お城と電車(17)弘前城

東北唯一の現存天守は見事なさくらで有名な弘前城である。前回宇和島城では現地まで遠いとのご意見もいただいたが、弘前は東京からは日帰りが十分可能である。弘前城は天守自体は小さくて櫓のようなものであるが、他にも二の丸追手(大手)門を始め五つの城門が残っており何れも重要文化財に指定されている。弘前公園自体も広くて散策の価値が十分にある。弘前城は津軽藩代々の居城で初代藩主為信が計画したがほどなく亡くなり二代藩主信枚が後を継いで慶長16(1611)年に完成させた。天守は寛永4(1627)年の落雷により焼失し現在の天守は文化7(1810)年に本丸辰巳櫓を改造したものと言われている。弘前城で特筆されることは天守の移設である。これは本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」が見られ、天守真下の石垣を修理することになり、高さ14.4m、重量400tの天守の移動させることになった。2014年春から3か月かけて移動したが、元に曳戻すのは早くて2026年から2028年頃と随分先のことになる。

遅咲きで有名な桜であるが訪問時は雪の天守でこれはこれで味わいのあるものであった。2013.1.29▼


移設工事中でテントで覆われていて見学はできない状態。  2018.1.21▼

重要文化財の二の丸追手(大手)門。 2018.1.21▼

 

JR弘前駅にはJR奥羽本線と弘南鉄道黒石線がある。城に近いのは弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅である。大人の休日倶楽部旅行が格安で使えるために度々青森地方の旅行に利用しているが、元の国鉄東北本線沿いの仙台~青森間には宮城中央交通(栗原電鉄→くりはら田園鉄道)、花巻電鉄、南部縦貫鉄道、十和田観光電鉄等があったが全て消滅してしまい今は奥羽本線沿いに弘南電鉄と津軽鉄道が残るのみとなり仙台、盛岡をパスして新青森まで足をのばすことが多くなった。

さて弘前城に一番近いのは弘南鉄道大鰐線中央弘前駅でこれを利用してのお城見学客はほとんどいないと思われるが一応同駅に停車中の元東急7000系の7039+7040大鰐行きである。2013.1.29▼

お城への鉄道利用客はやはりJR弘前駅下車がほとんどと思われる。この辺りというよりは東北全体が第三セクター化された青い森鉄道、いわて銀河鉄道を含めて701系という電車に占領されていて蒸機や客車時代のような感激はわかず全く面白くない。18.1.21 JR弘前駅に留置中のクハ700-26▼

弘前駅東側には弘南鉄道弘南線が出入りしている。留置中のビール電車は元東急7000系の7101。相変わらずのPⅢ台車であるが、ビールの前に電車酔いしないだろうか。2012.6.25 ▼

走行写真を1~2枚。雪煙を立てて走る義塾高校前-石川間を行く大鰐行き7034 13.1.29▼

並行して走る奥羽本線石川-大鰐間を行くEF510-12[富山]牽引上り貨物 2013.1.29▼

津軽と言えば津軽富士(岩木山)が有名である。これを入れないと来た意味がない。山は雲がかかったり難しいものであるが、この日は春霞。さらに残念なことに場所がどこかわからない。和歌山の海南で津軽訪問時のメモを紛失したのでどうしようもない。クモハ73106東ウラさんの車で大勢で来たのだが今度訊いてみたい。僅かに残雪の岩木山が右に見えることと後方に自動車道路が線路を跨いでいるので松木平-津軽大沢間と推察したがどうであろうか。大鰐行き7037 ▼

弘南鉄道大鰐線、弘南線は元東急7000系が中心である。6000系はラッシュ時などにかろうじて走っていたが今は倉庫などに利用されているという。津輕大沢留置中の6007。2013.1.29 ▼

東急7000系の大群の前には各地から兵が集まっておりとてもお城の補助写真には使えないが、その中で有名な車両を紹介する。最初はやはり義塾高校前-石川間の猛吹雪の中の1267+2253の大鰐行き 1983.2.20▼

クハ1267は見れば古い電車ファンなら直ぐすぐわかる川崎造船タイプで元西武の151系で各地に散らばっていた。1983.1.19  津軽大沢 ▼

これまた見れば直ぐわかる元富士身延鉄道100形のモハ1253 1983.1.19  津軽大沢▼

弘南鉄道にはさらに古い電機が2両いて何れもアメリカウェスチングハウス社製で鉄道車両界での重要文化財級である。写真は弘南線平賀で撮影した元武蔵野鉄道デキカ10形(現西武)のED333でもう一つは元信濃鉄道(現JR大糸線)、近江、一畑を経由してきたED221である。弘南鉄道には国電のクモハ11、クハ16やその他東急の古い車両がいたが何と言っても南海の1521形のネガがどこかに行ってしまって弱っている。

城を題材にしたが脱線してしまいキリがないのでこの辺りでやめておく。

お城と電車(17)弘前城」への17件のフィードバック

  1. 準特急様

    いつも興味深いテーマをご提供いただきありがとうございます。

    準特急さんの投稿に触発され、駅名喫茶店でもお城に関する駅名シリーズをまとめてみようかと思います。

    私事ですが、最近は和歌山での用事が多く、最近になって和歌山市電の存在を知りました。お城と電車(和歌山城編)も拝見したいと思った次第です。和歌山城に限らず、引き続き楽しみにしています。

    • 奈良の駅名研究家様
      早朝からのコメントありがとうございます。いつもデジ青での出演
      楽しみにしています。城よりも寺、神社は多そうですね。和歌山城は高校生の遠足で行ったことがあります。歴史に疎く徳川御三家の城とは知りませんでした。

  2. 準特急様 お城と鉄道シリーズ 楽しく拝見しています。私も2010年に津軽を巡り、弘南にも立ち寄りました。津軽大沢の車庫で、6107の車体が倉庫?になっていました。弘南さんは廃車体を簡単に廃棄せずに有効活用するようで、ワムの廃車体がいくつか並んでいました。

    • 西村雅幸様
      これまた早朝コメントありがとうございます。廃車車両の床下のない倉庫利用の姿を見てお世話になった沖中さんからダルマという業界用語を教えて頂きましたことを思い出します。最初は西村さんの赴任地高崎の名物弁当のことかなと間違えていました。

  3. 準特急様
    宇和島城に引き続き弘前城とまるで私の行動をご存じかのような投稿、先月弘前に行ってまいりました。準特急さんが撮られたのと同じ石川で牽引機も同じEF510、あいにくの雪の中、待ち続けて「つがる」と貨物を撮りました。準特急さんが撮られたところからもう少し秋田寄りの反対側だと思います。弘前は鉄道に見るところがいろいろありますが、観光でも弘前城を始め見どころが満載、加えてねぷたもありますね。昨年は3月に観光でも弘前に行きました。あいにく3月末までは弘前城は冬季休業でまだ入ったことがありませんが、弘前公園からの岩木山はきれいでした。次回は冬以外、出来れば弘前公園の桜も見てみたいものです。次のお城はどこでしょうか?現存天守はありませんが、2月は盛岡に行きました。

  4. 大津の86様
    弘南鉄道の石川駅付近はリンゴ畑を挟んで奥羽本線と並行しておりグリコのようなもんですね。一粒で二度おいしいですが、私のような不器用な高齢者には二兎を追う者は一兎を得ずになりそうです。桜も関西、関東で終わっても北上しますので岩木山の残雪と桜を見る5月はベストシーズンと思います。もう年なのでゆとりを持ちたいものですがガツガツとあれもこれもという気持ちは結局貧乏性なのでしょうね。今日は奈良から広島からそして大津から励ましをいただいて嬉しい限りです。ところで大津の86さんの「SL大樹C11形123号と新聞記事」ですが、車の運転手さんを始め皆さん台湾等でご一緒したりして存じ上げている方ばかりです。楽しかったことと思います。城は今12ある残存天守のうち半分を紹介しましたが、国宝彦根城は未訪問です。そのうちに行きます。有難うございました。

    • 準特急様
      準特急さんの繋がりで関東の方々ともお知り合いになる事ができて感謝しております。また皆さんと台湾にご一緒したいものです。

  5. 準特急さま
    呼ばれたようですね。
    弘南鉄道の岩木山バックは2015年5月2日10時45分頃の撮影です。
    この日は、早朝、中小国で下りカシオペアと上りはまなすを撮影。川部で五能線を岩木山バックで。そして、津軽大沢付近へ移動しています。
    本命は、奥羽本線の583系で、合間に弘南を撮りました。
    さらに、津軽鉄道大沢内へも行っています。
    メンバーは、準特急さま、荻原さま、加賀野井さま、木村さま、高崎さまだったのではないでしょうか。

    • クモハ73106東ウラ様
      そうです。その時のメンバーの方々の後追いです。この日は確かホテルを4時前に抜け出して「はまなす」を撮ったと思います。お世話になりました。

      • なんとも味わいのある一葉ですね!
        5人の並びが・・・真剣さが伝わってきます!
        でも、笑けます!

        クモハ様の岩木山をバックの583系すばらしいですね!

  6. 準特急様
    1968年夏に奥羽本線旧線の矢立峠を訪れた時に弘前駅に途中下車をしてから、その後何回も訪問することになりました。夜行列車から下車した時は駅構内にあった日本食堂で朝食をとるのが定番の行動でした。2代目、3代目駅舎は趣のある駅舎でしたが、2004年に現在の首都圏にどこでもある4代目駅舎が供用されてから「三橋美智也」の歌の世界は遠い想い出となってしまいました。
    一度、岩木山を背景に弘前城を写そうと欲張ったのですが、天守閣に近寄りすぎて叶いませんでした。準特急様が弘南鉄道弘南線のビール電車を撮影された2日後の2012.6.27に天守台から撮った残雪の残る岩木山です。

    • 快速つくばね様
      C60、C61、D51の奮闘した矢立峠は1枚でも2枚でも発表してください。山の独立峰はいいですね。鳥海山はなんぼ狙っても雲に隠れてアウトでした。歌ですがクイズでご活躍の米手作市さんは「歌手は三橋美智也、漫才はダイラケ」といつも言っておられました。「上野発の夜行列車降りた時から」も今では古い懐メロになりましたね。同年代の快速つくばねさんとは過去にまだまだニアミスがあると思いますが、もうすぐマスクを外せると言いながら私もどこで病気もらうかあげるかわからない基礎疾患持ちの後期高齢者ですのでどうぞ気楽にデジ青の場で語り合いましょう。ところでいつも快速つくばねさんの博識に感心しておりますが、日ごろ私が思っていることですがお考えをいただければ幸いです。尚、関係者がいらしたらご勘弁ください。デジ青で奈良の駅名研究家さんから奈良市より橿原市に県庁所在地を移したらという話があったように思います。そこで、似た話ですが、福島よりも郡山という話がまことしやかに話されているのを聞いたことがあります。経済力が郡山の方があるのでしょうか。もう一つ会津はかつての雄藩であり歴史的にも観光的にも会津若松の方が上のような気が個人的にしますが東京からの新幹線の有無で差ができたとは思います。山通り、中通り、浜通りにはそれぞれプライドがあるのでしょう。青森と弘前の関係も似ています。大宮と浦和もそうでしたが浦和市は今は大宮市に吸収されたようです。高崎と前橋は高崎の方が大きいような気がします。お忙しいところを恐縮ですがおひまな時で結構ですのでお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

      • 準特急様
        課題が出てから暫く考えました。レポートの提出が遅くなり申し訳ありません。
        現在の47都道府県と県庁所在地は、地方分権から中央集権を志向するために1871年に実行された『廃藩置県』に始まりますが、直後は、なんと3府302県もあり、その後統廃合が進み47都道府県の原形ができたのは1890年でした。
        東北地方は、江戸時代までの律令国は、「出羽」(山形県と秋田県)と「陸奥」(他の4県)の2国しかなかったので、地域割りが旧藩によって行われていました。青森は1871年に統合され県庁のあった場所から弘前県となりましたが、直後、港のある青森に移り名称も青森県に改称したようです。青森も津軽の地で弘前藩が将来の海運を見越して港の建設をしましていました。東北地方で『戊辰戦争』で幕府側についた藩に対する報復措置があったとよく言われますが、必ずしもそうではないようです。明治に入った直後に、県庁を置くことができるそれなりの規模の建物が存在する地ということで、どうしてもインフラが集積していた城下町となったようです。数え方にもよりますが、現在の47都道府県の県庁所在地で元が城下町でないのは9都市でしょうか。残念ながら会津若松は、会津戦争で壊滅的な被害を受けており無理だったのではないでしょうか。現在、福島県の人口も経済力も郡山市が一番となっていますが、移転は難しいと思います。
        高崎は友人が住んでいるのでよく行きますが、明治の初めには養蚕業の中心であった前橋の方が、利根川の水運を利用したインフラも整っていたようです。日本鉄道も1884年に高崎-前橋間を開通させて、上野からの終点駅になりましたが、1921年から上越線の新潟への延伸が始まり、新前橋で分岐したので前橋を通らなくなりました。いまでも前橋と高崎の競争意識は強いようです。
        東北地方以外で旧律令国が2国以上統合して成り立っている県は、県庁移転の綱引きが発生しそうです。例をあげれば静岡(駿河・伊豆・遠江)、愛知(三河・尾張)、岐阜(美濃・飛騨)、三重(伊勢・志摩・紀伊の一部)、福井(越前・若狭)などですが、中国地方5県もすべて該当します。鳥取県は県庁のある因幡より、交通の便の良い伯耆の方が発展しそうですし、1871年に廃藩置県により誕生した4県が合併して山口県となり県庁が旧周防国の山口市に置かれました。自治体としては港湾があり旧長門国府所在地の下関市を有力候補としていましたが、幕末の下関戦争や長州征討の被害状況を無視できなかったのではないかと思います。
        中央集権を目指した予算のない明治政府が、県庁所在地が定めたのは、まだ鉄道が開設される前であったので、インフラが決定する重大要素となったようです。発達後であれば日本の情報(新聞・郵便輸送等)と物流を鉄道が一括して担っていたので、また異なる場所になっていたと思います。鉄道の要衝である「郡山」、「高崎」、「長岡」、「敦賀」、「米子」、「下関」、「門司」、「鳥栖」などが有力になったと思います。個人的には国鉄の旧工場所在地が最適であったと思います。
        信濃一国は、そのまま長野県となりましたが、県域が大きいためかここでも北信(長野市)と南信(松本市)の対抗があります。県民の誰もが歌える長野県の県歌『信濃の国』がこれを纏めているようです。結論を言いますと現在の情報ネットワークと高速道路に依存する日本であれば、適当な都市の後背地があり県内で極端に偏った場所でなければどこでもよいのではないでしょうか。

        • 快速つくばね様
          有難うございます。わたしの古くて硬い頭も少しは柔らかくなったような気がします。廃藩置県で現在の47都道府県ができたころのインフラ整備状況等から現在の所在地が決められたのではないかという話はなるほどと思います。会社の先輩に会津高校出身者が2名おられ、新島襄の奥さんの山本八重とそのお兄さんの山本覚馬が会津藩士であったこともあり、会津には興味を持っていました。雄藩会津は戊辰戦争で新政府軍に大敗し、東北の極寒の地斗南藩に追いやられましたが、その後、その一部かもしれませんが会津自身は結構見直されています。山本覚馬もそうですが、津田梅子等とともに岩倉使節団の日本人初の女子留学生に会津の山川捨松が入っていました。会津出身の皇族も誕生しています。話を戻しまして小学時代は県庁所在地や外国の国名とその首都を可能な限り覚えこみました。県庁所在地は岩手県盛岡市とか栃木県宇都宮市など県名と県庁所在地名が異なるものを先に覚えました。ところが、埼玉県浦和市は現在は埼玉県さいたま市浦和区となっておりてっきり大宮市と思っていましたがクモハ73東ウラさんからお叱りを受けたところです。快速つくばねさんがおっしゃられる通り情報ネットワークと高速道路が整備された現在は県庁の場所はあまり辺鄙でない限りどこでもよいのお考えも同感です。ただ、古い人間の私は城下町や鉄道便利都市など何となく歴史性とか経済の中心地など街の風格もあった方がいいような気がします。海外では首都移転が見られますが、ニュータウンなど住むだけのイメージはダメです。願わくば朝起きたら路面電車の音がするような街がいいと思います。失礼しました。

          • 準特急様
            早速のコメントありがとうございます。2013年NHK大河ドラマの「八重の桜」を見ていましたので、幕末の会津藩や同志社大学設立の話はよく分かっております。叔父や会社の先輩、同期にも出身者が結構いますので、当時、大学の方から寄付を求められているという話があることを思い出しました。
            新島襄は確か上州安中藩の藩士だと思いますが、車を運転して踏切で待っていますと1日1往復しかありませんが、安中貨物という通称のある貨物列車が通過します。この列車は福島臨海鉄道の小名浜から信越本線の安中の間で亜鉛の原料を運んでいるのですが、待っている間、新島襄のことを思い出すことがあります。
            わたしも路面電車の走っている街は都会だと思っています。宇都宮市は苦労をしていますがようやく復活するようです。車でつくば市内によく出かけるのですが、面積は山手線の内側位ですが、路線バスとコミュニティバスしかありません。道幅が広くとってありますのでここに路面電車が走っていればどれだけ便利かわかりません。残念ながら市民でないので市長に提案できません。

  7.  準特急様
     コメントが遅くなりました。
     弘前はとても遠いところだと思っていましたが、東京からだと日帰り圏なのですか?びっくりです!
     弘前城には一度行ったことがあります。桜の頃はニュースでよく拝見しますが・・今はお城をずらして?大がかりな改修工事中ですね。
     弘前はとても旧い落ち着いた街だったとの印象があります。お城の公園も素敵だなぁと思いました。
     しかしながら、冬はとても厳しい所だと容易に想像できますし、今回見せて頂いた猛吹雪の見事な写真で正直凍えてきます。
    先輩の果敢なチャレンジ精神と寒さへの備えや対抗力に頭が下がります。
     岩木山は魅力がありますね。綺麗ですね!美しい!
     青森はリンゴ! りんごの白い花や見事な美しいリンゴ畑を見たことがありませんので、機会があれば是非津軽地方に行ってみたいと思います。弘前城の修復は約4年先なんですね!随分先ですね。

    • マルーン様
      いつもコメントありがとうございます。岩木山(津軽富士)はいい山ですね。私見ですが、新幹線が来ていないので経済的にはどうなのかはわかりませんが、青森よりも弘前が、福島よりは会津若松の方が歴史や文化が上のような気がします。観光でも城や温泉が影響していると思います。撮影中の五人のうちのお一人は伊賀鉄道でお世話になった方です。今月号の鉄道ピクトリアル東横線特集には大論文を掲載されています。

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