【105222】京阪大津線の歴史を調べて(1-1)

京阪大津線は京津線の前身、京津電気軌道が大正元年に三条大橋~札ノ辻間が開通、石坂線の前身、大津電車軌道が大正2年に大津(現在のびわ湖浜大津)~膳所(現在の膳所本町)が開通し、その後延伸、路線の変更があって現在の形となりました。総本家青信号特派員さんからお誘いを受けて、旧東海道線の遺構を調べた後に、京阪大津線についてもその遺構を調べたくていろいろな書物、地図を見ましたが、本によって記載の異なるものが多く、また、不明な点もあったため、滋賀県県政史料室の歴史的資料を調べてこれらを解明したいと考えました。先にご報告したように、県政史料室の歴史的資料は項目ごとに分類されており、そのリストも公開されていて調べやすくなっています。この宝の山の中から、まず、石坂線で廃止された駅について順に報告したいと思います。
第一章 石坂線の廃止駅
石坂線には現在比叡山坂本から石山寺まで21の駅がある。これ以外にも漣、川口、大橋堀、紺屋関の4つの駅があったが、いずれも戦前に廃止された。新しいものでもすでに廃止から70年以上経っており、詳しいことが不明なものが多い。資料1:大正末期の浜大津駅付近(大正11年測量、大正15年発行大日本帝国陸地測量部1/25000京都東北部より)

大正11年に開通した浜大津-三井寺間延伸後で、札ノ辻-浜大津間は延伸前。川口駅、大橋堀駅は記載が無いが、この当時の地図では駅の新設、廃止がすべて反映されているわけではなかった。

1.川口駅
先に記載した4つの駅の中で一番資料の少ないのは川口駅である。浜大津と三井寺の間にあり大正11年5月15日当時の大津電軌が浜大津-三井寺間を開通させたときに設置されたようだが、その詳しい場所と廃止時期は不明だった。大津市歴史博物館の大津市制100周年記念企画展「大津の鉄道百科展」図録にも川口駅は扱い廃止共不明と書かれている。また、京阪電鉄100年史にも他の3駅の設置廃止時期は書かれているのに、京阪合併前であったためか、川口駅はその存在すら書かれていない。今回見つかった資料は昭和3年2月24日発行の「停留場廃止御届」で本文には「昭和三年三月一日ヨリ川口停留場ヲ廃止致度候ニツキ理由書相添ヘ此段及御届候也」とあり、理由書には「川口停留場ハ浜大津及三井寺停留場ノ中間ニ位シ、浜大津停留場ヘハ11鎖50節(営業哩程零哩貳分)三井寺停留場ヘハ八鎖九拾節(営業哩程零哩壹分)ノ短區間ニツキ自然乗降客も少ク停留所存置ノ必要ヲ認メズ廢止セシムトス」とある。
これ以外に川口駅の存在と廃止の時期を裏付ける資料としては鉄道省編纂汽車時間表がある。大正13年3月15日改正のものには川口駅が記載されているのに対して、昭和5年10月1日改正のものでは記載がない。廃止の時期は昭和3年3月1日が正しいと考えられるが、疑問の残るのが開業の時期である。川口駅のある浜大津-三井寺間が開通したのは大正11年5月15日で、開業と同時に駅が設置されたと記載されているものと、延伸後の同年(月日は不明)に開業したと書いてあるものもあり、このあたりはさらに今後資料の調査が必要となる。
    資料2:旧川口駅のあった場所
川口駅の正確な場所については、今のところ図面等が見当たらず、先の資料の浜大津から11鎖50節、三井寺停留場から8鎖90節を頼りとした。
鎖とは1/80マイルで20.1168m、節は1/100鎖で約0.2mとなり、これで計算すると浜大津より231m、三井寺から179mとなる。当時の浜大津駅は現在のびわ湖浜大津より西側にあり、三井寺駅の位置は当時と変わっていないため、こちらからの距離179mを地図上でプロットすると図の位置となる。当時このあたりは川口堀と言って、琵琶湖を船で運んだ諸物資を荷揚げするための舟入堀があった。大津電車軌道の線路はこの堀を鉄橋で越えていたが、昭和9年までにこのあたりは埋め立てられ昭和9年10月13日には鉄橋撤去着手届が出ていて、10月15日には竣工の報告書が出されている。その後堀は完全に埋め立てられ、昭和31年に現在の川口公園として整備された。先の地図上のプロット位置は川口公園の西側にあたり、当時鉄橋の西側に駅があったことがわかる。    写真1:川口公園と川口堀の説明石標

浜大津から三井寺に延伸された時、現在の明日都浜大津前から緩くS字にカーブしている辺りは道路が新設され、その先は里道を拡張して併用軌道となった。現在でもこの部分は併用軌道で道幅も狭く、駅とは言っても路面で、安全地帯もなかったのではと思われる。  写真2:川口駅付近の現在、正面の家の前あたりが停留所のあったところ

3 thoughts on “京阪大津線の歴史を調べて(1-1)

  1. 大津の86さま
    よくお調べになりましたね。詳しいご調査には頭が下がります。京津線の京都市営地下鉄への乗入れ前に1年ほど大津に赴任していましたが、川口の地名は違法駐車の現場としてよく耳にしました。その際にむかし駅が在ったとチラッと聞いたような気もしますが、今となっては記憶の彼方です。文中にもあった川口公園付近は道路両側の建物が途切れているため、何となく空間的に余裕を感じるのと、周辺に呑み屋が多いこともあって、度々電車の運行に支障するような駐車があり、その都度支社ビルから4~5名がすっ飛んで行き、人力で車を移動させて運行を確保していました。
    ところで漣、大橋堀は聞いたことがありませんね。また「漣」は何と読むのでしょうか?紺屋関は小学校の地図帳に載っていたので認識していましたが、その後幻の駅になってしまいました。なおウロ覚えですが、志賀里~穴太間に一時期「水耕農園前」というのもあったそうです。仮設かもしれませんが。また旧札の辻駅は白洋舎(現在も在るかどうか)の位置だったと教わりました。続編を楽しみにしております。

    • 1900生さま
      コメントいただきありがとうございます。地元にいても知らないことが多いので調べ始めました。京阪本線についてはいろいろ文献もあり発表もされていますが、大津線に関しては情報が少なく、特に京阪合併より以前について書かれたものは諸説あってどれが本当かわからないものが多くあります。役所の資料は信頼性が高いので今後も調べていきたいと思っております。
      漣は(さざなみ)と読みます。旧札ノ辻駅の場所にあった白洋舎は当時の札ノ辻駅の待合所の建物で、京阪の持ち物でした。白洋舎が営業やめた後、復元しようという話もあったのですが、残念ながら一昨年壊されてしまいました。写真で信号機の下に見える三角の部分は当時のままのものです。

      • そうですか、暫く京津線に乗らない間に白洋舎の建物は解体されていましたか。この旧札ノ辻駅の話題を先走りしてしまい済みませんでした。続編を期待致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください