山形県には保存蒸機が3台と大変少ないことに加えてこれまでほとんど行く機会もなかった。しかし、現在は首都圏からは新幹線「つばさ」利用で日帰りができるようになり、以前よりは出かける頻度も高まった。今回は保存蒸機3台のうち2台を占めるC58を取り上げてみた。デジ青では01を始めドイツの素晴らしい蒸機が連日登場しており、これに対抗するには日本的名機で客貨両用万能機C58が適当と考えた。
C58231 1940年5月 川崎 製番2308
説明板によると新製後天鉄局竜華機関区を振り出しに和歌山紀伊田辺機関区を経て昭和48年10月に会津若松機関区に配置され、以降昭和49年5月まで陸羽東線小牛田~新庄間を走り続けたとある。最後に走ったゆかりの地に近い場所に保存された訳であるが、その生涯の殆んどは和歌山方面で暮らしていたので何となく「よう来たな」と関西訛りで話しかけられそうな感じがした。正面は予備灯付きの東北顔に変わっていた。保存状態はよくない。
2014.6.27 上山市河崎町上山市民公園(かみのやま温泉駅北西徒歩15分)▼
1964.8.15 紀勢本線紀三井寺~宮前 下り貨物牽引C58231[紀伊田辺]
C58304 1941年10月 川崎 製番2598
この機関車の当初の配属は不明であるが、1945年8月一ノ関、以降山形、酒田、新庄と移り、1968年3月横手、1971年6月廃車とのことであるから一生を東北で終えたものと思われる。保存状態は最悪で正面やテンダーにナンバープレートがなく全体に腐食が進んでいる。
2014.6.27 新庄市若葉町金沢交通公園(新庄駅から北へ徒歩7分) ▼
1965.9.3 一ノ関 大船渡線と東北本線一ノ関~有壁間の補機に使用されていたC58304[一関] ▼
山形については殆んど知識がなく、知っているのは「さくらんぼ」に「ベニバナ」、喜劇俳優伴淳三郎(米沢出身でアジャパーとか一杯やっかで有名であったが1945年8月15日以前にお生まれの人しか知らないのではないか)、それに歌人斉藤茂吉(上山の出身)くらいである。山形新幹線ができた影響か駅名に「かみのやま温泉」、「茂吉記念館前」、「さくらんぼ東根」など何となく客誘致を強く意識したような響きを感じる。
準特急様
C58の今昔拝見しました。一関、和歌山、田辺ならありそうだと私も探しました。ついでに奥山さんのアルバムも。結果、残念乍らC58304一枚だけでした。一関ではC58-163、-244、-304、-307が、和歌山ではC58-214、-240、田辺ではC58-178、-233、-267と近い機番はあったのですが、同じ機番はなかなかでした。
さて、『保存蒸気とその現役時代』も、ご努力の結果、回を重ねること30回までになりました。デジ青のアーカイブに燦然と記録されたるシリーズもののひとつとなりました。まだまだ続きを期待しています。及ばずながら時々お手伝いやら、差し出がましいことをさせて頂こうかと思います。
そこで、C57130。和歌山県橋本市に保存されているとか。撮影されましたか? まだなら小生、高野山の墓参りのついでに撮影してきても良いですよ。
また、C57148、一度お話ししましたが、大阪の共栄興業が自社のショーウインドウに展示保存しています。社屋新築の折に展示、ついでに画像とレコード入りの豪華箱入り本も作成、私も所蔵しています。画像は勿論加太で、最終日の『鳥羽快速』の牽引機でもあり、準備OKです。
Tsurukame様
コメント有難うございます。毎回同じことを言って恐縮ですが、私の強みは歳をとっていることです。鉄道記録写真の世界においては歳をとっていることは古い記録を持っている可能性が高いということです。それと歳をとっても元気に歩けることが重要でして、歩けるということは現在の鉄道写真も充分記録できることになります。要するに元気な爺さんを続けることです。しかし、諸先輩、例えば、山科方面、須磨方面にお住まいの大先輩などから比べたら私などは「ひよこ」でして記録できていない車両は一杯あります。そういうことで保存蒸機の現役時代はTsurukame様を始め活動的な諸先輩の力を貸していただければ、かなりいけると思います。Tsurukame様に音頭を取っていただいたC57第4次車(C59に似たC57)はあっという間に全機集まりました。保存蒸機の現役時代の企画は既にどこかで進行しているようですが、私なりにやれるだけやってみようと思っております。和歌山県橋本市保存の蒸機はC57110だと思いますが、これは既に発表させていただきました。保存場所へは橋本駅から坂道をかなり歩きました。大阪の共永興業さんはC1238もお持ちのようですが、未訪問です。C57148は土砂降りの参宮線伊勢あたりで撮ったことがありますが、加太の最終鳥羽快速の方が素晴らしいのでその時は宜しくお願い致します。加太といえばC57急行「大和」を始め加太特集の出版準備宜しくお願いします。話は変わりますが、先日、Tsurukame様がその現役時代を発表されたC58239に会ってきました。これも日帰り撮影でした。最後にお願いですが、阪急京都線710の特急の写真をお持ちでしたらお借りできませんか。マルーンさんにまだ返事をしていませんが、デジ青投稿の宿題が残っているのです。
準特急様
記憶だけに頼るのはやはり駄目ですね、ちゃんと調べなきゃ。橋本市の保存機がC57110で、すでに発表されていたとは。そう言えばその時、小生も村田屋の窓から撮った110の補機姿を投稿したこと、思い出しました。C57130は直江津と亀山に居た機でしたね。
話変わりますが、阪急710系特急は小生は持っていません。DRFCのメンバーならきっとどなたかお持ちでしょうが、小生が存じている写真が3枚あります。DRFC・OBの故羽村宏さんの撮影です。そしてこの3枚に加えて全部で8枚の京都線と嵐山線の写真が、『関西の鉄道』No.20に発表されています。乙訓の老人の手になる『羽村宏氏をその作品とともに偲んで』です。
読者の方で、710系特急の画像をお持ちの方、いらっしゃいませんか?
もし無ければ、乙訓の老人とも相談の上、故羽村宏さんの画像を借りる方法もあるかと思いますが。いかがでしょうか。
準特急さま
tsurukameさま
準特急さんから連絡をいただき、阪急710特急の写真のことが、コメント欄で話題になっていることをやっと知りました。tsurukameさまが“もし無ければ”と書かれている、故羽村さんの撮影分は、いま私が預かっています。以前、乙訓老人から、「ワシが死んだら引き継いでくれ」と、“生前贈与”として預かっています。もとより、tsurukameさまから物故会員の作品集を提案されていますので、ゆくゆくは公開するための準備をしなければと思っていました。乙訓老人の許諾をいただければ、先行して阪急710特急を公開しましょうか。
総本家青信号特派員様
ご連絡有難うございます。今回は保留とさせて下さい。