京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道の未成線その4)

4.立木登山鉄道

大正11年に比叡山への参詣客を目的として大津電車軌道を含め3社が比叡山へのケーブルカー建設が出願された。これに合わせたのであろうか、大正11年12月1日大津電車軌道は立木観音の参拝客の為に、鹿跳橋手前の瀬田川べりから立木観音へのケーブルカー敷設の免許を出願した。

↑ 図6:立木登山鉄道計画平面図(滋賀県県政史料室歴史史料「大と21-1-7」に加筆)
鹿跳橋手前から立木観音本堂に至るケーブルカーであった。石山寺終点から立木山下停車場まで大津電車軌道の瀬田川沿いの路線の延長も計画されていたようだ。

延長距離23鎖50節91間(約470m)最急勾配1:2.8のケーブルカーで、軌間1067mm、6時から18時まで運転回数72回(36往復で20分毎の運転)を計画していた。免許申請書にはケーブルカーの英文構造図がついていて海外メーカーへの検討もある程度進んでいたと思われる。免許申請書につけられた起業目論見書によると、総工費93,000円。1回あたりの乗客7人、料金10銭で年間の収入18,396円これに対して支出は8,460円となっている。これで行くと毎年約1万円の利益が出て10年で建設費が償却できることになる。果たしてこんなにうまく運営できるのだろうか。先に述べた南郷線の延長が実現しておればまだしも、ケーブルの起点の鹿跳橋手前に行くのには瀬田川沿いの狭い道しかない。案の定、認可は降りなかったようで、そのまま免許申請中の状態が続き、大津電車軌道と太湖汽船が合併した琵琶湖鉄道汽船を昭和4年4月に吸収合併した京阪電鉄は免許申請をそのまま継承したが、昭和6年3月16日「弊社としては線路敷設の得失を考慮の結果収支相償い難きもの有之と存ぜられ候間お手数の段恐縮に候え共右申請を取下げ致度此段御願申上候也」ということで申請の取下げを願い出、同年4月22日鉄道省監督局より免許申請書は滋賀県知事あて返送された。

↑ 写真11:鹿跳橋西詰立木山下停車場付近の現状
地図から見ると道の左側から斜め45度方向に向かって線路が計画されていた。

↑ 写真12:立木観音参道
こんな階段が約800段も続く。金刀比羅宮のような駕籠もなく、老人にはつらい。(金刀比羅宮の階段は本宮まで785段でこちらの方が多い)

実現の可能性の低いこの建設計画だったが、先の大正11年12月1日付免許申請書の冒頭には「今般弊社に於いて既に軌道延長敷設特許申請中の(大電発第1155号)終点滋賀郡石山村字南郷より同郡同村大字南郷立木観音本堂前付近に達する釣瓶式地方鉄道を敷設し・・・」の一文がある。つまりこの時期ケーブルの起点である石山村字南郷に達する軌道延長敷設特許が申請されていたようである。ところが先に述べた南郷線の項で出された大正6年6月の特許申請書は大電発第635号であり、大正11年には既に特許が失効していた。ということは、その後、立木登山鉄道免許申請と同時期に大電発第1155号で再度立木山下までの南郷線延長の特許申請が出されたのだろうか。残念ながら立木登山鉄道のその後の経過含めて県政史料室にこのあたりの史料は見当たらなかった。

2 thoughts on “京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道の未成線その4)

  1. ケーブルカーを敷設しようとしていたのですか。あれば参拝に楽でしょうに。ところで奈良の若草山に「嫩草山登山電気鉄道」敷設申請が大正14年1月10日に出されていますが、同じ年の12月19日に不許可となりました。奈良県公文書に申請書があり、奈良県立図書情報館のデジタル化されているので閲覧できます。それを見るとスイッチバックで登る計画でした。最近も若草山に登るモノレールの計画があったのですが、景観が損なわれるとして大反対に会い、計画は頓挫しました。

    • どですかでん様
      大正から昭和の初めにかけてケーブルカーがブームだったのでしょうか。比叡山、愛宕山、信貴山なども同じような年代にでき、若草山にも計画があったのですね。
      立木観音には何度か参拝に行きました。先日投稿用の写真を撮りに行ってお参りをしようと思ったのですが、猛暑の日で少し登って断念しました。それでもふもとの駐車場には結構な車が停まっており、ケーブルができておればずいぶんにぎわったことでしょう。でも少々ご利益が少ないかも・・・

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