2005年前後に使っていたHDD内のネタ、第8弾です。
誤謬や錯誤の、ご指摘など、宜しくお願いします。
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【大誤乗の巻】(昭和49年10月26日:1974年)
東海道新幹線、東京~名古屋間(366.0営業キロ)
機転を利かせてくれた車掌さんに敬意を払い、列車番号と個人印をマスクしています。
“経緯”
私の叔母(故人)が70歳台の頃、80歳台のお婆さんを見送りに行きました。
そのお婆さんの荷物を車内に運び、切符等を確認している内に発車したんです。
途方に暮れて車掌さんに状況説明をした所、さすがに車掌さんも同情して入場券の裏に理由を書き、名古屋→東京間の乗車手続きをしてくれた由。
(追記)当時、新幹線の品川駅は無く、『ひかり』は総て新横浜駅を通過でした。
ですから、東京駅の次の停車駅は、名古屋駅でした。
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【ファースト・ナンバー】(昭和41年8月2日:1966年)
予期せぬ収得でした。
昭和41年3月5日の運賃改訂で、入場券は10円→20円に値上げされました。以降、8月2日まで誰も入場券を買わなかったのです。
この年の東北旅行で、色々な駅の入場券を30枚以上買ったのですが、通し番号が1桁の券は、これ一枚だけでした。
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【練習用の切符】(昭和50年10月18日:1975年)
中央鉄道学園、発券手続き教習用の切符です。
文化祭の時に、自由に操作させてもらいました。地紋が入らず、様々な乗車券の発券が可能です。
第一話は「沁みる夜汽車」みたいな話ですね。当時は東京駅を出たら次の停車駅は名古屋駅だったということを忘れていました。今はつい品川駅で降りたらいいのにと思ってしまいます。ところで料金は?関西人はすぐにお金のことが気になります。
どですかでん さん、コメントありがとうございます。
そうです。新幹線の品川が未だ無かったし、新横浜に『ひかり』が停車しなかった時代です。
『誤乗』と認定され発駅まで『入場客の回送扱い』で、料金の支払いを求められませんでした。
これが定期券だとか片道切符なら、状況は変わるのかもしれません。
昭和ですね。令和であればそんなように行かないでしょう。よかったです。それにしても「回送扱い」とは。しかし、こんな回送扱いであれば何度でも回送扱いにしてほしいと思います。
と言うより『 “国有” 鉄道だったから』では、ないでしょうか?
そもそも『旅客及び荷物営業規則』の中で、入場券で旅客列車内には立ち入れない筈です。
ですから東京→名古屋間の運賃込みの新幹線料金を徴収し、名古屋でラチ外へ放り出す事も出来た訳です。
これが昭和でも戦前の『鉄道省』の時代だったら、職員は完全な上から目線で「載せてやっている」と一般乗客を扱っていた気がします。
更に分割民営化後のJR東海になってからは、サービスの有料化が徹底して教育されたでしょうから、、、
鉄鈍爺様
次から次へと出てきますね! さすが!
まだまだありますやろ!? 楽しみが増えましたよ!
「沁みる夜汽車」はなかなか味わい深いですね。
こちらもワクチン接種の目処が立ちました。
マルーン さん、コメントありがとうございます。
いえいえ、これで一段落です。 (^^;)
ワクチン接種の予約が出来て、良かったですね。