私が撮った阪急今津線の車両(2)

前回は車長15m級の小型車を発表したが、宝塚線用に戦後新造した運輸省規格型の半鋼製550形16両は今津線では見たことがないので割愛した。今回は車長17m級の600形、900・920形である。なお、800形(当初700形)14両も今津線での写真はないので同じく割愛した。

まず600形は1926(大正15年)川崎造船製の3扉全鋼製車で各地にこのスタイルが採用された。当初神戸線でMcが600形、Tcが800形で18両あり、一部クロスシート化されたりその後機器の変更など複雑な変遷をたどっているが、私が自覚したのは宝塚線での姿で今津線は晩年の活躍である。さらに伊丹線では大きさもスタイルも全く異なる610形と組んだ姿には驚いたものだ。

1968.11.19小林-仁川間 今津行き600▼

後ろから見た600形4連の今津行きでこの電車の強烈な印象であるリベットが車体に見られる。時代が時代であるが、トラス棒に代わり魚腹台枠が採用された。1969.03.04仁川-甲東園間今津行き後部654▼

 

次に阪急スタイル確立した全鋼製900・920形である。まず、昭和5(1930)年に両運車900形20両、続いて昭和9(1934)年に920(Mc)形・950(Tc)形が56両が登場、特に920・950形は戦後まで製造が続いた上に台車、モーター等複雑で覚えきれない。900形はクロスシートを装備していた。

1967.06.04 宝塚南口-宝塚間の武庫川橋梁を行く宝塚行きで左から972・942・910・900の4連。▼

933は3次車昭和12(1937年)製 1968.11.19小林-仁川 今津行き933 今津線では最も駅間距離が長い区間であるが今では周囲にマンションが立ち並んでいる ▼

 

600、610形とともに昇圧後も残った900、920形であるがライトの2灯化が不満である。電車の行先板には仁川-西宮北口間とあるので競馬の日の臨時と思われる。1973年3月頃 門戸厄神-西宮北口間 西宮北口行き戦後製の946▼

 

私が撮った阪急今津線の車両(2)」への2件のフィードバック

  1. 準特急様
     第2弾有り難うございます。
     600型はリベットが目立ちますね。神戸線の先輩運転士が「600型はA弁で停めにくい。かなわんイボ電や」とぼやいていました。
     武庫川の風景、基本は変わりませんね。南口の「宝塚ホテル」が遂に移転、ウィルスで遅れましたが、21日に宝塚駅から徒歩3分、花の道の前武庫川べり宝塚大劇場の並びでオープンしたところです。
     933の快走ぶりが伝わります。小林~仁川間、ここでしかスピードを出せませんよね。
     946の写真は1973年ですから、南口駅も高架化され6連化されていますね。仰るとおり競馬運用ダイヤの仁川折り返しなんでしょうね。
     懐かしいシーンを有り難うございました。

  2. マルーン様
    私の小・中学校の同級生が運転士をやっていました。私は運転したことがないのでよくわかりませんが、運転士がイボ電600形にあたるとかなわんなという気持ちは想像できそうです。鈍重な感じでした。しかし、このイボ電は1926年製造開始で昇圧後の1975年まで随分と長生きしたものですね。宝塚ホテルも友人がいましてそこで同窓会をしました。

準特急 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください