今回は、デジ青ではあまり話題にあがることのない名鉄です。多種多様な路線を抱えており、近鉄にも負けない路線網を保有している会社であるといえます。その分、駅名も多いですね。
難読駅名もいくつかあります。
今は廃駅の「西中金」をどこで切って読むか分からず、「さいちゅうきん」と読んだことは、今でも反省しております。
では参りましょう。
◇ 五十音順の最初と最後は…
最初:青塚(津島線)
最後:若林(三河線)
◇ 新〇〇 シリーズ
新安城、新鵜沼、新可児、新加納、新木曽川、新清州、新瀬戸、新那加、
新羽島、新舞子
名鉄名古屋、名鉄一宮、名鉄岐阜もかつては、新名古屋、新一宮、新岐阜でした。セントレア開業を間近に控えた2005年1月に、現駅名に改称されています。
◇ 難読(だと思う)駅名
国府、男川、矢作橋、知立、栄生、国府宮、石刀、苧ケ瀬、顔戸、木津用水、扶 桑、田県神社前。甚目寺、聚楽園、瓢箪山、上挙母
◇ 小牧が3駅連続!
小牧原、小牧、小牧口 (小牧線)
◇ 駅名読みがな字数ランキング
1位:大森・金城学院前(おおもりきんじょうがくいんまえ)15字→表記数では堂々の1位です。
1位:蒲郡競艇場前(がまごおりきょうていじょうまえ)15字
3位:中京競馬場前(ちゅうきょうけいばじょうまえ)14字
「競馬場」と「競艇場」の両方の駅名を合わせ持つ鉄道会社、他にあるでしょうか。
◇ 小田井三兄弟
上小田井、中小田井、下小田井 (犬山線)
駅名ファンには有名な並びです。
◇ 番外編
駅名の話題からそれます。
名鉄西尾線と名鉄尾西線はそれぞれ漢字が入れ替わっており、読み方は、西尾線(にしおせん)と尾西線(びさいせん)です。
奈良の駅名研究家様
西中金の駅名板を探していたら出てきました。2003年12月21日の撮影です。
奈良の駅名研究家様
同じく西中金の駅舎です。12月21日ですが日中の太陽が届かないのか晴天でも「寒い!」そのものでした。
奈良の駅名研究家様
その日は比較的新しい34が猿投行きに投入されていました。また、元電車が走っていたのでしょうか、架線柱が残っており架線は外されていました。東北の栗原がこんな感じだったと思います。詳しいことはもっと知っておられる方にお願いしたいと思います。
準特急様
全国鉄道地図帳(昭文社2020)によると、もともとは電車が走っており、「合理化のため、西中金~猿投間は1985年から…電車運転を廃止し小型のレールバスに切り替えていた。」とのことだそうです。
奈良の駅名研究家様
調査、ご報告有難うございます。電化
をやめてディーゼル化はどのような条件でどの様な合理化になるのか興味のあるところです。冒頭、デジ青ではあまり話題にあがらない名鉄と言われましたが、なるほど名古屋にはなかなか足が向かなかったのは事実です。しかし、今になって思いますとパノラマカーをはじめ、5200、5500系のハンサムボーイ、卵の様に丸っこい5000系、古くは流線形の3400系、なまず、戦前のスター800系など面白かったです。これに600V時代のくせ者が加わりますからそれこそ名鉄は役者揃いでした。最近は車種が統一されてきたのか皆さん足が遠のいていることと思います。
準特急様
そうですね。車種に関して、昔ほどの魅力は無いのかもしれません。
その中で、私が幼少期に馴染みのあったパノラマスーパーが、塗装を変更しながらもいまだに現役なのは大変嬉しく思っています。パノラマDXや北アルプスが廃車となった今、パノラマスーパーには末永く頑張ってほしいものです。
準特急様
西中金と三河線の写真付き投稿、誠にありがとうございます。
昔、名鉄沿線に住んでいたこともあり、名鉄は近鉄の次に好きな私鉄かもしれません。名鉄もなかなかの路線長で、いまだに河和・知多新線には乗れていません。蒲郡線も乗っておきたいところです。
奈良の駅名研究家様
名鉄、東武、近鉄は私鉄500キロ三羽鳥で制覇するのは大変ですが辺鄙な所は忘れかけた風景も発見できて楽しいです。新名古屋ではどう呼んでよいのかよくわからない行き先名の特急が次々と現れて狭くて暗いホームをウロウロした思い出があります。
準特急様
新名古屋は、名古屋本線の中心駅にも関わらず、2線で二方向の列車を捌いていて、圧巻です。大和西大寺も良いですが、単に列車を見たければ、1時間名鉄名古屋に滞在するのもおすすめです。
仰せの通り、辺鄙な場所もいいですね!私もどちらかといえば、のどかな方が好きです。三岐鉄道や樽見鉄道などのローカル線を好むのも、そういう訳です。
奈良の駅名研究家様
名鉄には会社名のような「名電」を冠した名電赤坂、名電長沢、名電山中、名電各務原という駅名があります。前の名古屋本線の3駅は1926年の開業時には愛知電気鉄道の「愛電」を冠していましたが、名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併し名古屋鉄道に社名変更した3年後の1938年に「愛電」から「名鉄」でなく「名電」に変更して現在まで続いています。最後の各務原線の名電各務原のみ二聯隊前から改称していますが、当初の読みは「めいでんかがみはら」でしたが、1963年に市制が敷かれた各務原市(かかみがはらし)に合わせる形で1965年に「めいでんかかみがはら」に変更しています。
名鉄の春日井(小牧線)は、1931年2月11日に名岐鉄道城北線春日井として開業して現在に至っています。一方、同名のJRの春日井(中央本線)は、1927年12月16日に現在地(当時は東春日井郡鳥居松村)に鳥居松(とりいまつ)として開業しました。1943年に東春日井郡の4町村が合併して春日井市として市制が施行され、これに合わせる形で国鉄の駅も1946年5月1日に春日井に改称され、戦中戦後の混乱期とはいえ離れた場所に同じ駅名が存在することになりました。今のJR西日本であればJR春日井とするのでしょうが、両駅間は徒歩で5.5キロ離れていて間違って下車すると徒歩で1時間以上かかります。これと同じような話が1905年に開業した阪神電鉄の尼崎(阪神本線)とJRの尼崎(東海道本線)の間にもあります。JRの駅は1874年に神崎(かんざき)として誕生しました。尼崎市が1916年に市制施行したことにより、街の代表駅としての実状を考慮して1949年に神崎を尼崎に改称し、同時に尼崎港支線の尼ヶ崎を尼崎港に改称しました。
写真は、豊川稲荷(豊川線)をJR飯田線の豊川のホームから見たところです。開業は1954年12月25日に国鉄の豊川と隣接する形で新豊川として誕生しました。一つ手前の駅に稲荷口があり、開業直後の初詣から誤乗が発生したようで開業した僅か6か月後に豊川稲荷に改称されました。本来ならば名鉄豊川でよかったと思うのですが。
また、漢字の難しさより濁点の有無など読み方の間違えやすいものを独断と偏見で抜粋してみました。中部地方は難読地名が多く、名古屋市電にも読むことができない電停が多くありました。
御油(ごゆ)、本宿(もとじゅく)、美合(みあい)、宇頭(うとう)、呼続(よびつぎ)、二ツ杁(ふたついり)、茶所(ちゃじょ)、米津(よねづ)、西幡豆(にしはず)、東幡豆(ひがしはず)、小垣江(おがきえ)、猿投(さなげ)、古見(こみ)、常滑(とこなめ)、南加木屋(みなみかぎや)、阿久比(あぐい)、植大(うえだい)、成岩(ならわ)、上ゲ(あげ)、河和口(こうわぐち)、河和(こうわ)、大山寺(たいさんじ)、善師野(ぜんじの)、味鋺(あじま)、味美(あじよし)、間内(まない)、勝幡(しょばた)、苅安賀(かりやすか)、南宿(みなみじゅく)、不破一色(ふわいしき)、江吉良(えぎら)、手力(てぢから)、三柿野(みかきの)、二十軒(にじっけん)
快速つくばね様
コメントありがとうございます。確かに、中部地方は難読駅名が多い気がします。私が関西人なので、そう感じるだけかもしれませんが。
金山(かなやま)や知立(ちりゅう)も地元民と鉄道ファンぐらいしか正しく読めないのでないかと思います。
ところで、名鉄名古屋は「名駅」という呼び名で皆さんから親しまれていますが、いつ頃からその呼び名が広まったのでしょうか。
快速つくばね様、奈良の駅名研究家様
愛知の地名は個人的に懐かしい所があります。東海道53次を歩きましたが(実際は桑名で停まっています)江戸から34番目の宿が吉田(今の豊橋の中心)、続いて35番目が御油、36番目が赤坂、37番目が藤川、38番目が家康の岡崎、39番目が池鯉鮒(知立)、40番目が鳴海、41番目が熱田神宮の宮、そして舟で渡れば桑名となり三重県に入ります。こうしてみますと名鉄線(愛知電気鉄道)は東海道53次沿いに敷設させたことが歩いてみて始めてわかりました。御油ー赤坂は松並木が見事に残っており江戸時代を偲ぶには最高です。赤坂、藤川は名鉄の好撮影地です。知立は昔は池鯉鮒だったそうです。本題の駅名から脱線しがちですみません。
準特急様
コメントありがとうございます。
名古屋方面から豊橋方面の列車に乗車すると、東岡崎を過ぎた辺りから、車窓が一変した覚えがあります。
好撮影地であるのも納得です。
準特急様
またまた私も脱線です。
東海道53次を歩かれたとのこと、豊橋-岡崎間は東海道本線や新幹線が蒲郡を経由するので景色を見慣れていますが、本来は名鉄、旧東海道、国道1号、東名高速の通る赤坂周りが歴史的にも正当ですね。
吉田宿で思い出しましたが、明治2年の版籍奉還と明治4年の廃藩置県を実施する時に明治政府は同一の県名(3府302県)を作らないため全国に複数ある藩名を整理しました。その時吉田藩は三河吉田藩と伊予吉田藩とが競合し、後者を吉田県として存続させ、前者を豊橋藩、豊橋県に変更させました。明治新政府成立時の協力度合いが考慮されたといわれていて、府中藩も常陸、駿河、長門、対馬に四つありましたが、それぞれ石岡県、静岡県、豊浦県、厳原県となりました。
奈良の駅名研究家様
地名としての「名駅」は、名古屋駅から見た東側の地域一帯を指す「名古屋駅周辺地域」という町丁名ですが、いつから呼ばれだしたか分かりません。町丁名としての「名駅」は、1977年から・1978年・1981年にかけて実施された住居表示により正式の地名となったようですが、不思議なことに中村区には名駅一丁目から五丁目および名駅南一丁目から五丁目があり、隣り合う西区には名駅一丁目から三丁目が重複して付けられています。
因みに47県庁所在地の中心駅に『駅』がつく地番が付けられているかを調べましたが、名古屋を含めて5駅ありました。駅の所在地は一般的に駅長室のある場所の地番といわれています。
盛岡:盛岡市盛岡駅前通1-48
名古屋:名古屋市中村区名駅一丁目1-4
岡山:岡山市北区駅元町1-1
博多:福岡市博多区博多駅中央街
佐賀:佐賀市駅前中央一丁目11番10号
お願いがあります。東京(江戸)-京都間に東海道五十三次、中山道六十七次がありますが、吉田宿と豊橋駅のように宿場町名と最寄りの鉄道駅名が異なる宿場があります。整理していただけませんでしょうか。(対応する駅がない宿場もあります)
快速つくばね様
ご丁寧にありがとうございます。
名古屋地方では、とにかく「めい」という音の響きが浸透していますね。
余談ですが、名鉄のミューチケットのギリシャ文字μは、ご存知の通り、アルファベットのMに対応します。
東海道、中山道ですね!承知いたしました。整理して報告いたします。