昭和の電車 改訂版(221)ー阪和電鉄クタ800型ー 投稿日時: 2021年10月20日 投稿者: 米手作市 前回は全く反応なし。国電阪和線に愛のある方、立ち上がって下さい! この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(219)ー琵琶湖鉄道汽船100型ー 昭和の電車 改訂版(180)ー金剛山電鉄デハニF型ー 昭和の電車 改訂版(176)ー新京阪デハニ5000型ー 昭和の電車 改訂版(113)ー近鉄モ6301型ー 昭和の電車 改訂版(87)ー淡路交通モハニ2007ー 昭和の電車 改訂版(64)ー南海電鉄モハ1501型ー 昭和の電車 改訂版(39)ー近鉄ラビットカー6800系ー 昭和の電車 信濃鉄道デハユニ1
電車型木造客車というのは、他にも佐久鉄道とか各地にありました。 鉄道院時代から省になり、電車も規格が大きくなった木造時代の大正末期から昭和2年と言った最後の頃に、省電型模倣のWルーフの木造車体は電動車、付随車関わらず日本各地の私鉄でも多く発注がありました。それは今で言う、電車と機関車に牽引される客車との厳密な相違を問題にせず、将来電化する色気があるなら、TR14を履かせた電車風客車を納入しとけば、どう転んでも使えるといった発想でしょう。 デッキの無い電車型木造車両が、こんなふうに転売されたり、戦時戦後の大手私鉄の放出車両で地方に流れたり、まとめて研究すれば面白い論文になるかもしれません。 主語は阪和のクタ800ですが、筑波鉄道の電車型客車の一族は、三河鉄道に移籍して電装し、名鉄合併後に最後はモ3700系に生まれ変わったのもあります。 また阪和の一統は、南海と合併後は国鉄阪和線に属さずに、電力不足の混乱期にCタンクSLに牽かれて本線上を走ったり、客車の血も忘れられず、最後に1台分の台車は、スハ43系の車体を新造して紀勢線乗入れ用に作られたサハ4801に使われたものもあったそうです。 筑波嶺の麓から枯木灘の潮風まで、長い旅をしてきた数奇な運命に、ボギー台車は驚いていたのではないでしょうか。 返信 ↓
K.H生様 有難うございます。南海サハ4801は帝国車輛製造の1両のみあった車両で車体は国鉄スハ43系に準ずるもので台車はスハ43のTR47ではなく軽量のウイングバネ(TR51N)であることは知っておりました。まさか、1952(昭和27)年の新造当初に阪和のサハ3801形のイコライザーTR14形相当の台車を履いていたとは初めて知りました。関連派生写真を添付します。1964(昭和39)年8月15日紀勢本線宮前―紀三井寺間のC576[和]牽引の白浜口行き準急3106列車「くろしお」です。先頭の車両が少し写っていますが、難波発のサハ4801でピンボケですが台車がおわかりいただけると思います。この台車の履き替えられる前までの台車は筑波の麓にも関係したと思うと感じるものがあります。 返信 ↓
サハ4801の写真、ありがとうございます。 これは本当に知識と誠文堂新光社のガイドブック「南海」の中でしか、見たことがありません。 メーカーも南海沿線の帝国車両で、一見スハ43系ふうで、屋根の深さやベンチレータは2列で中央にランボード。デッキ入り口上部には特2やB寝台みたいな表示灯があり、塗装も南海グリーンの時代もあったそうで、混結して走る「はやたま」前身の列車は壮観だったことでしょう。 台車交換後の新型は国鉄10系のTR50系ではなく、キハ5501の気動車型に近かったらしいです。 和歌山駅での乗入れ車両切り離しの写真は撮れていますので、1981年のものを貼っておきます。 冷房が無いのは、遜色特急でした。 返信 ↓
昭和47年3月12日、堺駅を発車したサハ4801ラストの難波行特急「南紀号」です。 当時のダイヤは、難波発22時15分(特急)和歌山市発23時21分(和歌山で天王寺発普通名古屋行に新宮まで併結)新宮着5時12分 新宮発6時30分(普通和歌山市行に併結)和歌山市着13時30分、難波着14時33分(南海線内は特急) 昭和47年3月15日のダイヤ改正で廃止されました。 返信 ↓
写真を使わせていただいている、島原の「菱屋」藤田さんの作品にこんなのがありました。南海電車にひかれるオハフ33と思われる客車です。国鉄の所属と思われますが、「南紀」でしょうか?南海車両が国鉄線へ乗り入れたのとは反対に、国鉄車両が南海線に乗り入れたのでしょうか? 返信 ↓
電車型木造客車というのは、他にも佐久鉄道とか各地にありました。
鉄道院時代から省になり、電車も規格が大きくなった木造時代の大正末期から昭和2年と言った最後の頃に、省電型模倣のWルーフの木造車体は電動車、付随車関わらず日本各地の私鉄でも多く発注がありました。それは今で言う、電車と機関車に牽引される客車との厳密な相違を問題にせず、将来電化する色気があるなら、TR14を履かせた電車風客車を納入しとけば、どう転んでも使えるといった発想でしょう。
デッキの無い電車型木造車両が、こんなふうに転売されたり、戦時戦後の大手私鉄の放出車両で地方に流れたり、まとめて研究すれば面白い論文になるかもしれません。
主語は阪和のクタ800ですが、筑波鉄道の電車型客車の一族は、三河鉄道に移籍して電装し、名鉄合併後に最後はモ3700系に生まれ変わったのもあります。
また阪和の一統は、南海と合併後は国鉄阪和線に属さずに、電力不足の混乱期にCタンクSLに牽かれて本線上を走ったり、客車の血も忘れられず、最後に1台分の台車は、スハ43系の車体を新造して紀勢線乗入れ用に作られたサハ4801に使われたものもあったそうです。
筑波嶺の麓から枯木灘の潮風まで、長い旅をしてきた数奇な運命に、ボギー台車は驚いていたのではないでしょうか。
K.H生様
有難うございます。南海サハ4801は帝国車輛製造の1両のみあった車両で車体は国鉄スハ43系に準ずるもので台車はスハ43のTR47ではなく軽量のウイングバネ(TR51N)であることは知っておりました。まさか、1952(昭和27)年の新造当初に阪和のサハ3801形のイコライザーTR14形相当の台車を履いていたとは初めて知りました。関連派生写真を添付します。1964(昭和39)年8月15日紀勢本線宮前―紀三井寺間のC576[和]牽引の白浜口行き準急3106列車「くろしお」です。先頭の車両が少し写っていますが、難波発のサハ4801でピンボケですが台車がおわかりいただけると思います。この台車の履き替えられる前までの台車は筑波の麓にも関係したと思うと感じるものがあります。
サハ4801の写真、ありがとうございます。
これは本当に知識と誠文堂新光社のガイドブック「南海」の中でしか、見たことがありません。
メーカーも南海沿線の帝国車両で、一見スハ43系ふうで、屋根の深さやベンチレータは2列で中央にランボード。デッキ入り口上部には特2やB寝台みたいな表示灯があり、塗装も南海グリーンの時代もあったそうで、混結して走る「はやたま」前身の列車は壮観だったことでしょう。
台車交換後の新型は国鉄10系のTR50系ではなく、キハ5501の気動車型に近かったらしいです。
和歌山駅での乗入れ車両切り離しの写真は撮れていますので、1981年のものを貼っておきます。
冷房が無いのは、遜色特急でした。
昭和47年3月12日、堺駅を発車したサハ4801ラストの難波行特急「南紀号」です。
当時のダイヤは、難波発22時15分(特急)和歌山市発23時21分(和歌山で天王寺発普通名古屋行に新宮まで併結)新宮着5時12分
新宮発6時30分(普通和歌山市行に併結)和歌山市着13時30分、難波着14時33分(南海線内は特急)
昭和47年3月15日のダイヤ改正で廃止されました。
昭和47年2月27日、御坊駅、新宮発和歌山市行123レの先頭に連結されているサハ4801です。
因みに牽引機はC58222でした。
撮影日は、昭和41年2月27日の間違いでした。
写真を使わせていただいている、島原の「菱屋」藤田さんの作品にこんなのがありました。南海電車にひかれるオハフ33と思われる客車です。国鉄の所属と思われますが、「南紀」でしょうか?南海車両が国鉄線へ乗り入れたのとは反対に、国鉄車両が南海線に乗り入れたのでしょうか?
サハ4801は、1両のみで予備車が無く、検査等の時は国鉄から客車を借り入れていました。
藤本さんおっしゃられる通りで、南海2000系にぶら下がるように走るオハフ33の写真があります。
藤本さん
なるほど!そうでしたか。
それで分かりました。
ところで妻面上部に横切っているパイプ状のものはなんでしょうかね?