京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その2

2.5つの仮停留場

部分開業に伴って坂本、三井寺、兵営前、山上、松ノ馬場の5つの仮停留場の設置願いが出された。まず、先に紹介した昭和2年4月25日付「仮停留場設置御届」では兵営前、山上、松ノ馬場の3駅について仮停留場の設置願いが出された。兵営前、山上は前項で述べた陸軍との土地交換が遅れ、兵営前、山上間が完成しないため、三井寺-兵営前、山上-松ノ馬場の折り返し運転用に仮停留場を設置した。ところが同じ文書に書かれている松ノ馬場の理由書を見ると松ノ馬場停留場用地の一部及びその北側の用地で、当初住民の電車敷設反対があり、用地買収が遅れたためとある。

 

資料3:兵営前仮停留場平面図(県政史料室歴史史料、大と1より作図)
折り返しの設備を持ち、路面電車タイプの低床のホームが作られた。


資料4:山上仮停留場平面図(県政史料室歴史史料、大と1より作図)
同じく折り返しの設備が作られたが、こちらは高床のホームが作られた。
また、昭和2年4月29日付「仮停留場設置御届」では三井寺に仮停留場の設置願いが出されている。こちらの理由書も陸軍の土地交換とは関係なく、三井寺駅の用地買収が遅れて着工できなかったとなっている。さらに、坂本駅も同様に昭和2年7月21日付け「仮停留場設置御届」で、駅舎予定地の用地買収の遅れを理由に仮停留場設置を申請している。要するに陸軍の土地交換を全通遅れの原因としているが、それ以外の原因もあり、全線同時期に開通させることは難しかったものと思われる。


資料5:松ノ馬場仮停留場平面図(県政史料室歴史史料、大と1より作図)
複線の線路の片側部分上と反対側の線路に対向する高床式乗降場が作られ、乗車場と降車場が分けられていたようだ。
琵琶湖鉄道汽船が仮停留場を作ってでも開通を急いだのは同時期に開通した比叡山鉄道との関連があった。比叡山鉄道は大津電車軌道と比叡山鋼索鉄道、叡山電気が三社共同で出願して設立した会社で、比叡山延暦寺への参詣などを目的として昭和2年5月15日に坂本-根本中堂間のケーブルカーを開通させた。比叡山に京都側から登る叡山鋼索電鉄(現在の叡山ケーブル)は既に大正14年から営業を開始し、比叡山空中ケーブル(現在の叡山ロープウェイ)も昭和3年の開業を目指していたため、大津電車軌道の三井寺-坂本間が開通すると比叡山を巡る鉄道が完成することとなり、乗降客の増加が見込めた。
昭和2年4月25日付「假停留場設置御届」にはこのあたりの事情について、次のように述べられている。「而して弊社の姉妹会社たる比叡山鉄道株式会社のケーブルカーは既に3月15日より開業致居候につき弊社坂本線は単に一地方の交通機関としてのみならず比叡山を中心とする循環線路の一部として其開通を要求せらるるもの誠に切なるもの有之候間一日も早く運輸開始致度希望に有之候ため一時前記両仮停留場を設置する次第に御座候」但し三井寺-坂本間が全通しても京都から来る場合、浜大津、三井寺で乗り換えを強いられ、当初の思惑通りの乗客を確保できず、また、高規格車の導入等経費が増大し、琵琶湖鉄道汽船は設立後わずか2年余りで京阪に合併されることとなった。

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