築城の名手藤堂高虎が大和郡山から移された筒井定次の城郭を大改修し豊臣打倒のため有名な高石垣や五層の天守をあげた。現在残る三層の天守は1935(昭和10)年に再建されたもの。伊賀は忍者のふるさと、松尾芭蕉ゆかりの地であり、荒木又右衛門の仇討ちでも知られている。2004.8.8撮影 ▼
2021.11.7 現役生と共に開催された伊賀鉄道乗車会で上野市駅を出発する203で手作りのポスターが左側に掲載されている。元東急で鉄研三田会の荻原さんにはお世話になりました。▼
さて、貸し切り列車を見送った後は西大手-新居間で105の伊賀上野行きを撮影。▼
上野城の石垣は見上げるばかりで日本一の高さらしいですね。以前Webサイトで上野城をバックに服部川を渡る伊賀鉄道の写真を見たことがあったので、昨年の伊賀鉄道貸切列車の下見に行った時に撮影地を探しました。自転車で走り回って該当の場所を探したのですが服部川付近からでは城が小さくなりすぎます。もう少し南側から撮ったのが貸切列車のヘッドマークに使っていただいたこの写真でした。
準特急さんの撮られたのは城が大きく映っていますが、私のは小さくて見逃してしまいそうです。伊賀上野には国指定の曳山祭りがあって、ほぼ毎年行きますのでその折にでも、新たな撮影場所を探したいと思っています。
大津の86様
伊賀上野の祭りも凄いと思いますが、大津の86さんは地元の大津祭りでも大活躍とのことで大変お疲れさまでした。遅くなって申し訳ありませんが、小田原城のコメントで大津-藤沢間を出張で100回以上往復されたとお聞きし、猛烈なサラリーマン人生を経験されたことに敬服しております。新幹線「ひかり号」が小田原到着で降りようと立ち上がる頃右手に小田原城がちらっと見えたとのことですが、小田原の手前早川あたりですね。左手に箱根登山鉄道が大きくカーブしているのが見えますが、ここは今は箱根登山鉄道とはいえ走るのは小田急の車両ばかりです。新幹線でこのもう一つ西よりの不動山トンネル(小田原から西へ三つ目)と石橋山トンネル(同じく四ツ目)の間で2021.5.28 12時15分ごろ撮影のドクター・イエロー下りのぞみ検測を参考に貼り付けました。本題の伊賀上野城本丸西側の高石垣ですが、小学館発行の「城郭と城下町」によりますと実測による法長で29.5m、直高26m(水面下を含む)とあり、この高さは大坂城の二の丸西側の30m、姫路城帯の櫓下の26mにつぐものであり、美しいカーブを描く扇の勾配は、名古屋城天守台石垣とともに慶長期(1596~1615)の築城技術の白眉であると記されています。加藤清正の熊本城武者返しという石垣も有名ですが、また、その時触れてみます。
再送信します。
大津の86様の仰っておられる「上野城をバックに服部川を渡る」写真がありましたので、貼付いたしておきます。現役当時の写真班撮影会にくっついていっただけですので、車両のことも、お城のこともチンプンカンプンです。(1981年5月10日)
四方 誠様
有難うございます。電車が小さくなっても仕方がないですね。なかなか高松や福山のような場所はありません。ただ、これは貴重な写真だと思います。名古屋線の6300か6311系じゃないでしょうか。私が伊賀鉄道で撮ったのは京阪三条にも入っていました近鉄京都、橿原線にいた720+820以降です。
準特急様、
手前の車は5102号です。次位はわかりません。私の写真でいろいろと思いを馳せていただいているのに、写真以上のお手伝いができないことをお許しください。
四方 誠様
これで充分です。何か関係のある写真、時にはテーマを外れていても構いません。この5102号という車両と同じ形式の伊賀線車両は当会の近鉄猛者が何度か発表されたような気がします。その中には伊賀鉄道に比較的近い大阪線Kが丘にお住いの方もおられます。
服部川を渡ったところの方が大きく城が見えるようですね。こちらはJR伊賀上野からの方が近いので一度行ってみます。
大津の86様、
何も考えずに標準レンズでシャッターを切っただけの写真ですいません。今思えば、望遠で鉄橋にのっかったあたりでシャッターを切っていれば、お城ももっと大きく写せたかな、と反省しています。ただ、川の看板もより目立つかもしれません。撮影、頑張ってみてください。
四方誠さんが撮られている日は、1981年入会の新人歓迎旅行が赤目四十八滝で宿泊で行われ、その泊まった翌日のようです。
小生は一学年上で3回生でした。前日に永観堂の下宿から歩いて蹴上で京津線に乗り、浜大津経由。石山で国鉄に乗車して、草津線回りの関西本線伊賀上野で近鉄伊賀線に乗り換えて、初めて伊賀上野に下りて、歩いてロケハンして5001(元名古屋線6311)+5101を写しています。
欲張ってお城と特徴のある芭蕉関連の俳聖殿を入れて写しています。
この2日ピーカンでとても暑く、翌日の和歌山線では113系の冷房車がとても嬉しかったことを覚えています。
昭和56年5月9日 近鉄伊賀線西大手ー新居間
K.H.生様、ご無沙汰いたしております。
新歓旅行とセットの撮影会だったんですね。どんだけ記憶を手繰り寄せても、伊賀神戸側から行き、帰りは伊賀上野から柘植、信楽線経由で帰ったことぐらいしか思い出せませんでした。先輩の記憶力には、恐れ入りました。
四方さんこんにちは。貴方も60を回ったかな。確か写真班の班長になられて張り切っておられた頃だと思います。翌日は写真班行事の撮影会だったようですね。朝反対ホームの皆さんを一瞬撮っていました。私は15年くらいかけて過去撮影のフィルムデータを全部スキャンして行って、いろいろなサイトで投稿コメントに利用しているので、曖昧な記憶力に頼らずにデータベース本位にアーカイブを作っています。
この日は関西本線経由で王寺から高田を回り、和歌山線に行き、幻の鉄道だった大和二見の川端線貨物専用鉄道を探訪し撮影しています。廃線跡の研究グループなどに投稿すると若い人が狂喜してくれるので、老後の生き方の一つの柱にしています。
K.H.生様、
懐かしいお写真を、ありがとうございます。背中を向けておられる方とその方に隠れられているお二人をのぞけば、全員わかりました。
間もなく61になりますが、余裕がなくまだまだ引退できる状況にありません。
K.H.生様
何となく私が昨年DRFC貸し切り列車の撮影後に撮った場所の近くなのかと思いますが、舗装されていない農道や遮断機の無い第4種踏切、そして遠くにお城が見える風景。走るのは元本線の使い古しの吊り掛け車両。地元の人はどう思っているかわかりませんが、お客がよく乗っていますね。
もう41年昔の風景ですが、ロケハン中にこんな一瞬がありました。電車を入れて撮りたかった光景ですが、田植えのシーズンで菅笠冠った農夫の夫婦でしょうか。トラクターに2人乗り、舗装されていない畦道を踏切越えてやってきました。今回お城がテーマの一連の投稿が無ければ完全に失念していた光景ですが、実に佳い風景で、1時間近くいましたが暑さのために引き上げて鍵屋の辻を歩いたことなども覚えています。