福知山のC57たち

老人になると徐々に外出をしなくなり若い時代の思い出にしがみつくようになる。音楽もスポーツも皆そういうことが言えそうだ。最も長く続いている鉄道趣味も全く同じである。

前回の新津に続いて福知山のC57を題材にしてみた。中高生の時は福知山線を走るC57が、大学時代は山陰本線の京都口に出入りするC57が案外身近にあった。先輩方の記録を見ると福知山にはC57の前はC54やC55が在籍していたがカメラに記録するとなるとまだ若過ぎた。さらにC57には急行列車「出雲」牽引時にヘッドマークが付いていたがこれも勿論見ることはなかった。今のイベント列車にはない本物の良さがあった。

さて、例によって1963(昭和38)年4月1日付国鉄動力車配置表によると福知山区のC57は10、11、36、41、58、85、87、93、128、152の10両が在籍し今でもスラスラ番号を言えるがこの時代の蒸機ファンにはどおってことはない。この中で九州出身の10だけは写す機会がなかったのは残念である。

それではまず福知山線で大阪に顔を出していたC57である。1961(昭和36)年10月1日に宝塚を出る724列車篠山口発大阪行きのC5793が私のC57撮影のファーストショットである。この日は各地に特急ができた記念すべき日であったが宝塚で京都発7D「まつかぜ」松江行きの撮影を行いその直後に撮ったもので出発後の後ろ姿である。▼

続いては1962(昭和37)年12月16日の篠山口での交換列車726列車福知山発大阪行き牽引のC5741である。この日は同行の趣味の友人と朝一番列車で豊岡区や和田山支区のC55を撮影に出かけ途中交換する列車を片っ端から撮っていた。C5741は素晴らしいナンバーを持つ綺麗な機関車だったが後に宮崎へ転属して行った。▼

1965(昭和40)年3月5日道場-武田尾間の武庫川渓谷沿いの旧線で撮影中に急に門鉄デフのC5711牽引の上り客車列車がC57152を補機に従えてやってきた。急に来たので驚いて撮ったので大ピンボケであるが門鉄デフのC57を始めて撮りしかも補機付きであったので恥ずかしながら敢えて貼り付けた。平坦線の福知山線では補機不要であり、多分回送列車と思う。▼

C5711は超有名な機関車で九州時代は特急「かもめ」専用機で門鉄デフには翼と波模様が装飾されていた。福知山に来てからは重油併燃装置がつけられさらに豐岡区の播但線時代は集煙装置も装備され九州時代の美しさは損なわれた。播但線溝口付近の上り貨物690列車を牽引する同機。▼

C5711は豊岡市の中央公園に集煙装置と重油併燃装置は外されてすっきりした姿で保存されていた。2013(平成25)年8月30日撮影。▼

今度は山陰線本京都口であるがここは金沢や水戸などから梅小路に転属してC51を追い出したすっきりしたスタイルのC57が幅を利かせていた。福知山区のC57の走行写真の記録は少ない。1969(昭和44)年2月6日雪の降った馬堀付近を行くC57128が牽引する1725列車園部行きで横から見るとドームの後ろの重油併燃装置が梅小路区のC57にはないので違いが直ぐわかる。但し、梅小路区のC57には和歌山から来た戦後製第4次型C57190は重油併燃装置と集煙装置がついていた。▼

2013(平成25)年12月23日貝塚恒夫さんに車で案内していただいた大津市遊びの森公園に保存されているC57128でこれも福知山時代の重油併燃装置は外されて展示されてすっきりしていた。▼

次に各機関区で撮った所謂車両写真である。

1969(昭和44)年2月22日福知山機関区のC5787で集煙装置と重油併燃装置付きで加えてボイラの前面が角張っているのが残念であった。▼

福知山線のC57は大阪到着後宮原に行き給炭後次の仕業を待っていたと思われるが私は宮原機関区には行ったことがないので詳細はわからない。一方梅小路機関区は時々C51やC57などを求めて行っていたが福知山のC57も見ることができた。

1964(昭和39)年5月4日梅小路区に憩うC5785でボイラー後ろの重油併燃装置は福知山区や天王寺管理局管内の奈良、亀山や和歌山のC57にも見られた。▼

C5785も九州吉松に転属し吉都線で再会した。1972年5月1日吉都線鶴丸付近で貨物を牽引する同機。春闘の時期で機関車は落書きだらけでこれが九州の機関車なのかと驚いたものだ。重油併燃装置は取り外されてドームはC55に近い形になっていて除煙板も点検用に切り取られていた。前照灯はシールドビームで2灯化され醜くいものだった。1972年5月1日都城支区のC5785[吉松]。▼

最後に1964(昭和39)年5月4日梅小路機関区で撮ったC57128の車両写真。ロッドの位置も決まっており思い出の写真の一つである。▼

福知山のC57たち」への26件のフィードバック

  1. 準特急さん
    C57への並々ならぬ思い入れに感心して読んでいます。
    私もC5710に関して思い出があります。
    たしかキャブの窓下に丸にかもめの金属板が貼ってあったように思いますが、残念ながら写真が見当たりません。キャブだったか、デフだったか、ハッキリしません。どなたか写真をお持ちなら見せてください。
    C5711は私の名刺に印刷して配っています。

  2. 米手作市様
    貴重なお写真有難うございます。毎度のお願いですがこれだけの貴重な記録は少なくとも何年頃どこで撮ったかできればどこ行きなのかがわかればいいのですが、この話はもうやめときます。今回感じましたのは新津のC57はちょっと遠方で馴染みが薄いとのご意見もありましたので福知山にしましたがどうも近場でも国鉄蒸機の話は老人向けの話題で興味がないことがわかりましたのでこれでやめときます。

    • 失礼します。蒸気の現役当時の話は、皆様がご健在なうちはいくら出されても、私は後世に伝わる資料になると考えます。これは私的に世話になった中島忠雄さんの撮影ですが1960年の山陰線、福知山〜豊岡間のC57 12です。
      給水温め器に金のバンドのあるのが、「かもめ」運転開始時に門司区で特別整備されたエリートたちだと思っております。
      新津の57の話もぜひ、機会を設けてお願いいたします。

      • K.H.生様
        中島忠雄様のお名前は私が蒸気機関車を中心に撮っていた頃から存じあげていました。やはり日頃からのお付き合いやネットワークが大事ですね。口下手で下戸の私は当然の結果として趣味の世界に知人も少なく投稿は総本家さんのお助け等を除けば基本的に自分の作品ばかりで面白みはありません。中島様のC5712は光る給水温め器が綺麗ですが私の撮ったC5712は米子区でうらぶれた姿をしていました。有難うございました。

  3. 準特急様
    私も1枚C57 11を投稿させていただきます。1965年5月5日の丹波竹田駅の上り列車の大阪行きです。

    • 快速つくばねさんのコメントがないと私の投稿は成り立ちません。有難うございます。重油タンク以外は綺麗な11号機ですね。

  4. 鉄道を撮り始めた年齢、住んでいた場所、その他もろもろの条件があって難しいところですね。現役の蒸機が姿を消して半世紀が過ぎ、当時を知る人は還暦を越えてしまいました。私もギリギリ60代ですが、福知山線は知りません。
    昭和46年の配置表では、41・87・128の3両に減っていました。私が写真を撮り始めたころです。梅小路のC57が消えた後、山陰方面への臨時列車が何度か運転され、京都へ顔を出したのが前述の3両でした。
    添付の画像は昭和46年8月25日、二条駅で写したC57 41の引く「ひまわり号」です。

    • 紫の1863様
      福地山晩年のメンバー並びに最後の頃の41号機の活躍の話有難うございます。

  5. C57 87は宗谷本線で再会しました。最後を旭川で迎え、はるか南の沖縄に保存されましたが、2005年ころに解体されたようです。
    添付の画像は1974(昭和49)年8月1日、宗谷本線幌延駅で小休止する321列車の牽引機C57 87です。

    • 紫の1863様
      C5785も旭川に行き宗谷本線を走っていたのですか。重油併燃のタンクも取り外されていますがライトは予備灯がついていますね。テンダーの落書きはいただけないです。遠いところでの懐かしい写真有難うございます。さらに南国沖縄に行って解体されたとのことですが、何しに行ったのか少し寂しいですね。

  6. 福知山機関区は、「ちょっとすみません」と心でつぶやいて、ホームから立ち入ることができました。
    福知山所属のC57は.、41.、87、128の3両しか知りません。また福知山線での走行中の写真はありません。11は福知山の前の豊岡所属時代に播但線で見ていますが、煙突に大きな集煙装置があり姿がよくありませんでした。
    最近は蒸機の記事が少なくなりました。国鉄時代の雰囲気が味わえる写真。特に駅風景が好きで楽しんでおります。

    • 高田幸男様
      C57ファンだった高田さんにしては福知山線より播但線の方がC57が後までに残っていたのか記録が多いみたいですね。最近、後輩が高市さんとお近づきになったようですね。

  7. 準特急様 なつかしい福知山区のC57の紹介ありがとうございます。門デフの11をはじめ41,58,85は梅小路で何度か撮っています。昭和44年12月9日に亀岡合宿があって 早朝に128が牽く下り列車を撮っていました。亀岡駅を出てすぐ、曽我谷川鉄橋に向かう築堤です。今では住宅が立ち並び、駅のすぐそばまで田んぼが広がっていたのがウソのようです。これでやめるとおっしゃらず、どんどんご紹介下さい。楽しみにしています。

  8. 西村雅幸様
    もともと京都人の西村さんですから梅小路や山陰本線は庭のようでしたね。今は話題の広島特派員ですが忘れず山陰線のお話有難うございます。私の方も昔の気分で投稿していますが最近急に衰えを感じることがありました。デジ青では古い
    話は場違いを感じますが健康には良いようです。これからも宜しくお願いします。

  9. 通りすがりの部外者です。
    準特急様 福知山のC57懐かしいです。私は昭和40年中頃まで宮原(操)のすぐ南に住んでいましたので、福知山線の蒸機列車はよく見てました。大阪―篠山口の区間列車は吹田一区のC11が牽引してましたが、福知山からの列車は福知山のC57が牽引してました。36号機は見てましたが撮影はしてませんでした。また昭和41年に宮原にC5858が来ているのを一度見た事があります。C57の代走だったのでしょうか? 画像は1968.08.18に宮原で撮影したC5710です。

    • 田中敏一様
      宮原と言えばかつては153系電車や急行用客車の所属大ミハが頭に残っています。福知山線はオハ61系の福フチが多かったように思います。C11の篠山口行きはたまに大ミハのスハ43系が入っていました。九州から来たC5710は撮ったことがなく宮原にも行ったことがありませんでしたので大変貴重な写真を有難うございます。

  10. 準特急様
     懐かしい写真の数々を有り難うございます。
     せっかくのC57に重油併燃装置や集煙装置は男前が下がりますね!
    あっ!違った。C57は貴婦人だから美人の間違いか!?
     それと、ある意味懐かしさも感じますが、車体への政治闘争落書きは本当にいけませんね!車両が走ることで国鉄は成り立っているのに・・嗚呼

    • マルーン様
      マルーンさんお住まいの宝塚市野上のあたりは福知山線の蒸機の白い煙が見えていました。その頃はC57に混じってC54やC55も走っていました。中学生の夏大阪に行く時わざわざ福知山線で行きましたがその時はC5410でした。今日朝10時からBSフジでマルーンさんの運転されたP-6をやっていました。

      • 準特急様
         仰る通り、我が家の近くの見晴らしが良い所へ行けば、タワマン等が沢山たった今では無理でしょうが、昭和40年代までなら、白い蒸気や煙が見えたことだと想像します。
         明日にでも写真を撮って、現在の情景をLINEのクローバー会に載せさせて頂きます。
         遅くなってすみません。

  11. 準特急さん
    どうも貴兄は悲観主義でいかん!
    蒸機は反応が少ないとすねてないでもっと出稿して欲しい。
    そうすれば隠れた蒸機ファンがこれほど反応してくれるから。
    それとワシの写真にデータがないとケチを付けるが、そもそも昭和34、5年頃の中学生に無理を言うな!もっとも今も変わらんが。
    と言うことで、準特急さんの機嫌直しにもう一枚、撮影日は秘密ということで。

  12. 1974年7月28日、福知山機関区です。
    北丹鉄道と加悦鉄道に行った時に立ち寄りました。

    • 藤本哲男様
      これはこれは門鉄デフと後藤工場デフの並び、今風に言うとツーショットですか。両機共に豊岡、津にそれぞれ保存されていますね。有難うございました。

  13. 準特急さんの投稿から、85号機が福知山区に居たことを知りました。この機関車は東京のSLファンにはよく知られていました。それは通常の営業運転では東京地区に最後まで残っていた上野~成田の客車列車牽引機として、よく見かけたからです。福知山から佐倉へと転属していたのですね。東京から蒸機が無くなってから、九州へ行き最後のお勤めをしたことも、初めて知りました。デジ青は勉強になると改めて感じます。 添付の写真は、昭和43(1968)年12月29日に、日暮里で撮影の825レ成田行きです。冬で日の出が遅く早朝の列車のため、暗い内に家を出て撮影にいったことを思い出しました。

    • 宮崎繁幹様
      驚きました。始めて知りました。
      暗い内から出かけられたとのことですが、日暮里駅の雰囲気が出ていますし、正面勝ちの写真がよく写っており何よりも1966年9月に福知山から佐倉に行って改造された様子がよくわかります。重油タンクの撤去とかシールドビームの2灯化がそれで同機を九州で見た時に九州のカマでないことがこれでよくわかりました。1969年8月に九州入りし1973年1月に吉松で最後を迎えた様ですね。貴重な情報を有難うございました。

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