昭和の電車 改訂版(118)ー国鉄モハ14+クハ47ー

飯田線、身延線時代の写真を見せてください。

昭和の電車 改訂版(118)ー国鉄モハ14+クハ47ー」への9件のフィードバック

  1. 米手作市様

    久しぶりの「好物」登場で、一番乗りを目指します。
    流石、関先生、非の打ちどころの無い解説に『う~ん』と唸るばかり。
    で、何処かに食い入る所が無いかと・・・・。

    そうだ! 身延線だ!で、勝手に時代のズレをお許し頂く事として。
    甲府~富士間の遠距離を走る同線には、私鉄時代からトンネルが多く、国鉄形そのままではパンタの折り畳み高さの制限に引っ掛かり、(ク)モハ14は屋根を削る事となりました。
    その結果、番号も(ク)モハ14800番代を名乗り、雨樋ギリギリの蒲鉾屋根と成って原形からは程遠いスタイルとなってしまい、ペアのクハ47とは26㎝の高低差が生まれました。
    これが又面白くて、大人と子供を連想してクスクス笑った?ものでした。

    添付の粗悪写真は、ご愛敬として・・・・。

    • じつはまだ澤村さんが健在の頃、と言っても40年ほど前に彼の車(シビック)に乗って飯田線の旧国電を撮りに行ったことがありました。その時撮った写真が何故か見つからず、デジタル化も出来ず今に至っております。
      今回も自力で参加できず悔しい限りです。
      そこで以前にご覧に入れた菱屋の藤田さんの作品をお借りして助けていただきます。これは仲間でしょうか?

      • 米手作市様

        これは豊橋に於ける「両運42形」のようですネ。
        従って17メートル車のクモハ14とは別物でしょう。
        関西の雄と関東(スカ線)の雄が中間地?の静鉄管内に活躍の場を求めた図
        とも言えますネ。

  2. よく似たスカ色の電車を温田駅から少し飯田寄りで撮ったカラー写真があります。窓の数やグローブ型ベンチレータ―の数を数えると多分クハ47のようです。後ろの茶色の電車はちょっと見たところ全長が短く見えますが、ベンチレータ―の数から20m車です。そして3扉ですので、これはクモハ41だと思います。そして米手さんの写真は窓やベンチレータの数からクモハ43ではないかと思います。いかがでしょうか。

  3. もう少し写真をよく見ると河様のおっしゃるように両運のクモハ42のようですね。反対側のヘッドライトがちらっと見えています。そして乗車ドアの次が窓一枚で一番端っこが乗務員ドアのようです。さすが「国電のオーソリティー」感服いたしました。

  4. 私は旧国ファンではないが、中学生の頃、読んでいた「模型と工作」誌にモハ32の製作記事が載ったことがあり、2扉の姿が気に入って製作したことがありました。もちろんペーパー製です。小さな窓が多く、抜くのが面倒でした。と云う訳で、実物は見たこともないのに、懐かしい電車です。宮松金次郎氏の作品には何点かこの電車があるので、御紹介しましょう。貼付したのは、モハ32033で、田町区での撮影です。パンタがあがっていないのが、ちょっと残念です。撮影日不明ですが、後ろに湘南電車が写っていますので、昭和25年以降、昭和28年に形式がモハ14に変更される迄の間です。

    • 米手作市様

      これは、スカ線のクハ76不足を補うためにサハ48から急遽改造され、
      クハ47に編入された車です。
      従って厳密には『仲間』とは言えないかも知れませんが、元々が『スカ線専用車のサハ48』だったので、やっぱり『仲間』ですネ。

  5. 宮崎繁幹様、河 昭一郎様
    もうチョット“ゲタ電”に興味を持っておいたらよかったと反省しています。お恥ずかしい!

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