ここのところ、客車の食堂車や一畑のクハの話から、3軸ボギーの客車が話題になっていました。私も何とか参加しようと写真を探すのですが、残念ながら3軸ボギー客車とはほとんど接点がありません。米手様や井原様はじめ客車のオーソリティーの足元にも及びませんが、これが私の接した3軸ボギー客車のすべてです。まずは何といってもマイテ492です。
3軸ボギーの客車への乗車体験は、後にも先にもDRFC30周年記念の「マイテ49ツアー」の時の体験がすべてです。あれからもう34年の月日が経ちました。私のグループがマイテに乗車できたのは、名古屋でEF58150からDD51791に牽引機が変わったあとの、関西本線の富田までの区間でした。「タタタタン、タタタタン」というリズムがよみがえってきます。
このマイテツアーの思い出は、皆様それぞれに尽きないことでしょう。またクローバー会がこの列車内での乙訓の大先輩からの呼びかけでスタートしたことも忘れられません。次は向日町運転区でのマシ29110です。
続いてはスエ7815です。
吾妻線羽根尾駅はかつては高原野菜の出荷駅で貨物ホームや留置線があり、使われなくなった留置線にスエ7815の他 数両の旧型客車が留置されていました。
スエ78の他、スハフ322357,オハニ3611、オハ472261、オハ472246、オハ472266,オハ472239が留置されていました。これらの客車は秩父鉄道でC58に牽かれて走る「パレオエキスプレス」用だったと思います。スエ7815はそのあと、化粧直しをされてきれいな状態を高崎運転所で撮っています。
もう1両 スエ78を撮っていました。小樽市総合博物館のスエ785です。
最後はスエ383です。茨城県真壁郡協和町の民家の敷地内に保存されている異色の客車です。
この茨城ツアーには、特派員氏、井原氏の他関東在住の準特急氏、逗子のT氏、近鉄の大家T氏もご一緒でした。
以上の5両の他、梅小路に保存されているマロネフ591とスシ28301がありますが、省略します。以上が私が接した3軸ボギー客車のすべてです。それぞれの客車の車歴は、井原大先生の講釈に委ねます。
3軸ボギーではありませんが、高崎運転所で撮ったオシ172055もオマケで連結しておきます。
西村さん、
スエ785の写真です。遠軽にいました。
米手作市様
遠軽はなぜか早朝か夜しか記憶がなく、通過駅だったようです。スエのふるさとの写真、ありがとうございました。
昭和44年9月4日、三菱鉱業大夕張鉄道、大夕張炭山、スハニ6です。
系列の美唄鉄道から転属してきた車両で、車歴は、鉄道院大宮工場でオロシ9216として新製、五稜郭工場でスハニ19114に改造、昭和26年1月、美唄鉄道が譲受け、昭和
33年12月、協和工業で鋼体化改造となっています。
藤本哲男様
コメントありがとうございます。大夕張では乗ったようにも思うのですが、写真を撮っていません。あれから、もう半世紀も経ったのが信じられません。
こんなのもあります。
電源車460号
米手様
二条駅のようですね。「お召列車」も死語になりますね。これら一連の車両や原宿 宮廷ホームはどうなったのでしょうか?
昭和49年12月1日、園部駅、スヤ3921です。
昭和6年、鷹取工場で新製された供奉車400を昭和36年、大船工場で工事車に改造されました。
藤本様
園部駅に工事車とは意外です。貴重な記録ですね。
スエ78 15が羽根尾にいると西村さんに教えてもらって、私も1月4日に行きました。同じように快晴で、他の客車に比べて状態の悪いのがたいへん目立ちました。
ご存じのように、70代の形式の客車は戦災復旧車ですので、一旦廃車になった客車や電車の車体・台車やなかには台枠だけをベースにして時間と費用をあまりかけずに製造されました。ですので公式には前の形式番号はありませんが、元はスロシ38000形式のスロシ38010として新製されたといわれています。なお、JR九州の「ななつ星in九州」は戦災復旧車ではありません。
井原様
正月休みだったのでしょうが、スエのために関東へ遠征される行動力にはいつも感心しています。
昭和39年7月21日、京都駅、急行「高千穂」のマロネ29110です。
藤本様
何分停車だったかわかりませんが、給水ホースがつながれていますね。長距離列車の到着をを大勢の職員が待ち受けていて、給水するのが日常風景でした。
昭和42年3月26日、品川客車区、マロネフ3811です。
昭和44年9月12日、青森駅、スハ881です。
藤本様
お座敷客車の先鞭をつけた客車ですね。東北を旅した際に会えないかと気にしていた1両です。
番号変遷は
スロシ38006→スロシ38 12→マハシ49 17→スハシ37 2→スハシ29 103→スハ88 1→スロ88 1
です。
スエ38 3の左にいるのは特派員氏ではなく、私です。暗いのでスピードライトをつけて何かしています。その節はたいへんお世話になりました。
番号変遷は次のとおりです。カニ39551→カニ37 7→連合軍MB3201→カニ29 12→スエ38 3
井原様、特派員様
失礼しました。ずっと特派員氏だと思い込んでいました。それにしても、個人で自宅の敷地内に客車を据えるとは、余程の客車マニアでしょう。米手様も梅小路から1両譲り受けて、大邸宅の一画に客車を据えてみられてはいかがですか?
いただけるなら京都鉄道博物館唯一のパッチモン、マシ29301をいただきたい!
西村雅幸様
1965(昭和40)年9月5日仙台駅で撮ったマハ29154仙センです。どういう経歴か知りたいものです。関西でも上郡行きでマハ29に乗った記憶がおぼろげにあります。多分、客車列車を選び、さらに珍しく3軸のマハ29が入っていたので乗車したものと思います。
また、貼り付け忘れたようです。失礼しました。
準特急さん、
窓配置からみて、マロネロではないでしょうか?左がトイレと座席のロ、右が二個一窓でロネだと思います。
米手作市様
そうみたいですね。窓配置からただモノではないように感じましたが、藤本さんの説明でよくわかりました。
蛇足的補足です。
米手さんのお好きなマロネロ37605→マロネロ37 6→マハ47 141→マハ29 154
妻面に変な窓があり、出入台まであるのにオシ17 2055を名乗るのはやめてほしいです。また、スニ30 8も通風器が無く、出入台扉が鉄板で塞いでいるのも良くないと思います。
藤本さんに負けないように、品川のマロネフ583です、が、奥に押し込まれて休憩所になっていて、こんな写真しか撮れませんでした。
手前に積み上げられているのは「缶ビールの空き缶」です。よく見るとひょうたん型の穴が開いていて、プルトップはありません。時代が感じられますね。肝心の三軸台車・TR73が見えないのは残念です。
私も混ぜて下さい~
これでも、一応”現役の3軸ボギー車”です。
まあ見ての通り救援車です。
しかし、もう風前の灯火となった3軸ボギー車を求めて茅ヶ崎まで行きました。残念ながら履歴簿調査はしていません。
何輌か撮っていますので、データを整理してみます。
スエ387 茅ヶ崎 1980/07/23
昭和39年5月3日、京都駅、カニ2923です。
昭和3年、鷹取工場でマロネ37333として新製。6年、称号改正でマロネ3737。19年、戦時改造でマハ4737。25年、部隊用簡易寝台車に改造マハネ3717。28年、称号改正でマハネ2910。33年、荷物車に改造カニ2923。39年、救援車に改造、スエ386、水戸区に配置。8年1月、廃車になっています。
廣瀬さんが投稿されたスエ387は、元カニ2922で同じグループです。
昭和40年3月22日、仙台駅、マハ29160です。準特急さんが投稿されたマハ29154と同じタイプで元マロネロ37〈後のマロネロ38)の戦時改造車です。
当時、仙台客車区には、マハ29152~155、160、スハ38112の6両の3軸ボギー車が配置されていました。
藤本哲男様
仙台駅でのマハ29は元は寝台車ではないかと思っておりました。ご教示ありがとうございす。佐竹先輩の写真が多く載っています電気車研究会の「日本の客車」は持っていますが、客車配置表なるものを持っておらず、調査するのが億劫に感じているずぼらやです。ずぼらついでに藤本さんが言及されているスハ38です。1966(昭和39)年3月21日郡山で撮影しましたスハ3813です。
これも三軸台車
失礼!悪ふざけがすぎました。
これこそ三軸ボギーです。
マユニ786
次々に、美味しそうな写真が~
このマユニは、どちらでの撮影でしょうか?
隣の車輌に「旭」と読める気がするのですが、積雪地っぽく無い感じも???
旭川です。
北海道なんだ!
話は飛びますが・・・
接触限界標が、内地と同じようなタイプになっているのですね。
やはりヤードでは、除雪するので、ポール状のものは、邪魔なのでしょうね。
今まで気にしていませんでした。
ポール状のものは、ローカル駅で使われているのかな???
ポール状の接触限界標の建植例です。
氷見線 雨晴駅 1985年
次は、有名なカニ38改造救援車です。
東京から案外遠いので、ねかなか行けませんでした。
ツイッターでアップしたのとは、別カットです。
https://twitter.com/hirose13mm/status/1403649478003884037
スエ388 佐倉 1980/07/23
どこかに撮ってたぞ~!と探し回ったら見つかりました。
カニ38ですが、例によって足場が悪かった。
さすが~
「本物」だ!
比較してみると・・・
救援車になってから(末期だけかも)は、雨樋が無くなっているのが目立ちますね。腐食して撤去したのでしょうか?
スエ38 8に改造後間もない頃の写真(RAILFAN189号p.21)には、雨樋があります。いつ頃撤去されたのかはわかりませんが、昭和47,50,53年(おそらく各4月頃)と全検を3回受けていると思われますので、そのうちのどこかでしょう。事故或いは検査・訓練等がなければ動きませんから、痛みの進行ははやいですね。
番号変遷は、マロネ37341→マロネ37 42→マハ47 42→マハネ37 24(連合軍3464 FORT McCLELLEN 部隊用簡易寝台車)→マハネ29 12→カニ38 1→スエ38 8。
なお、マロネ37341は、『細雪』に出てくる、昭和13年の阪神大水害で摂津本山-住吉間で立ち往生した、東京発神戸行急行第15列車の前から3両目に連結されていました。二重屋根オハ31グループの二等寝台車でした。
昭和38年11月23日、京都駅、荷物列車48レ(熊本発汐留行)に連結されていた、カニ381です。
数年前から時々拝見させてもらってますが、書き込みは初めてです。私も3軸ボギー車は向日町のマシ29の他数両ですが撮影してます。宮原で撮影した大ムコのマロネフ29111がありました。この車はマロネ29からの緩急車改造だと思います。
なんでこの列車の運行を知ったのか、偶然見つけたのか分からないが、京都駅に奇妙な列車が入って来た。オハニ36を先頭に供奉車+オシ17+14号御料車+マロテ491をEF5861が牽引している。昭和36年のことだった。御料車には「菊の御紋」が付いているが、EF5861には国旗が掲揚されていない。メモには“ペルー大統領”と書いてある。
写真は真西からの光線で潰れているが、貴重な記録としてご覧頂く。
三軸ボギーの14号御料車はマイロネフ37290→スイロネフ381→スイロネ371→14号御料車と変遷した珍しい御料車。
なお、同僚のマイロネフ37292はマロネフ591として梅小路鉄道博物館で公開されている。
訂正と補追
マイロネフ37290→マイロネフ381→スイロネフ381→スイロネ371→14号御料車に訂正致します。
14号御料車は天皇陛下の座乗用ではなく、皇太子用の御料車でした。