保存蒸機とその現役時代(49)C621

昔の乗り物絵本には大抵C62の「つばめ」や「はと」が出ていた。それを写真に実現した山科の鉄道写真界の人間国宝佐竹先輩には毎度のことながら羨ましき限りである。もっとも今の若い方には撮れただけでもええやないかと言われそうであるが今回はそのC62のトップナンバーである。私の撮影時(1963-1964年)の山陽本線は架線が張り巡らされていたが走るホテルと言われた20系ブルートレインは何れもC62牽引で、撮影可能な下り1列車「さくら」、7列車「みずほ」が広島運転所(旧広島第二区)、3列車「あさかぜ」、5列車「はやぶさ」は下関区の担当であった。また、その他の急行列車もC62若しくはC59が牽引し、正しく夢のような時代であった。この様な中でトップナンバーC621は一度も優等列車牽引に巡り合わなかったのは残念である。しかし、トップナンバー故なのか広島で保存の後に梅小路の京都鉄道博物館に静態で保存されている。訪問した日は何れも雨だった。

C621略歴:1948(昭和23)年 1月 日立製作所笠戸工場にて落成 製造番号1921

新製後広島第二区に配属、1950(昭和25)年8月から1957(昭和32)年9月のおよそ7年間は宮原区で特急「つばめ」、「はと」など主力列車を牽引したが、再び広島に配属され1967(昭和42)年7月に同区で廃車となった。

1963(昭和38)年3月27日 下関 221列車柳井発門司行きを牽引後機関区へ向かう▼

1964(昭和39)年7月23日 横川-己斐(現西広島)229列車大阪発門司行き ▼

1968(昭和38)年3月27日 下関 C621ナンバープレート▼

2011年4月23日 小雨煙る中、屋外展示中のC621 ▼

2022年11月13 日 ホームカミングデイ総会の直前に撮影 北海道にいたC551と庫に並んで展示中 ▼

 

保存蒸機とその現役時代(49)C621」への4件のフィードバック

  1. 準特急さま
    都電に次ぐ連投を楽しんでいます。お書きのように、C621は、トップナンバーの割には、優等列車を牽くような華やかなシーンは無かったですね。山科の人間国宝さんの撮影リストを見ても、C621が「つばめ」「はと」をを牽くのは、わずかでした。山陽本線に転じても、広一区のため、下関区のように、ブルトレを牽くことも無かった訳ですね。
    私が見たC621は、すでに現役を退いてからで、広一で見た時は、横にEF582がいて、図らずも、蒸機、電機の代表が1・2と並んでいました。つぎに見たのは、小郡区のなかでした。保存を前提として保管で、庫に余裕のある小郡区を選んだと思われます。
    ホームカミングデー直前のC621の出会いは、あの有名な模型店店主のブログにも、写真入りで紹介されていましたね。

    • 早速のコメント恐縮です。トップナンバーというスターでも状態はいい方ではなかったようですね。車中スマホからのですので再度返信します。

  2. 総本家青信号特派員様
    蒸気機関車には同じ形式でも状態のいいのと悪いのがあるようですね。ツバメマークのスワローエンゼルことC622はどちらかと言えばあまりよくなかったそうで函館本線急行の重連でよく前補機についていましたが、あれはファンサービスのためではなく本務機に充当するには信頼性が薄かったということらしいです。らしいというのは実際に運転したことがない私が断定できるはずがなく多くの運転士(機関士)が言うならそれは素人が言うよりずっと信憑性があるのではないかということです。因みに44号機はよかったそうです。総本家さんもよくご存知の福山在住の元糸崎区のUさんはC59164号は状態がよく、先に廃車となったC59の167号、175号、179号などはよくなかったと言われました。好きな蒸機をボーと見ていた私には何をもって状態が良いのかよくわからなかったです。呉線は速度が出てもせいぜい70km/hの路線なので安登越え(峠)ではC59よりもD51の方が良いと言われショックを受けましたが、信州など勾配の多い路線はD51のような動輪四つの方が好まれるのは分かるような気がします。電車でも形式によって運転しやすさはあるそうですが、蒸機の様に番号によって状態のいい悪いがあるというのはある面困ったものですが、それだけに蒸気機関車は人間の作った機械の中で生物に最も近いというのも当たっているような気がします。

    • 詳細なご返信、ありがとうございます。C622のヤマ線の補機運用についてはお書きことが真相のようですね。補機として役割で見ると、C62は明らかに役者違いで、ときどき運用都合でD51が入った場合、乗務員はむしろ喜んだと聞きます。
      Uさんの話は現場を熟知している方だけに説得力がありますね。蒸機は個体差があったのは、人間に一番近い機械だったからでしょうか。宮原機関区にC62がいた時代、好調なカマの順に、ナンバープレートを色分けしていました。いちばんは「赤」、つぎが「青」、最後が「黒」で、事実、C621、C622は「黒」でした。「赤」は、鉄ピク1000号表紙を飾ったC6241やC6230でした。人間を能力で色分けするようで、差別問題(?)に広がり、まもなく、すべて「黒」になったようです。

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