仕業表哀歌

鉄鈍爺(てつのろじい)です。古いHDD内のネタ、第7弾です。
誤謬や錯誤の、ご指摘など、宜しくお願いします。

旧国鉄、日田彦山線の運転時刻表(の一部)です。
運転士が指差呼称し、確認する為のものです。

本来は、もっと縦長なんですが、半分に切断されています。
と言うのも、仕業表としてでは無く、別の目的の為に使用されていたのです。


勤務先の九州支店の “料理クラブ” で、料理の先生が食材のメモ用紙として使ってられました。
勿論、直ちに回収しました。ハイ♪ (昭和47年頃に収集)

【訂正】
気になったので調べてみると、昭和47年(1972年)3月10日は金曜日で、昭和48年(1973年)3月10日が土曜日でした。
よって、昭和48年(1973年)に訂正します。
当時は土曜日が午前中だけ出勤で、『半ドン(*1)』と呼んでいました。
料理教室は土曜の午後に希望者が会議室に集まり、月謝や調理具は会社が福利厚生費で負担し、受講者は材料を共同購入していました。
男子社員の大半が九州の各地へ出張中で、残りの男子は雀荘へ行ったり、独身寮で芋焼酎を飲むのが常でした。
*1:半ドン=半日勤務。ドンは、オランダ語zondag(ドンタク:休日)からの呼称。今や死語です。

 

仕業表哀歌」への2件のフィードバック

  1. 😆
    小倉っ子です。
    思わず使用目的に笑ってしまいました。
    通票キャリパー時代の日田彦山線に敬意を表して
    タブレット時代の写真を探してきました。
    場所はほぼその時代の石田駅です。

    • K.H.生さま、コメントと貴重な写真、ありがとうございます。
      背景に白い建物が目立ちますね。グーグルマップで、横代小学校と確認しました。(笑)
      半世紀を経て道路の周辺に家は建つものの、まだ周囲に青々とした水田が残っているのですね。
      なお弊社の九州支店は小倉の紺屋町にある銀行ビルの上方階でした。また独身寮は、到津に、ありました。

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