ちょっとした違和感

先日、京阪の石坂線に乗りました。ふと安全運行の御守を見ると「成田山」になっています。

707号の御守

特急ハトマーク由来の、八幡の石清水八幡宮ぢゃぁ無いんですね!
石坂線の沿線には名刹や古刹が多いのに、わざわざ関東の成田山? と思いました。
しかし 700型は社内改造なので、関東の鉄道会社orメーカー云々は考えられません。

707号(503の車体流用)

Webで調べると、香里園の成田山大阪別院、明王院との関係が窺えます。
かつて同好会のBOXで「京阪vs阪急」のディベート合戦が行われた時も、御守の話は出てないと記憶しています。
京阪の関係者なら社史などで即答できるでしょうが、一般の方々、いかがでしょうか?

 

ちょっとした違和感」への12件のフィードバック

  1. デカンショまつり号です。
    地元京成や北総の車両の前後の運転台には必ずあります。
    新京成には、あるかわかりませんが、多分あると思います。
    成田スカイアクセス線を160キロで走るAEの運転台にもあります。
    北総線内でよく人身事故やりますが、もらい事故対策よりは、自車の事故からのお守りなんでしょうね。
    京急には川崎大師のお守りがあるかはわかりません。

    • デカンショまつり号様、コメントありがとうございます。
      京阪と京成は、よく似ていると思います。両鉄道とも急カーブが多いです。
      京成の大神宮下駅(地上駅時代)など、中書島駅と同じ位、車体が傾いていました。
      また両鉄道ともテレビカーが有ったし、都市交通と相互乗り入れしているし、共通点が多いです。

  2. 「大阪成田山不動尊 大本山成田山大阪別院 明王院」のHPに詳しく乗っています。それによると本山は関東の成田山ですが、HPには次のように書かれていました。
    「大本山成田山新勝寺の起源と関西の縁は古く、天慶の昔、関東で起きた「平将門の乱」平定のおり、大本山成田山新勝寺の開祖:寛朝(かんちょう)大僧正が、ご本尊とともに、海路にて大阪の地を出発した事からはじまります。弘法(こうぼう)大師空海の手によって開眼された不動明王のご本尊を持参し、関東まで参上した寛朝大僧正は、護摩法と不動明王のご霊験により乱を見事平定、その功績により開山・鎮座されたのが、現在の千葉県成田の地:大本山成田山新勝寺の始まりとされています。」
    元の始まりは関西だったのですね。なるほど。

    • 冒頭の「乗っています。」は「載っています。」の間違いです。お詫びして訂正します。

    • どですかでん様、コメントありがとうございます。
      ウィキペデアにて成田山大阪別院明王院(なりたさんおおさかべついんみょうおういん)は、創建が1934年(昭和9年)となっています。
      京阪電気鉄道が成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼したと記述されています。
      また寛朝僧正は京都の高雄山 神護寺(じんごじ)護摩堂に安置されていた空海作の不動明王像を奉じたとも。
      そして大阪別院の御本尊の不動明王は木造黒漆塗りで、成田山新勝寺の分霊です。
      意外と奥が深い話になってしまいました。 (^^;)

  3. 皆さま
    今日一日、元淡路交通の廃線跡探訪を名目に、南あわじ市へ鯛を食しに行っていて完全に出遅れてしまいましたが、車内の「成田山御守」のこととなると一言申し上げねばと思ってコメントいたします。
    鉄鈍爺さまは「成田山」にいたく驚かれたようですが、千葉の本山かと思われたのはさすがに東京在住が長かった故かと拝察します。小生は昭和45年に、現在湖畔にお住いの無印不良品さまから、昭和35年12月に刊行された京阪電車の社史「鉄路五十年」誌をプレゼントして頂き、その中に記載のあった経緯は知っていましたが、元々関西から東上されたなどは全く知りませんでした。このような御守の話題に関して、どですかでんさまと鉄鈍爺さまの詳細に亘る調査には頭の下がる想いがいたします。
    さて社史によると、沿線香里への成田山勧請及び同山大阪別院建立に関する経緯は要旨次のような経緯だったようです。「沿線に多くの土地を所有しており、住宅地として開発したものの、昭和初期の不況と、沿線が鬼門の方角に当たるとして忌避されることが多く、販売は思わしくなかった。そこで所有地の有効利用のため学校誘致等に力を注ぐと共に、鬼門の厄除けという意味からも、また有力篤信者からの協力依頼と尽力もあったので千葉本山へ勧請し、別院を建立することにした。」と。つまり香里の成田山は京阪が造ったともいえるものだったのです。また「千葉本山では別院に奉安する御分身の開眼供養を執り行い、横浜から海路大阪へ、さらに小型蒸気船に乗換えられて淀川を遡上し、香里近くで上陸され別院に入られた。これは昔平将門懲伏の勅命を奉じて、不動尊像とともに東征した寛朝僧正の故事にならったものといわれる」ともありました。恥ずかしながらこの東征の行は全く読み飛ばしていて、今回のコメントで初めて知った次第です。
    おそまきながら、このような経緯から、京阪では大津線を含む全車両に「成田山御守」が車内に掲出されているわけです。また年末年始等の大輸送前には香里の成田山で大規模な安全祈願祭が行われていて、これには運輸関係者のみでなく上位役員も参列しての重要な会社行事に位置づけられています。
    それにしても、小生には当たり前であった御守ですが、視点を変えるとここまで奥深い探求ができるものであったかと、今更のごとく認識を新たにした次第です。

    • 1900生さんのコメントに追記
      皆さんの記述の通り、京阪本線も大津線の車両もすべて「成田山」ですが、男山ケーブル線(八幡市~男山山上)の車両のみ、「石清水八幡宮」のお守りです。(そこにあるハチマンサンに敬意(!?)を表したのだろうと思いますが、詳しい経緯は存じません。悪しからず・・・)

      • 無印不良品さま
        ご訂正ありがとうございます。男山ケーブルは八幡さんのでしたか。見落としておりました。そりゃそうでしょうねえ。
        余談ですが駅に掲出されている石清水八幡宮の広告看板に、いっときホームページアドレスの一部に「80003」という数字が使用されていたことがありました。皆さま意味はわかりますよね。

      • 無印不良品様、コメントありがとうございます。
        なるほど、、、
        この伝でゆくと、合併された路線が多い私鉄には、路線毎の御守が存在する可能性がありますね。
        今後、車内でメーカーズプレート等を撮影する際には、御守も併せて撮らねば! (笑)

    • 1900生様、コメントありがとうございます。
      京阪の社内行事として現在でも盛大に祈願されている由、京阪ファンでも、なかなか知り得ない分野ですね。
      おそらく裏側で、ご奉仕の社員さん達の甘苦も伴うのでしょう。

  4. 番外:御守事情あれこれ
    =====
    居酒屋さんで隣り合った方が公営交通にお勤めだったので、御守の事を聞いてみました。
    —–
    昔は御守を掲示していたが、組合活動家から「公営企業に宗教は馴染まない」との問題提起を受けて、御守の掲示を取り止めた。
    しかし安全運行で職員が日夜邁進するも、人智を超えた(想定外の)事象に対する加護を求め、乗客には見えない所に祀ってますとの由。
    鉄道ファンには知り得ない苦労が有るものです。

    • 鉄鈍爺さま
      御守に対するご関心が高くなってきて嬉しいですね。いよいよ奥が深くなってきましたね。
      隣席の方が仰った言葉は非常に重いと思います。
      実は小生、若い頃は「何を神頼みか」と半ばバカにするような考えでいましたが、大規模工事の現場や利用者の安全に直接かかわる業務を経験するにつけ、「やることは全てやった。これでよし」という半ば傲慢な気持ちには中々ならないことを身をもって体験することとなりました。
      必ずしも事故や失敗に限らず、たとえ成功してもそこには何らかの「運」が作用しているのではないか、と考えることを多く体験しました。
      皆さまもご経験がおありだと思いますが、人はこういう体験をすると自然に神仏に祈ろうという気になるようですね。
      足らざるを頼むのではなく、準備は万全だが運にも恵まれたいとでもいうことでしょうか。
      こう考えると公営私営の別は関係ないと思いますが、表でなく裏方でというのがその証左かと思ったものです。

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