昭和の電車 改訂版(46)ー南海電鉄モハ1号ー

今回は南海の新製能テスト用車輌。
この時期の関西私鉄は、旧型車輌を使った新製能テストを相次いで作っていたことが分かる。それにしても木造車体の新製能テスト車とは思い切ったものですね。

関西私鉄でも「南海」「阪神」への興味はイマイチと言うことなのでしょうか、反響の薄さが気になります。

昭和の電車 改訂版(46)ー南海電鉄モハ1号ー」への5件のフィードバック

  1. 全くご縁の薄かった南海電車ですが、私の南海は北丹鉄道のハニ11です。新型台車を履かせてもらって、次世代誕生への貢献を果たしたモハ1があった一方で、湯口先輩の言を借りれば「国内最悪、言語に絶する劣悪軌道」の北丹鉄道で、そろりそろりと由良川の河川敷を行ったり来たりしていた兄弟分もいたのです。昭和45年11月3日、ホースT氏の奔走で実現したDRFC北丹乗車会での写真です。河守駅の先端の草むらで元南海は痛々しい姿をさらしていました。

    • 1968年(昭和43年)頃(多分!?)にはまだ現役でした。
      重沢さんのスバル360で湯口さんと、加悦と北丹に行ったことがありました。
      確かに北丹の線路状態は最悪で、レールを留めてる(ハズの)犬釘が手でスポッと抜けるのには、さすがの(軽便の雄)湯口さんもアングリでした。

  2. DRFC-OB 西村様へ
    南海電車は大阪在勤中、何回か乗りました。難波から関空行きの丸窓の(鉄人28号みたいな)特急電車が印象的です。昔は南海・西鉄戦がパ・リーグの黄金カードでした。

  3. 西村さん、
    こんなところにポツンと一両、ですね。関西人でも近畿地方の府県は?と聞かれて和歌山県を入れ忘れる人が多いと聞きます。九州の佐賀県みたいに。そんな和歌山県と大阪を結ぶ南海電車が趣味の人気がイマイチなのもしかたがないのでしょうか。でも、廃車体が淡路島や丹後の北丹まで行っていたのは記憶にとどめるべきでしょうね。

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