信貴電をゆく 東信貴ケーブルふたたび 投稿日時: 2020年4月3日 投稿者: どですかでん 前の「信貴電をゆく 信貴山下駅と勢野北口駅辺り」で最後の写真は下の写真のためです。 ご覧のように信貴山へ上り下りしていたケーブルカーが信貴山下駅に戻ってきたのです。 元気にお客さんを乗せていた頃はこのような風景でした。 遠くに大和川が見えます。それではケーブルカーに乗って信貴山に行くことにしましょう。 ご乗車ありがとうございました。またのご乗車をお待ちしております。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 信貴電をゆく 春はえんどう 信貴電をゆく 信貴山下駅と勢野北口駅辺り
どですかでん様 武漢発ウィルスでいろいろ大変な中、タイムスリップの旅へのご案内有り難うございました。YouTubeで乗車を楽しませて頂きました。 思い出の出発駅に車両が戻る、素敵なことですね。きっと子供達が「あれは何の電車なん?」と問いかけ、昔を知るおじいちゃんが「あれはな、信貴山に登るケーブルカーでな、ここから走っていたんやで!・・」てなシーンが目に浮かんできます。 この車両の前面の窓は二段式なんですね。後方からも景色が見やすいようにといった配慮からの設計なんでしょうか? 1983年に廃止されたとか。よく車両が復活したものですね。 返信 ↓
そうです。もどってきたのです。前は三郷北小学校で保存されていたのですが、元の信貴山下駅のところで展示保存となったのです。車内にも入れるようなのですが、狭い車内ですのでウイルス感染防止でしばらくは入れないようです。ちなみに、この東ケーブルは日本で3番目にできたケーブルカーです。そして、この車両は2代目となります。社史によると開業当初の車両は大正10年で自社製造とあります。この2代目は昭和8年藤永田造船製です。ところで全面の窓が上り側と下り側とちがうのです。(写真参照) 返信 ↓
動画(と言ってよいのでしょうか)面白いですね。一緒に移動しているような雰囲気となりました。信貴山口駅から真直ぐ西北寄りに伸びていて千本桜並木道と書いているところがケーブルの線路跡なのでしょうか?この季節桜が満開ですか。今年は無理ですが、来年は廃線跡ハイクと花見を同時にしたいですね。 返信 ↓
VEGAS Proという映像製作ソフトで普通の写真をアップにしたり引いてみたり、拡大して画面を移動したりして作りました。ちょっと厄介ですが面白いです。ところでケーブル線跡はたしかにグーグルマップで「千本桜並木道」ですが桜並木ではありません。動画のすれ違いから先の所が「千本桜並木道」のところになります。グーグルマップの表記はなにか別の所と勘違いしているようです。帰りはバスで信貴山下に下るといいと思います。特に正面から見る眺めはなかなかの絶景です。恐ろしい急勾配、急カーブのバス道ですから。 返信 ↓
廃線後、37年も経っているのに、綺麗に保存されているのに感心しました。地元の方々の情熱を感じます。小生、鉄道絵葉書も少し集めております。中にこのケーブルカーの昔のものがあるので、お目に掛けましょう。1枚目は、信貴山下駅で、信貴生駒電鉄の102号、とケーブルカーが一緒に写っています。102号は、わずか数年しか使用されなかったそうです。撮影は従い、大正末年頃のものと思います。鋼索線の車輌は、初代のもので昭和8年頃まで使用され、保存されている2代目の車輌に置換えられたそうです。ところで絵葉書をよく見ると、左側に車庫があるように見えます。信貴生駒電鉄は、ここに車庫を置いていたのでしょうか?御存知の方が、おいででしたら教えて下さい。 返信 ↓
貴重な絵葉書を見せていただきありがとうございます。右の電車は村田式台車をはいたデハ100形ですね。村田式台車を調べたことがあり、かなり貧弱なつくりなので耐久性がなかったのであまり持たなかったと思います。しかし、今の東急池上線の前身である池上電気鉄道でも使われていたようです。とにかく謎めいた怪しい台車です。左側に車庫は確かにありました。親類が近くに住んでいたので行った時に車庫があったのを覚えています。社史にも車庫の写真が載っています。 返信 ↓
連貼り失礼致します。絵葉書の2枚目は、山頂の信貴山駅です。初代のケーブルカー2号が写っています。この車輛、山下側の車輪径が山上側より大きく、車体を少しでも水平に近づけるようになっていたらしい。そう思って見ると、この絵葉書でも、そうらしく見えます。 返信 ↓
これも貴重な絵葉書を見せていただきありがとうございます。これを見ると駅舎の屋根は廃止間際まで残っていたのではないかと思います。屋根を支えるところが同じ組方ですから。ちなみに開業当初のホーム上屋の一部が平群駅に残っています。いつまで残っているか心配ですが。ケーブルカーの車輪ですが確かにサイズが違っています。奈良県立図書情報館にデジタル化された信貴電に関する公文書にある図面を見ると山下側が車輪径は30インチで山上側は20インチとなっていました。これは知りませんでした。教えていただきありがとうございました。動画にも使った信貴山駅です。奥に巻き上げ小屋が写っています。 返信 ↓
どですかでん様
武漢発ウィルスでいろいろ大変な中、タイムスリップの旅へのご案内有り難うございました。YouTubeで乗車を楽しませて頂きました。
思い出の出発駅に車両が戻る、素敵なことですね。きっと子供達が「あれは何の電車なん?」と問いかけ、昔を知るおじいちゃんが「あれはな、信貴山に登るケーブルカーでな、ここから走っていたんやで!・・」てなシーンが目に浮かんできます。
この車両の前面の窓は二段式なんですね。後方からも景色が見やすいようにといった配慮からの設計なんでしょうか?
1983年に廃止されたとか。よく車両が復活したものですね。
そうです。もどってきたのです。前は三郷北小学校で保存されていたのですが、元の信貴山下駅のところで展示保存となったのです。車内にも入れるようなのですが、狭い車内ですのでウイルス感染防止でしばらくは入れないようです。ちなみに、この東ケーブルは日本で3番目にできたケーブルカーです。そして、この車両は2代目となります。社史によると開業当初の車両は大正10年で自社製造とあります。この2代目は昭和8年藤永田造船製です。ところで全面の窓が上り側と下り側とちがうのです。(写真参照)
動画(と言ってよいのでしょうか)面白いですね。一緒に移動しているような雰囲気となりました。信貴山口駅から真直ぐ西北寄りに伸びていて千本桜並木道と書いているところがケーブルの線路跡なのでしょうか?この季節桜が満開ですか。今年は無理ですが、来年は廃線跡ハイクと花見を同時にしたいですね。
VEGAS Proという映像製作ソフトで普通の写真をアップにしたり引いてみたり、拡大して画面を移動したりして作りました。ちょっと厄介ですが面白いです。ところでケーブル線跡はたしかにグーグルマップで「千本桜並木道」ですが桜並木ではありません。動画のすれ違いから先の所が「千本桜並木道」のところになります。グーグルマップの表記はなにか別の所と勘違いしているようです。帰りはバスで信貴山下に下るといいと思います。特に正面から見る眺めはなかなかの絶景です。恐ろしい急勾配、急カーブのバス道ですから。
廃線後、37年も経っているのに、綺麗に保存されているのに感心しました。地元の方々の情熱を感じます。小生、鉄道絵葉書も少し集めております。中にこのケーブルカーの昔のものがあるので、お目に掛けましょう。1枚目は、信貴山下駅で、信貴生駒電鉄の102号、とケーブルカーが一緒に写っています。102号は、わずか数年しか使用されなかったそうです。撮影は従い、大正末年頃のものと思います。鋼索線の車輌は、初代のもので昭和8年頃まで使用され、保存されている2代目の車輌に置換えられたそうです。ところで絵葉書をよく見ると、左側に車庫があるように見えます。信貴生駒電鉄は、ここに車庫を置いていたのでしょうか?御存知の方が、おいででしたら教えて下さい。
貴重な絵葉書を見せていただきありがとうございます。右の電車は村田式台車をはいたデハ100形ですね。村田式台車を調べたことがあり、かなり貧弱なつくりなので耐久性がなかったのであまり持たなかったと思います。しかし、今の東急池上線の前身である池上電気鉄道でも使われていたようです。とにかく謎めいた怪しい台車です。左側に車庫は確かにありました。親類が近くに住んでいたので行った時に車庫があったのを覚えています。社史にも車庫の写真が載っています。
連貼り失礼致します。絵葉書の2枚目は、山頂の信貴山駅です。初代のケーブルカー2号が写っています。この車輛、山下側の車輪径が山上側より大きく、車体を少しでも水平に近づけるようになっていたらしい。そう思って見ると、この絵葉書でも、そうらしく見えます。
これも貴重な絵葉書を見せていただきありがとうございます。これを見ると駅舎の屋根は廃止間際まで残っていたのではないかと思います。屋根を支えるところが同じ組方ですから。ちなみに開業当初のホーム上屋の一部が平群駅に残っています。いつまで残っているか心配ですが。ケーブルカーの車輪ですが確かにサイズが違っています。奈良県立図書情報館にデジタル化された信貴電に関する公文書にある図面を見ると山下側が車輪径は30インチで山上側は20インチとなっていました。これは知りませんでした。教えていただきありがとうございました。動画にも使った信貴山駅です。奥に巻き上げ小屋が写っています。