ここはどこ?私はだれ?ーお彼岸臨時列車ー

夏休み臨時列車に続いて「秋の臨時列車・ステイホーム号」のご案内です。

前回もそうでしたが、乙訓の長老様は撮りためた写真を鉄道毎にひとまとめにしていたようなのですが、実際はごちゃごちゃになっていて区分けに時間がかかりました。その中でどうしても所属会社・車種・場所などが判別できないものが出てきます。それをまたDRFC探偵団の皆さんに解明していただこうと思いました。

なお、以前にも投稿した車両があるかも知れませんが、改めてお教えください。

⑰西鉄北九州市内線 600型614号

⑳伊香保電車

㉑北陸鉄道ED20形ED201

㉒別府ラクテンチのケーブルカー

㉓淡路交通鉄道線モハ609で元阪神電鉄609

㉔名古屋市電1150形 新型台車は1955年の改造。住友FS61A(弾性車輪・ドラムブレーキ付)に交換、更に低床化などの改良を加えセミPCCカーとして再デビューしてからの姿

㉕旧陸軍鉄道聯隊軌陸車

㉗川崎市トロバス

26 thoughts on “ここはどこ?私はだれ?ーお彼岸臨時列車ー

  1. 楽しい企画が始まりましたね。私鉄は苦手な小生ですが、とりあえず⑰がわかりました。
    西鉄北九州線の600形614号です。
    撮影場所は桟橋通電停付近で、左手に国鉄門司港駅があります。
    600形は昭和25年から28年にかけて50両が製造された、全長12メートル余の中型ボギー車です。614号は昭和27年に近畿車輌で製造されました。
    撮影された時期は関門橋開通後の昭和48年11月以降、赤を基調にした塗色に変更されるまでの昭和55年頃までと推察します。
    車体下半部が薄いので、クリームとオレンジの二色塗装だった昭和50年から55年頃の可能性も考えられます。

    • 一番乗りでありがとうございます。
      このシリーズはまだまだ続きます。ゆっくりですが整理が付いたものから掲載しますので調査続行を皆様にお願い致します。

  2. 脇道から失礼します。
    ㉕は“須磨の人間国宝”さんが撮影された大阪駅の軌陸車です。長老がもらわれて保管されていたのでしょう。デジ青にも発表があり、2016年のホームカミングデーでも、この写真も使って「軌陸車」をテーマに講演がありました。

  3. 連投失礼します。
    ⑳は伊香保電車で、医院の庭に保存されている様子を、長老が2011年9月3日投稿「老人、伊香保温泉に遊ぶ」で紹介されています。そのあと、西村さん、藤本さんからも関連する投稿がありました。

    • 軌陸車と伊香保電車、確かにそうでした。おぼえがあったので再登場のお詫びを致しました。
      これからも何回となく再登場があると思いますが、イヤがらずに教えてください。まだ数千枚の整理が続きます。

      • 米手さま
        ぜんぜんイケズはしていませんょ。皆さんの知識に驚いています。また、長老の家に行かれる時があったら、ご一緒させてください。それと、私の写真展にもネ。今日は今出川さん、ぶんしゅうさん、86さん、紫の1863さんと、賑やかな顔ぶれでしたよ。

  4. ㉑は北陸鉄道ED20形ED201
    金沢電気軌道ED1形として生まれ、戦時中の鉄道統合で北陸鉄道ED20形となっています。
    ㉔は名古屋市電1150形
    張り上げ屋根のスマートな車体ですが、1944年から1948年にかけて製造された車両です。但し、新造時は旧車の台車・電装品を流用しており高床式。台車もブリル76Eのコピーで旧式でした。
    写真に見られる新型台車に替わったのは、1955年の改造によるものです。住友FS61A(弾性車輪・ドラムブレーキ付)に交換、更に低床化などの改良を加えセミPCCカーとして再デビューしてからの姿です

    • 乙訓の老人の甥さん、
      いつもありがとうございます。
      前回乙訓邸へ伺った時、雨の中を駅まで歩いて行く途中に写真を入れたショッピングバッグが破れて困ったことがありました。来月にまた伺い、写真を預かるのですが、その時は車輪の付いたキャリーバッグで行くつもりです。

  5. ㉕軌陸車の現代版は保線工事で活躍しています。過去にも投稿しましたが、改めてご紹介します。平成30年の西日本豪雨で山陽本線が不通となり、長期間運休しました。三原市本郷町から東広島市河内町にかけての区間で路盤崩落が発生しましたが、道路から離れているためダンプカーによる土砂搬入ができず、軌陸車が活躍していました。写真は平成30年8月24日 本郷町内の踏切で小型ダンプカー(軌陸車)を線路上に乗せようとしているところです。現場での荷下ろしの向きを考えると現場までバック運転でした。ドライバーはアクセルとブレーキ操作だけで良いので気楽な感じでした。時速30Kmぐらいで走ってゆきました。陸軍の軌陸車はゴムタイヤの付け外しのため30分を要したそうですが、今の軌陸車は油圧操作で5分もかからずに道路から線路に乗り移っていました。

    • 言われて気がつきました。
      むかし京都保線区で撮っていました。
      これですね?昭和30年代の軌陸車です。

  6. ㉗のトロリーバスですが、吉川文夫氏著「日本のトロリーバス」を見てみると、川崎市営トロバスではないかと思います。同書によると、開業は昭和26年3月1日、工業地帯への路線延伸が進み、昭和39年11月1日に鋼管水江製鉄前まで開通したそうです。昭和39年3月20日に国鉄塩浜操車場が開設され、池上新田と日本鋼管池上正門前の間でその貨物線(直流1500V)と平面交差することになったそうです。そこで川崎市ではこの交差区間ではポールを下げて、バッテリー走行する方式を採用したそうです。なるほど写真を見るとポールは下げられています。はしごをかけて作業しているのが、貨物線の架線なのか、踏切遮断機のワイヤーなのか判然としませんが、多分その貨物線の踏切でしょう。池上新田は川崎市電の終点でもあり、乙訓のご老体が川崎市電を撮りに行かれた際ではないでしょうか。
    あるいはポールを下げて走行しているトロバスを記録されたかったのか、ご本人にお聞きするしかないですね。

    • 西村さん
      よく解りましたね!
      この写真が気になったのは、トロバスがポールを下げて走っている(?)こと、踏切内で架線にはしごをかけて(そう見える)作業をしていることです。川崎とは知りませんでした。

  7. ㉒は別府ラクテンチのケーブルカーですね。
    1951年製の車両だと思います。1974年にはアルナ工機製の車体に載せ替えられていますが、現在も台車は当時のものを継承しているようです。

  8. 遅まきながら。同じ西鉄北九州線614を連続写真の続きで撮ったような写真。昭和55年9月8日門司港駅前です。腰の塗色はマルーンから明るいオレンジになった時代です。またオリジナルの⑰の写真の端にうつる「やましろや」の文字は門司にあった唯一のデパート「山城屋」で、2001(平成13)年に閉店しました。驚くことは神戸のイカリソースの屋号が「山城屋」であり、経営元はイカリソースだったことを近年知りました。それと富士銀行門司支店はみずほ銀になり、昨年2020年まで店舗を構えていましたが、今は閉店してATMのみになっています。

    • 同日もうちょっと門司の終点に寄ったポイントで撮影。
      パゴダ山に大きな銘酒「白牡丹」の文字を発見。

      • 昭和55(1980)年は北九州の路面電車の塗色変更の真っ最中でした。
        この年11月の北方線廃止から始まった路面電車の撤退はドミノのように進み、撮影場所の門司ー砂津間の廃止は5年後の10月でした。2000年の完全廃止までの流れは、産業都市北九州の衰退の絵巻のようで、路面電車を廃止して都市格が大きく下がった岐阜と共に愛惜を今も感じます。

        • 岐阜の路面電車。1962年8月、活況だった国鉄岐阜駅前の繊維街をバックに。左側に大型車が登場している。
          名鉄と市長の意見が合わず廃線に、惜しいことをしましたね。

          • 岐阜の路面電車の素敵な写真をありがとうございます。美濃電以来の小型単車の生き残っていた時代ですね。背景の左側のRの美しい近代建築は、何度か岐阜を訪れる度に眼にして、建築だけを写した写真もたくさん撮っています。
            これは88年で、東京に行く途上で乗換え休憩中に撮りました。

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