やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (27)

旭川区C55 ②   C55 47  322レの旅

前回に、宗谷本線のC55の華の運用は夜行急行「利尻」と書きましたが、もう一往復、昼間に全線を通して走る普通列車321レ、322レの牽引もありました。明るい時間帯ですから、車窓から見る最北の鉄路の絶景は欲しいまま、車内はガラガラ、交換のため途中駅の停車時間も長く、C55の撮影もゆっくりできる、まさに“乗ってよし、撮ってよし”の列車でした。この列車に乗車・撮影すると、なぜか同区のC55 47の遭遇率が高く、それだけ好調なカマだったのか、昭和48年の宗谷本線の完全DL化まで働いていました。

宗谷本線と言っても稚内~旭川は約250kmもあり、ほぼ南北に走っているので、気温や積雪量は各所で差があるが、3月ともになれば、南のほうへ行くほど、路盤の雪も消えて、すっかり春の装い。稚内発小樽行き322レを牽くC55 47〔旭〕+客車4両 音威子府~筬島 (昭和47年3月、以下同じ)

昭和43年10月改正の宗谷本線時刻表から、宗谷本線の上半分。322レの表定速度は36km程度、列車本数が多かった時代で交換のために停車時間もあって、車内もよく空いていた。中央が322レのスジ。

以下は、昭和47年3月、322レの乗車時の撮影。この日は、南稚内の喜登ユースに泊まり、この写真のように、南稚内8時03分発の322レに乗った。助役がタブレットを受け取るべくスタンバイしているなか322レが滑り込んで来た。南稚内は、機関区設備もあって、稚内より規模が大きかった。

下沼に9時20分ごろの到着、貨物391レ交換のため、数分の停車、さっそく編成を撮りに線路へ降りた。

 

C5547は製造後、昭和25年に旭川区に転属、以来、ずっと旭川にいて一生を終えた。一般的な北海道仕様だが、手入れも行き届いて、春の陽光にキラキラ輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

幌延に9時35分の到着、下りDC急行「礼文」と交換のため10分の停車、ここでは雪も解けて地肌が見えていた。

幌延の跨線橋から見る。留萌方面の羽幌線が分岐していた時代で、写真をよく見ると、右へ線路が分かれて行くのが分かる。

音威子府には11時27分に到着、ここで322レから下車、編成を撮る。ここには、まだ雪が残っていた。

乗務員も休憩に入る。そのあと、駅を出て、トップ掲載の筬島方面で322レの走りを撮るのだが、音威子府の停車時間は10分で、よく短時間に撮ったものだと思う。旭川~名寄にはあと1往復の通勤列車331レ、330レを牽くC55の運用があった。音威子府までの322レを撮影した同じ日に、名寄で331レの到着を待ち受けると、またしても牽いて来たのがC55 47だった。終着だが、すぐあとに来る急行「紋別」の乗客が待ち受け、いっときの賑わいを見せていた。切り離されたC55 47は、名寄区で、明日の朝の330レ牽引に備えて整備を受ける。アッシュが落とされると、動輪付近が赤く浮き上がった。

それから数日後に、名寄線に乗って名寄に着き、深名線に乗り換えるまでの間に、ちょうどC55の牽く321レ、322レの交換が見られる。まず12時54分に322レが2番ホームに到着、牽いていたのは、またもC55 47だった。13時00分に交換する321レが1番ホームに姿を見せた。多くの乗客が待ち、うず高く積まれた手小荷物が、当時の旺盛な輸送を物語る。昼間、C55同士の交換が見られるのは、この時間帯だけだった。

13時09分、322レが発車して行く。右手に見える奥行きのある石造りの機関庫、広い構内、名寄線、深名線も分岐する名寄は、道北の中枢駅だった。

白樺林が続く最北の鉄路、321レを牽くC55 47  同機は旭川区に残った最後の3両のうちの一両で、昭和48年9月に廃車、そのあとは一時的にC57が転入する。天塩中川~下中川 (昭和46年3月)

 

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (27)」への13件のフィードバック

  1. 憧れのC55客レです~
    一度は乗ってみたかったです。
    もし、編成をメモしておられたら、御開帳下さい。
    急行利尻と併せて、いつかJMで模型化したいです。

    • 廣瀬さま
      コメントを頂戴し、ありがとうございました。最北の鉄路を行くC55列車、ほんと良かったです。編成ですね、私は撮影に熱中するあまり、編成調べは、よほど時間がない限りしなかったのですが、322レは、昭和43年9月5日の乗車時に記していました。
      C55 48〔旭〕+マニ36 2071〔東スミ〕+スユニ61 511〔旭ワカ〕+スハフ32 407〔札タコ〕+スハ32 849〔札タコ〕
      普通車はこの時期ほぼスハ32系でした。“パーソナルウィンドゥ”で一人分の狭窓があって、好きなように窓が上げ下げができて、私は好きでした。マニ36は隅田川の所属ですね。航送されて、東京まで行っていたとは感慨深いです。あと、322レは音威子府で、後部に普通車2両が増結されています。322レは小樽行きで、札幌付近で通勤時間帯に当たるため、増結されたようです。写真は、幌延停車時の同日の列車です。

  2. 総本家青信号特派員様
    早速詳細な解説を頂き恐縮です。
    隅田川、小樽、稚内と3区所の車で編成されていたのですね!
    国鉄時代ならではの広範囲運用ですね。
    こうして、車番の記録を見ていると、編成がありありと浮かんでくる気がします。

    私も、気が動転して、記録し忘れている事も多く、後悔することしきりです。よくぞ、記録しておいて頂きました。有り難うございます。

    • 廣瀬さま
      さっそくのコメント、ありがとうございます。お役に立ったようで、嬉しく思います。ぜひ模型化してください。今日も、私の写真展に来られた方から、322レの編成のことが話題になり、昭和40年代の後半に渡道された、その方は、スハ32系はすでになく、オハ35系になっていたと言っておられました。やはり優等列車のDC化などで、普通列車もすこしグレードアップしたようです。

  3. 総本家青信号特派員様
    40年代後半にはもう35系に置き換わっていたのですね・・・
    消えたのはC55だけじゃ無かったのですね。

    ところで、
    写真展には北海道の写真も有るのでしょうか?
    いつまで開催しておられるのでたっけ?
    会場に居られる日はあるのでしょうか?
    差し支え無ければ・・・

    • 廣瀬さま
      おはようございます。写真展は、残念ながら、蒸機は一枚も無く、京都市電・京阪の写真なんです。少し前の投稿にお知らせしていますが、会場は京阪七条駅の近くです。在廊ですが、このような時期で、“密”を避けるため、最小限にしています。もしよろしければ、見学だけでもお越しください。

  4. 写真展は、やはり平日が空いているのでしょうか?
    こういうご時世ですので、出来るだけ空いていそうな時間帯にしたいかと思います。
    自転車で行った場合の駐輪場などは有りますか? もし、ご存じなら教えて下さい。

    • 廣瀬様
      ご連絡、ありがとうございました。このご時勢ですので、平日、土日ともよく空いています。ここだけの話ですが、明日(土)は詰めている予定です。駐輪場ですが、一階がコンビニ(市バス停留所の前)になっていて、自転車は前に止められます。同じ経営者ですので、止めていただければ大丈夫です。

  5. 早速、情報有り難うございます。
    折角ですから、ご在廊の時にお伺いしたいです。
    明日の予定を変更して、行けるように画策します!

  6. C55が牽いた客車の件で、誤解が生じてしまったようです。総本家様に誤解を与えるような話し方をしてしまい、すみませんでした。
    私が乗った321列車がたまたまオハ35だったようで、全てが置き換わったわけではありませんでした。
    同じ日、正確には昭和49年8月1日の旭川行き324列車(総本家様が撮影された当時は322列車)を撮影しており、C55 50+マニ60+スユニ60+スハ43(スハ45)+スハフ32でした。残念ながら番号までは分かりません。白黒での撮影ですが、明らかに他と明るさの異なる車両が含まれていて、拡大すると台車がTR47のように見えました。この時期の旭川で青色15号の客車はオハ47・スハ43・スハ45・スハフ42の4形式が配置されてましたが、台車や窓の配置からスハ43あるいはスハ45と判断しました。
    牽引機がDD51に替わってからもスハ32は使用されたようで、ピク誌にDD51 33+マニ60 2613+スユニ60 39+スハ32 817+スハフ32 272という編成が載ってました。
    私が乗ったのは8月1日の321列車で、福知山から転属したC57 87の牽引でした。C55を期待していた私はがっかりするやら、懐かしいやらで、複雑な心境でした。
    この頃はC55 30・50・C57 87の3両体制でしたが、9月に入るとC55 50が運用を離脱し、10月にはC55 30も運用を離脱しました。宮崎から転入したC57 130・186がC55と入れ替わり、3両のC57で無煙化までのわずかな期間を過ごしました。
    マニ・スユニと2両のスハ32系で編成を組んだ割合が多く、私が撮ったり乗ったりした編成がイレギュラーだったのだと思います。

  7. 総本家青信号特派員様
    本日(土曜日)行けそうです。
    何時ぐらいにご在廊のご予定でしょうか?

    紫の1863様
    わざわざ、詳細な情報を有り難うございます。
    C57だとしても、今から考えたら、夢の様な編成ですね。
    模型で色々、再現してみたいです。

  8. 総本家青信号特派員様

    連絡有り難うございます。
    雨模様なので、バスで向かいますので、11時頃になるかと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください