはり写真で見ると一目瞭然です。
    京都駅前のN電は戦後の撮影が多く、背景のほとんどに「松本旅館」や「日光社」が見えます。「ラクヨウホテル」の文字をを見ると、これは珍しいと喜んだほどです。
    今回は右手に見えるトンネル状の構造を見て、昔の京都中央郵便局では?と直感したのが始まりでした。そうであれば場所が違うので、古い地図を確認したところ乗り場が移動していることに気付いた次第です。
    小生は電車そのものよりも、背景の建物に興味を持ってしまう傾向があり、時代によって変化する街の様子を楽しんでます。
    この絵ハガキに見える京電の線路は塩小路通なのか、右手に分かれる線路は烏丸通り、いやもっと以前の線路なのかと新たな疑問が湧いてきます。

  9. 烏丸通と初代京都駅の位置関係はこの絵ハガキからわかる。と思います。烏丸通から南向きに京都駅方向を撮影していますが、画面左奥に京都駅の塔が見えます。従って、宮崎氏の絵葉書に写る京電の線路は電車が走っているのが塩小路、右手前にカーブしているのが東洞院となります。

  10. 乙訓の老人の甥様、京都駅(七條駅)前の絵葉書を色々と見せて頂き、眼福でした。複数の画像を合わせると、色々なことが判りますね。絵葉書が何枚も出ましたが、もう一枚京電時代の絵葉書があるので、デジ青の皆さまに見て頂こうと存じます。京都府庁前を通っていたのは、中立売線と云う路線だったそうです。開業は1895(明32)年7月1日、伏見線の開業に遅れること5カ月です。しかし1926(大15)年7月15日に廃止されています。ご覧の様に単線ですが、後方に行違いを可能にするよう複線部があり、ここが府庁前の電停でしょうか。手前の電車は車番が見当たらないが、後方の電車には94の車番が見えます。レイル誌掲載の「N電の車番変遷」表は、大変な労作と感じましたが、それによれば94号は、廃車後に海を渡り朝鮮の平城へ行ったとか。京電の旅客車数が98に達したのは、1909(明42)年、また単線で敷設された路線は、1910(明43)年までに殆ど複線化されたそうなので、その頃この写真は撮影されたものかと。因みに、今も残る京都府庁旧本館は、1904(明37)年の完成でした。

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