令和に改元されてから10日が経過しました。令和元年という年は、私にとって会社をリタイアしてから10年が経過し、そして自身が70歳を迎える年でもあるのです。70歳と聞くと、“よくぞ生きて来た”の思いが交錯します。鉄道趣味人生も、最後のラストスパートのとき、過去を振り返りながらも、健康年齢の間にできる目標をしっかり掲げて、到達点を目指して、日々前向きに進んで行きたいと願っています。
ちょうど10年前、自由人になった頃、“デジ青”誌上で、これからの目標として、次の4点を掲げました(原文ママ)。
①以前に訪れた撮影地・駅を再訪問して、その変貌振りを確認したい。
②今では大きな価値も持たないが、JR全線乗車への努力を継続したい。
③車両だけでなく、鉄道遺産、バス、近代建築など個人的な興味にも時間を割きたい。
④この年齢、この時期だからこそ利用できる特典・割引は最大限に享受する。
以上の4点、どう実行できたか、この10年を検証しながら、令和の時代の趣味生活を見据えてみたいと思います。
▲10連休も終わったが、365日連休の私にとっては、“それが、なんやねん”という気持ちだ。ただ新幹線の混雑や、高速道路の渋滞を聞くと、何か取り残されたような疎外感を味わいながら、家に引き籠もっていた。唯一行ったのが、近くの阪急桂川鉄橋の夕景で、撮ってから、写真ソフトで“いじる”楽しさを覚えた。体力、気力が衰えた今、軽いカメラでサクッと撮って、すぐ引き揚げる。自分で“撮りたいもの”だけを撮る、この信念を貫きたい。
①以前に訪れた撮影地・駅を再訪問して、その変貌振りを確認したい。
時代を隔てて、同一地点の変貌ぶりを記録する「定点撮影」は、長く鉄道趣味を続けてきた人間だけの特権だと思う。やってみて気が付いたことは、大自然のなかで撮ったものは、車両の変化はあっても、周囲には比較するモノがない。生活感のある、駅や街並みバックが、定点対比の醍醐味だと改めて感じた。なかには三代に渡った対比もできた。
▲根室本線は茶内、DRFC現役時代に、西村さんらと北海道を訪れた時、入線するのはキハ08 3+キハ21 18の2両編成、キハ08はオハ62からの改造車で、車内は種車の客車そのもの。この日は茶内~糸魚沢で撮影し、この列車に乗って釧路へ戻るところ。根室本線の列車は、DCは2連、客車も混合列車が走っており、荷物・郵便車を含む4両編成だった。札幌からの急行列車も運転されていた(1971年3月)。
▲霧の立ち込める茶内駅に進入する5624D列車。上の40年前と比べると構内の配線は変わっていないが、周囲の光景はすっかり寂しくなってしまった。しかし7人もの乗客がいて、高校生も見える。前の年に晴れて会社を退職し、ぶんしゅうさんのクルマに乗せてもらって、久しぶりの北海道旅行を楽しんだ(2010年6月)。
▲ことし根室へ向かった際、再び茶内で交換列車が撮れた。列車は、2010年と同じ5624D、時刻は午前7時過ぎ、日曜日ではあるが、通勤・通学客が一人ぐらいても…、の思いもむなしく、列車の乗降はゼロだった。いっそう、地方の人口減少、過疎化が進んでいる実態を垣間見た。なお、本来はこの線区はキハ54だが、車両の不具合があり、キハ40が代走していた。車両の変遷だけでなく、乗客数や背景も、その時代を物語っている(2019年2月)。
②今では大きな価値も持たないが、JR全線乗車への努力を継続したい。
いま最新のJTB時刻表に挙げられているJR全線の総距離は、新幹線も含めて19,715km。宮脇俊三氏が「時刻表二万キロ」を著した40年前の国鉄の総延長が20,992kmと言われており、その間に廃止や三セク転換もあったが、新幹線の延伸もあって、まだまだ総延長は長い。クローバー会でも全線乗車を果たされた方もおられると思う。私も、機会があれば、未乗車区間に乗るように努めてきた。北海道、四国、九州はほぼ完乗しているものの、本州はまだ相当の抜けがあり、とくに山口県下、そして、関東周縁部に、まだまだ未乗区間が残っており、来年あたりには完乗を果たしたい。
▲つい先ごろ、越後線、弥彦線の初乗車を果たした。両線が吉田で十字にクロスするため効率が悪いが、半日で回ることができた。ほとんど越後平野のど真ん中を走り、とくに優れた風景はないが、その分、長い鉄橋で渡る信濃川は印象に残った(左)。また、昭和50年に廃止になった越後交通寺泊線の廃線跡が、寺泊の構内にまだ残っていた(右)。
▲特徴の無い路線でも、空が青から黒に移るブルーモーメントの時間帯は絵になる。初めて乗った路線で、しみじみ旅情を味わうのもこんな時間帯だ(越後線西山)。
③車両だけでなく、鉄道遺産、バス、近代建築など個人的な興味にも時間を割きたい。
要は、近視眼的に車両ばかりを注視するのではなく、この歳らしく、もっと、ゆったりと鉄道やその周辺を楽しみたいと言うことで、これからも実践を続けたい。
▲バスは、各地の駅に降り立てば必ず撮影しているし、地元でも日々の記録を続けている。いっときに比べて、車両そのものの興味は薄らいだが、多彩な塗装や分社化による新会社が見られるのも楽しい。写真は、自宅から歩いて3分の桜満開のなかを行く阪急バス。
▲鉄道遺産の探訪も地元優先、近くの東海道線も歩いて仔細に観察すると、知られざる遺産が見られた。のちに大津の86さんとともに「京都・大津の鉄道遺産」を雑誌に発表する契機となった。
④この年齢、この時期だからこそ利用できる特典・割引は最大限に享受する。
シニア限定の割引切符や、会員制の割引制度が巷にあふれている。発売期間や条件をよく吟味したうえで、利用している。最近は、鉄道だけでなく、LCCも活用、現地まで飛行機で行き、現地で割引切符を購入するのが、最近の旅行スタイルになった。信じられないことだが、LCCの限定バーゲンをピンポイントで狙うと、北海道まで2000円足らず(運賃のみ)で行くこともできる。ホントに凄い時代になったものだ。さらに、70歳以上誕生日限定で、1円で泊まれるビジネスホテルもあり、来月、それに該当する私はさっそく申し込んだ。カネを掛ける旅行なら誰でもできる。カネを掛けずに、快適で、少しだけリッチな旅行をしたい。ゲーム感覚で旅行計画を楽しんでいきたい。
総本家先輩
九州から”おとりん”です。いつも拝見してます。小生はこの3月で還暦、定年退職しました。前職(旅行会社)からみで何か仕事があればとは思ってますが・・・
全国の鉄道踏破、JR、JR以外全てを、思っていましたが道のりは厳しく定年を前にJR線に絞ることとしました。4月は越後湯沢~ガーラ湯沢、米坂線、北陸新幹線、七尾線、氷見線、城端線、高山本線を乗り終え「乗りつぶしオンライン」では92.17%となっています。
残すは東北が中心ですがなかなか厳しいものがあります。また進捗状況を掲載させていただければと思っています。今後ともご指導ください。よろしくお願いします。
オトメトシヒコさま
コメント、ありがとうございます。オトメさんとお会いしたのは、たしか、この前の祇園でのクローバー会写真展だったと思います。その時も定年が近づいていることをお聞きし、私よりウンと若い方が定年とは、自分が歳をとるのも当たり前と思ったことがあります。さて、乗り潰しですが、マラソンにも似て、90パーセント前後を終えた頃が、難関路線ばかりで、かなりシンドイと思います。ただ、別に競っている訳でもなし、切迫感、義務感は何も感じません。全国あちこち旅して、結果的にJR完乗が付いてきたという思いで、のんびり続けていきます。
総本家先輩
ご返信ありがとうございます。「乗りつぶしオンライン」での現状を添付します。
今夏は北海道新幹線、津軽線、大湊線、そして東能代~能代を」目指します。1回生の夏季旅行、東能代から能代へバスで移動・・・今となっては・・・でも行くしかありません(笑いと涙)
おとりんさま
「乗りつぶしオンライン」、こんなサイトあるのを初めて知りました。さっそく会員登録しました。これは、きっちり達成率も出て、励みになりますね。北海道を試しに入力しますと、未乗の日高線をのぞいて93%となりました。日高線はいまも不通、こちらも(汗と涙)です。
総本家青信号特派員さん、ラストスパートですか!
こちとら、意気地無しの割に興味が分散化していて、チットモ終活には至りません。とにかく「これだけはっ!」と思う強い思念が薄弱なのが最悪です。
老年者の癌発症率が50%とも言われる昨今、健診でマーカー値が高くなっても修正出来るか怪しいものです。(苦笑)
でも実行している事もあります。
1.デジ青で、自己主張します。
老人の戯言として「同じ様な事を何回もクドクドと投稿する」であります。
閲覧されている方も齢を重ねられます。いずれ「かつてバカな事を吹聴していた奴が居た」と思って頂ければ幸甚です。
2.マイペース、無理しません。
あくまで、その時の気分で行動します。決してオーバーペースにならない様、心がけます。
他人様に迷惑を掛けても、どんな評価を下されても、それは私自身の現状の一側面なので受け入れます。
3.お金の多寡より、コストパフォーマンスを考えます。
京都市内の老齢パスを持っていますが、状況によりタクシーを使います。
市バスも利用の仕方で、タクシーに近いパフォーマンスが得られる場合もあります。
とに角、バス路線図(注-1)で色々調べてみるのも為になります。
(注-1)京都市のバス路線図は「観光客用」と「地元民用」の2種類があります。
鉄鈍爺さま
ご返信、遅くなりました。いつも、暖かい気持ちで見ていただき、ありがとうございます。書かれていること、立派な老人の私には、身にしみて感じます。マイペース、無理をしない、同感ですね。ほかの人と比較したり、競ったり、全くしません。“何がしたいか”ではなく“何ができるか”です。令和がいつまで続くか分かりませんが、令和元年には、こんなことができたと思い返せるように、日々頑張って行きますよ。