昭和の電車 改訂版(61)ー土佐電鉄クハニ2000型ー

これも乙訓の長老様が撮った一枚です。つれづれ草シリーズで土佐電を紹介した中にありました。
関先生の画の反対側から見たもので、運転席の扉がありません。江若の気動車に似ています。

昭和の電車 改訂版(61)ー土佐電鉄クハニ2000型ー」への6件のフィードバック

  1. 「潮吹く魚と競争」とはうまい表現だと感心しております。土佐電鉄は以前趣味誌でこのような海辺を走る元阪神電車の写真を見て一度は行ってみたいと思いながらあまりにも辺鄙と言おうか遠すぎて訪問はかないませんでした。かつてこの近く高知県安芸市出身で関脇まで昇進した同志社出の土佐ノ海という力士がいました。現役時代は化粧まわしに同志社のマークつけて土俵入りしそれを見るのも楽しみでした。現在は年寄り立川親方で審判部に所属しております。最近は朝乃山をはじめ近畿大学勢が隆盛の状態です。新型コロナウイルスがえらいことになってきましたが、こういう時は外に出ず家にこもってデジ青を見るのが楽しみであります。米手作市さんが頑張ってくれていますが、投稿やコメントがもう少し多くなればと願っています。鉄道以外の話題をお許しください。

  2. 準特急さん、
    じつは、この記事中にある「京阪からの木造車・・」と、貴兄の「海辺を走る元阪神電車」の両コメントの車輌らしきものを長老様が撮しておられるのですが、私はどちらにも詳しくないので掲載をためらっておりました。思い切ってご覧に入れますので間違っていたらここでご指摘・訂正をお願いします。一コメントに付き一枚しか写真の掲載が出来ないため三コメントに分かれます。

  3. 米手作市様
    有難うございます。京阪の200型は全く見たことがなく、旧600型、700型にかすかな記憶がある程度です。土佐電鉄は阪神1000、1100型が行っており阪神時代は今津から甲子園まで利用したことがあるようなないようなそんなおぼろげの記憶しかありません。私は長老様とはさほど年齢差はありませんが、目覚めと熱心差ですね。

  4. 準特急さん
    私の知識はあなたの足もと以下です。
    阪神の車輌はもとより、京阪の200型に乗った記憶は奈良電の久津川にある友人宅へ行ったときです。駅ごとに車掌が降りてドアの開閉を走りながらするのを見て「奈良電は田舎やなあ、ドアも手で開け閉めするのか」と蔑んだところ、「アホ、あれは京阪や。奈良電は自動開閉や!」と言われたことを思い出します。奈良電以下の京阪200でした。

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