タフとパワーが売りでしたが、さすが病魔には、勝てずで、定年後の勤務続行を急遽断り、自由人となる決意をいたしました中国特派員です。
リハビリと静養を続け、ようやく担当医からOKが出ましたので、1月中旬、機上の人となり、大地を目指しました。今回の訪中は、12月末まで務めていた会社からの、最後の社命です。
関空から北京へのJAL便は、定員232人に対して、わずか38名の乗客です。最近は、殆どこんな搭乗率で、不況による影響は、搭乗客減に直結していると、アテンダントのお姉様方は、嘆いておられました。しかし、機内サービスは十分で、呑み助には最高でした。
鉄道と違って、乗客数に応じて、編成車両数を調整出来ない飛行機は、大変です。この分では、また便数が減ると思っていたら、先日JAL,ANA共、休航や減便発表がありました。両社共、劇的に搭乗客が増加しない中国線に、競うように増便を重ねた結果です。これでもまだ多いと思いますので、第2段が続くでしょう。
1月26日の春節(旧正月)前とあって、北京空港も閑散としていました。空港で、1仕事をした後、いつものように、空港快速リニア軌道に乗車して、東直門で、北京地鉄環状2号線に乗換、宣武門で下車後は、タクシーで北京南駅に向かいます。所要時間は、空港着陸後から、約1:30~2:00です。
コンコース内は、目的地の天津への乗客でいっぱいです。開通6ヶ月で、利用客は、高速バスや相乗りタクシーから移行して、定着した感があります。
往路の切符は、並ぶ事もなく、難なく自動販売機で購入できましたが、春節前は混むからと、前もって買っておくように言われた、4日後の復路の1等車切符が、買えません。
2等車は、10日後まで購入可能ですが、1等車は、3日前までからの発売となっています。いつから、なぜ変更されたのか分かりませんのが、中国鉄路の不思議です。
発売駅でしか、切符の変更はしてくれない事は、以前に経験済みなのですが、春節前の事態です。購入できないリスクを避けるために、あえて2等車切符を購入しておきました。空席さえあれば、乗車後に追加料金を支払えば、変更可能な時もあります。
乗車時間となりホームに下りてみますと、CRH2-300『はやて』が待っていましたが、なぜか車体番号と下部の青い帯が削り取られています。列車乗務員に質問しましたが、”不知道=知らない”の1言です。愚問でした。しかし、1編成全車に意図的に削り取られているのは、気になりました。
いつもと同様に、発車案内もベルもなく、静かに定刻発車して天津に向かいます。直ぐに300km/hを突破し、最速は334km/hでした。
完成後、前代未聞のわずか1ヶ月の試験運転のみで、営業開始した京津城際鉄路です。それまでの最速200km/hから、世界最速の350km/hの営業運転は、経験もなく、安全無視の滅茶苦茶な運行でした。今まで、事故もなく安全運行されているのは、まさに奇跡的と、言わざるをえません。
4日後、天津での仕事を済まして、帰国しようとしておりましたら、JALシステムダウンの連絡です。当日の帰国は、難しい事態が、予想されます。自由人となった今は、時間に制限はありません。トラブル発生時の臨機応変は、得意中の得意です。早速に上海経由からの帰国を検討しました。
昨年12月に登場以来、乗車したいと、熱望していた北京→上海への新幹線車両、初の寝台の切符は、春節で、購入不可能と諦めていましたが、21:39発のD309の1等寝台上段切符が、確保できました。予定変更は、これで決定です。期待を胸に、天津駅へと向かいました。
今日の天津駅ホームは、珍しくシーメンス社のCRH3が並んで出発待ちをしていました。これまで、京津城際鉄路に使用されている車両は、CRH2-300が殆どを占めていました。CRH3に乗車するは、極めて難しい状態でした。CRH3の量産製造が遅れたのが、要因ですが、走行中にすれ違う列車は、むしろCRH3が多くなってきています。
今回は、CRH3の初めての2等乗車となります。席は、3人並びの窓側でしたが、座席幅は、CRH2『はやて』と比べると、明らかに狭すぎ、ピッチも十分とは言えません。また、CRH3は、丸みを帯びた車体です。窓側は、圧迫感があります。
500系と700系との違いと言えばお分かりでしょうが、CRH2と同じ車体幅に広げたので、それ以上に、余裕がありません。インテリアは、CRH3の方が好きですが、座席の快適さは、やはりCRH2が上回ります。
CRH3の最高速度は、331km/hでした。30分の所要時間ですので、無理に350km/h走行の必要性がないのでしょう。
夜の乗車までは、十分に時間があります。昨年8月から走りだした万里の長城へと向かう”和諧長城号”を見に北京北駅へと向かいました。 Part2 へ続く