9月3日(火)
新山口 9:24 ― 1839M 宇部行き → 宇部 10:27
宇部 10:30 ― 3313M 下関行き → 下関 11:16
下関 11:31 ― 5159M 小倉行き → 小倉 11:46
小倉 11:54 ― 2537M 中津行き → 中津 13:01
中津 13:16 ― 4647M 幸崎行き → 大分 14:52
大分 16:10 ― 4651M 佐伯行き → 佐伯 17:47

新山口駅1番のりば(SLやまぐち号が発着)の装飾。
新山口駅の構内は、<SLやまぐち>号や湯田温泉が地元の中原中也に関する装飾に溢れていました。橋上駅舎には植物も植えられ、落ち着いた様子です。この日はついに九州に上陸します。

ホームより、下関総合車両所新山口支所を臨む。奥には、やまぐち号の客車、35系の姿も。

山口線のもう一つの主役、特急<スーパーおき>。米子までの所要時間は4時間20分。
昨日に引き続き、山陽本線を進んでも良かったのですが、せっかくなので宇部線を経由することにしました。ホームで待っているとやって来たのは、昨日見た「新広島色」(通称ゆうパック)の電車でした。「乗れたらいいな」と思っていましたが、まさか本当に乗車できるとは。9時24分に新山口を発車し、山陽本線と分かれます。駅間距離も短く、住宅街の中を2両編成の電車がのんびり走る様子は、まるで私鉄のローカル線です。宇部まで1時間のショートトリップを楽しみました。

宇部線の主要駅、宇部新川。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』にも登場。

宇部まで乗車した列車は新広島色。

山陽本線の車窓には石州瓦の屋根の家が並ぶ。
宇部からは3分の接続で下関行きに乗り換えです。4両編成の車内は空いていました。宇部線と異なり、こちらはスピードを出している印象です。昨日は日が暮れており見えませんでしたが、車窓には田畑の他に赤い石州瓦の屋根の家と黄色いガードレールという、山口県らしい景色が広がります。やがて周囲に建物が増え始め、11時16分に終点の下関に着きました。

ついに下関までやって来た。
ここからはついにJR九州の区間に入ります。小倉行きの列車に乗って関門トンネルをくぐり、わずか15分で小倉に到着。小倉からは日豊本線に乗り換えます。列車は、混雑対策でドア周辺の座席を撤去したことで話題になった813系でした。
小倉を発車し、次の西小倉で鹿児島本線と分かれて左にカーブし、南へと進路を変えます。下曽根や苅田、行橋と北九州の主要駅に一つ一つ停車していきます。車窓は住宅地の他に工場群が広がり、時折田園風景の中も進みます。車窓に照りつける日差しが車内からでも暑そうに見え、さすが九州という感じです。やがて車窓左手に周防灘が広がります。山国川に掛かる鉄橋を渡って大分県に入ると、すぐに中津です。中津は2面4線の高架駅で、地元出身の福沢諭吉や名産品の鱧がPRされていました。(続く)

隣の苅田とともに、所在地は京都(みやこ)郡苅田町。

周防灘が臨める区間もわずかながらあった。

「中津、中津、この電車はこの駅までです。」
乗客「新大阪行かれへんやん!」(※ 茶番です)










岡山好きの元京都人様
九州上陸おめでとうございます!気がはやいですが、元京都人さんには引き続き頑張って投稿していただきたいので、次のシリーズも考えておいてくださいね(もう考えておられるとは思いますが)。
JR九州といえば「浪漫鉄道」。カラオケにも収録されています。
奈良の駅名研究家様
ありがとうございます。
そうですね。ゴールも近づいてきましたので。
『浪漫鉄道』良いですね。最初聞くと、良い意味で社歌とは思えない曲だと思います。
岡山好きの元京都人様
九州の鉄道唱歌です。
31. 門司よりおこる九州の 鐵道線路をはるばると
ゆけば大里の里すぎて こゝぞ小倉と人はよぶ
32. これより汽車を乘かへて 東の濱に沿ひゆかば
城野行橋宇島を すぎて中津に至るべし
34. 白雲かゝる彦山を 右にながめて猶ゆけば
汽車は宇佐にて止まりたり 八幡の宮に詣でこん
鉄道唱歌の「山陽・九州篇」の初版発行日は1900年9月3日ですが、当時九州の鉄道は九州鉄道の八代線(現:鹿児島本線)が八代まで、長崎線(現:長崎本線)が肥前山口(現:江北)・佐世保線・早岐・大村線・諫早経由で長崎(現:浦上)まで、豊州線(現:日豊本線)が宇佐(現:柳ケ浦)までしか開業していませんでした。
31節の門司は1942年4月1日に関門トンネル開通に伴い門司港駅に改称され、山陽本線との接続駅になった大里に門司の駅名を譲りました。
写真は下関に停車中の415系小倉行です、(2016年7月3日)
快速つくばね様
長崎まで線路がつながっていたことが、長崎がいかに重要であったかが窺えます。
関門トンネル開通前の、門司港まで船でアクセスしていたこともよく分かる一節ですね。
鋼製の415系(白電)、良いですね。3年前に、私が初めて九州に上陸した際に乗車した思い出の電車でもあります。今となっては、ステンレス製の415系も貴重になってしまいましたね。
大分交通耶馬渓線が中津から分岐していました。
1964年8月18日、中津駅で満員の乗客で発車待ちのキハ101(やまばと)です。
藤本哲男様
大分交通は、様々な路線を持っていたのですね。1両ごとに愛称があるのは、ローカル線らしいですね。
3枚目のキハ603は、紀州鉄道に行った車両ですね。
車庫で待機中のキハ105(せせらぎ)です。
気動車には、固有の名称が付けられていました。
キハ603(かじか)です。