“ナメクジ”に 魅せられる  (5)

旅客列車を牽く“ナメクジ”

昨日からクローバー会写真展「鉄路輝く」が開かれています。私も初日から受付をさせてもらいましたが、東京、京都、大阪から著名な鉄道ファンや、デジ青でお馴染みのコメンテーターの皆さんに来場いただきました。3年半ぶりに行われた写真展では、同席した会員相互の親睦だけでなく、外部の皆さんとも交流できるのは、何より写真展の魅力です。来場者との話は、デジ青にも及び、やはりクローバー会活動の源泉を担っていることも再認識しました。

さて、“ナメクジ”のこと進めます。これからは、客貨列車を牽く“ナメクジ”を見て行きます。改めて“ナメクジ”の地域別の配置を調べてみました。昭和42年(55年前)の配置を見ますと、“ナメクジ”95両のうち、廃車になったのは4両だけ、なんと91両が現役で走っていたのです。地域別にみると、北海道33両、東北30両、中部・近畿13両、九州15両となり、北海道・東北で大半を占めています。なぜ、こんな偏りがあるのでしょうか。考えられるものとして、“ナメクジ”製造直後の配置には北海道が多く、その後も道内を転々として、海を渡らなければならない北海道では蒸機も封じ込めの例があったこと、“ナメクジ”は構造上、集煙装置を取り付けられず、北海道には集煙装置の使用線区が無かったことなどが挙げられます。ただ、貨物を牽く“ナメクジ”は多く撮ったものの、旅客列車に限定すると極めて少数です。

雪に覆われたニセコ・アンヌプリを背景に上目名の勾配を上がって行くD51 64[長] C62重連「ていね」「ニセコ」の先頭が時々D51に差し替えられてガックリきたと聞くことがある。それがもし“ナメクジ”だったら、C622先頭より価値があっただろう(上目名~目名、昭和46年3月)。

黒松内に進入するD51 27[倶]  函館本線ヤマ線の客車列車はすべてD51牽引だが、担当する小樽築港、長万部、倶知安のD51全体に占める“ナメクジ”比率は、1割程度で、なかなか遭遇する機会が無かった(黒松内、昭和43年8月)。

本州で“ナメクジ”が牽いた客車列車は、羽越本線余目で834レを牽く一枚だけだった。D51 36[酒] 右手にカーブして分岐して行くのは陸羽西線(余目~西袋、昭和46年9月)

筑豊本線の複々線区間で1734レを牽くD51 42[直] 当時、筑豊本線の旅客牽引は、D51、D60が担っていた。直方区には4両の“ナメクジ”がいて、比較的遭遇することがあった。本シリーズ冒頭のD5145(右)もその例。九州では、ほかにも吉都線でも“ナメクジ”の旅客牽引があったと思うが記録できていない(折尾~中間、昭和46年12月)。

 “ナメクジ”に 魅せられる  (5)」への3件のフィードバック

  1. 先日のこと、引き出しの整理をしていたところ、底の方から思わぬものが出てきました。その品はすっかり忘れていた記憶を呼び覚まし、半世紀も昔の出来事が鮮明に甦りました。
    D51 42は昭和47年1月と8月の2回、筑豊本線で出会っています。ところが写真の方はサッパリで、とてもお目にかけるようなものではありません。ところが面白いもので、この機関車は忘れられない一両となったのです。
    撮影を終えて若松行きの列車を待っていた、折尾駅での出来事です。昭和47年頃の筑豊本線は旅客列車にD51・D60のD型機が使用されていて、私の乗る740列車を引いてきたのはD51でした。時刻は18時44分、すっかり暗くなっていて写真はあきらめ、友人と二人で運転室のそばに立って機関車を眺めていました。するとその時、機関士さんが手招きをし、運転室に乗せてくださったのです。「どこから来た?」とか、「SLが好きなのか?」との問いに答えていると、機関助士さんが投炭をさせてくださいました。両手ショベルに掬った石炭は重く、狭い投入口からこぼさないように入れるのがやっとでした。運用中の蒸気機関車の運転室に乗るのは初めてで、夢のような時間でした。
    その機関車がD51とは覚えていたのですが、番号までは分かりません。ところが引き出しの底から出てきたのが、そのときに採ったナンバープレートの拓本だったのです。写真はありませんが、アノ時の機関車を特定する証拠になりました。私個人の思い出ですが、乗務員の親切とともにD51 42は忘れられない機関車になりました。

    • 良い経験をされましたね!
      私も中学生の時に、定位置の山陰線下り方向ホーム端で出入りする列車を見ていた時に、梅小路へ引き上げるC51の機関士が「乗っていくか?」と声を掛けてくれて、梅小路まで逆向のキャブに乗せてもらいました。メチャクチャ横ブレがすごく、立っておられず、手すりにしがみついているばかりで、楽しむことができなかったのを思い出しました。
      写真展でもちょっと話しましたが、最近の撮り鉄と称する不良たちの傍若無人ぶりを見るにつけても、かつてのファンと鉄道職員の関係を懐かしむばかりです。

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