昭和の電車 改訂版(209)ー玉電デハ80型ー

601となっていますが、これはちがう車両でしょうか?乙訓の長老作品集から。

昭和の電車 改訂版(209)ー玉電デハ80型ー」への13件のフィードバック

  1. 1970年に江ノ電に行った4両のうち1両です。
    塗色は東急での晩年の色ですが、車体表記は江ノ電の時のままです。

  2. 乙訓の老人の写真は東急世田谷線宮の坂駅の隣で保存されている姿です。ホームに隣接した位置で好ましい保存方法だと思います。駅の構内にも思えるような位置にありますが世田谷区立宮坂区民センターの敷地内だそうです。
    関先生の記事にもありますように、新造の80として生まれたのは6両のみで、87~108は旧車の下回り利用で車体だけを新しく造ったものです。その内の104(元車は玉川電気鉄道45→東京急行電鉄デハ29)が玉川線廃止時に二代目87と改番され、1970年には江ノ電に譲渡され600形の601となっています。

  3. Gordon Davis氏の素敵なカラーがあるので、久しぶりにお目にかけましょう。昭和31年頃、終点の二子玉川へ向かって坂を下っていく80形です。今では都会そのもののこの辺りも、長閑な田園風景です。小・中・高と11年間玉電を横切って通学した小生にとって、玉電80形はとても懐かしい電車のひとつです。

  4. 80型の写真を探しましたが、より古い70型しかありませんでした。前面はほぼ同じですが、側窓は80より古めかしいですね。1999年撮影。

  5. 下高井戸を出て三軒茶屋に向かう82+81。お別れ運転の頃で2001.1.24の撮影。

  6. 宮崎繁幹さん、ブギウギさん、準特急さん
    期せずして三代三通りの塗装が見られました。私が時々利用したのは準特急さんの写真にある塗装時代です。
    でも、私にはどうしてもこの顔に見えてしまうのです。

  7. 米手作市様
    よく似てると言えなくもないですね。今まで考えたこともなかったですが、これから80型にはレレレのおじさんがセットで思い出しそうな気がしてきました。世田谷線は300型が前にステッカーを貼っていた時期もあり、サザエさんの世界のイメージが強いです。

  8. 米手作市様、ほへほへ様、乙訓の老人の甥様
    いろいろご教示いただき有難うございます。
    江ノ電時代の601がありました。私は路面系の車両にも疎く、メモもありませんが、1970年11月頃の極楽寺車庫での撮影です。少し、わかりにくいですが、向かって右から2番目が601です。

  9. 昭和43年9月7日、大橋付近、104+103です。ラッシュ時は連結運転をしていました。

  10. 改めて見比べて、ヘッドライトの位置が変わっているのに気がつきました。昭和43年のスタイルと晩年のスタイルでは、晩年の方が“レレレのおじさん”化しています。やっぱりオリジナルがいいですね。

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