新津は羽越本線、磐越西線、信越本線が交わる鉄道の町で4人に一人が国鉄に勤めていたと言われていた。米原や糸崎もそうであったのではないかと思う。1963(昭和38)年4月1日現在の国鉄動力車配置表でC57の配置を多い順に見ると小樽築港17両、金沢16両、新津12両である。東新潟に機関区がありここにC57が9両在籍していたのでこれと併せると新潟地区には21両もいたことになる。新潟機関区は後に上沼垂運輸区となり現在は新潟車両センターになっているがここは訪問したことがなく詳細はわからない。
さて新津のC57と言えば同区出身で「SLやまぐち号」を牽引していたC571が有名である。もう一つは地元新津で磐越西線のイベント列車「SLばんえつ物語」として運転されているC57180もここの出身である。このほかに後閑駅脇に保存されていて復元され高崎運転所(現ぐんま車両センター)にいて上越線水上や信越本線横川やその他各地へのイベント列車に駆り出されているD51498も同区にいた蒸気機関車である。今回は客車用のC57にスポットを当ててみるが羽越本線のC57の現役時代の記録はDRFCの仲間の皆さんと行動を共にした時のものである。なお、2024年12月28日に「久しぶりに見るC57と関連写真」と題して同じ様な内容で投稿したことがあるので写真のダブリは避けるようにした。
最初はC571である。同機は急行「日本海」を運転中土砂に乗り上げて損傷したがトップナンバーが幸いしたのか復旧して最後まで新津区で活躍した。動態保存のため梅小路に行く前にかつて活躍した千葉地区の総武本線でお別れ運転をした。梅小路から山口線へ行きイベント列車で長く活躍した。山口線で撮られた方もおられるかもしれないので追加発表されたら嬉しく思う。
始めは1966年9月23日の新津区のトップナンバーC571である。▼
同じ日のC571で後方は扇形庫。左には新津区のスローガンが見える。
1969年10月11日今川-越後寒川間のC571牽引2048列車でこの日は終日雨だった。▼
新津区の若番C5719。1969年10月11日坂町駅で交換する直江津発秋田行き821列車牽引の姿である。坂町は米阪線の乗換駅で機関区もありD51や9600が配置されていた。(この写真は再掲載)▼
新津区で最後まで残ったC5719は新津駅から車で10分くらいの新津鉄道資料館に新幹線200形と共に保存されている。2018年6月30日資料館▼
C57180は廃車後新津市内(新津市は現在は新潟市秋葉区となっている)の小学校で静態保存されその後「SLばんえつ物語」の牽引機となっている。1969年9月23日新津▼
2024年11月30日 その「SLばんえつ物語」牽引前の新津駅でのC57180でクモハ73106東ウラさんと行った時のもの。▼
この他の新津区のC57
1969年10月11日今川-越後寒川間の835列車C57103▼
1969年9月23日新津を出発するC5735▼
1969年9月23日新津区のC5769▼
1969年10月10日 桑川 832列車秋田発新津行きでこの3次型C57182は新津の後にさらに九州に転属することなる。▼
1972年5月2日 日豊本線重富-帖佐間を行く新津から吉松に来たC57182牽引西鹿児島発吉松行き▼
201両つくられ四国以外の各地で活躍したC57も新津は比較的遅くまで在籍したのではないか。かつては急行列車やお召し機関車に指定されたものもあるがそれらを撮ることは叶わなかったが保存機も含めてある程度は記録できたような気がする。同行して付き合っていただいた皆さん今頃どうしているのかとふと思うことがあるが御礼を併せて申し上げたい。








準特急様
1971(昭和46)年だったでしょうか。関東在住組のひとりとして、羽越本線行きのお誘いを受けましたが、こちらは社会人一年生で心の余裕がなかったのか、不参加でした。
C57の頃、羽越本線の下り客車普通列車は新津駅を始発駅として、昼すぎまでに青森、秋田に向けて4本程の長距離列車がありました。
「笹川流れ」は学生時代に桑川から歩いたことがありますが、海側の道路は鋪装されていないところが多く、車の往来は皆無でした。
桑川での山の中腹からの笹川流れ借景のC57182俯瞰写真いいですね。現在では、こういう写真を撮るときは、クマ鈴も用意していく必要があるのかな、という場所です。
テーマから外れますが、OB故吉谷和典さん著の「すかたん列車」の「羽越本線すかたん列車」に、43年10月ダイヤ改正直後に桑川から今川に向かって歩いたときの様子が記されています。
「線路と離れて人間専用のトンネルをくぐったこと、そのトンネルは素堀りのままで電灯なく不気味であったが、大きくする工事していること、撮影後、更に今川に向かって歩きだすも人道トンネル拡大工事中で通行止めのため、桑川に戻ったこと、最後に、客のいない食堂で湿ったピーナツでビールを飲んだこと」、が記されています。
孫が運転シミュレーターをしたいということで横浜滝頭の市電保存館に来ています。羽越線の海辺の秘境の話有難うございます。湿ったピーナツの吉谷さんも英語のできる大阪市電の運転士さんでしたね。不人気な投稿ですがC57のお好きな高田さんからのコメントを大変嬉しく思いやめようと思っていました次作をやろうと思います。
準特急様
私は初めて写した蒸気機関車が梅小路のC57 5だったせいなのか、C57が大好きです。ただ、新潟県は京都から遠く、中学生の自分には遠い場所でした。「鉄道ファン」に載った羽越本線の写真を見ては、行けたらよいのになあと憧れたものです。
C571は山口線で長く活躍し、北陸本線の「SL北びわこ号」の先頭に立ったこともありました。山口線は運転が始まった最初の夏に行きましたが、満足のできる写真は撮れませんでした。
添付の画像は昭和48年10月10日、梅小路蒸気機関車館の開館一周年を記念して、梅小路流のお召列車の装飾をしたC57 1です。
紫の1863様
綺麗なC571の写真ありがとうございます。次はもう少し身近なC57を用意します。