ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part12  瀋陽から天津へ、そして帰国

第11日目(訪中43日目)   4月1日

中街(地鉄)→瀋陽駅8:30(D164次)→14:14天津西 699キロ 5時間34分

 

長かった旅も最終へと入りました。お連れいただいたO氏にお礼を申し上げて、7時前にはホテルを出ました。着いた瀋陽駅も大連~哈尔滨間の新幹線建設工事で、瀋陽北駅と同様の大改造中です。駅横のマクドで朝食後、乗り込みました。

▲ 乗車した車両は、何とオール6人掛けのコンパーメント車でした。しかも、シートピッチが狭くて、後ろにリクライニングもできずで窮屈です。これなら、1+2列にしてくれたら、どんなに快適だったでしょうか。
この日は通路側席でしたので、いくらかはマシでしたが、途中から真ん中席には赤ん坊を連れた2組が乗車してきましたので、ウトウトもならずです。幸いにして電気は使えましたので、乗車中はひたすらHP用の画像処理に専念しました。


▲ 殆どの乗客は1つ手前の天津駅で下車しましたが、私は北京~上海間新幹線が開業して大変身を遂げた天津西駅にはまだ行っていません。
まあ、昔の駅を知っている者にとっては、びっくりです。 11本もの相対式と2面の片式ホームの数は以前とは比べようがないくらいに多く、コンコースは広大です。ホームから地下鉄まで15分もかかりました。

この日の夕食は、馴染みの日本料理屋へ行き、久しぶりのカレーライスを頼みました。

第12日目(訪中44日目)   4月2日

① ホテル 11:30(Taxi)→天津空港14:00(JL840)→17:45 名古屋空港
② 中部国際空港 18:36(ミュースカイ)→19:05名鉄名古屋
③ 名古屋 19:25(のぞみ247号)→20:02 京都 20:08→20:19 長岡京

 

今日は、生涯で最も長い旅の最終日です。2月19日に旅立ち、44日間何とか無事に過ごせました。一人旅を続けたわけではなく、途中からはO氏、そしてドイツ人一行と合流しての変化にとんだ旅でしたので、一人旅の楽しさ、グループでの旅の楽しさの両方を味合えました。撮った写真の枚数も生涯最高です。

どの1日が最高だったか、どの1枚が最高だったと問われても、毎日が思い出に残り、1コマ1コマのシャッターを押す度に生きている幸せを感じていました。学生時代に戻ったような感覚を持つ事が多い旅でした。また、こんな旅をしたいと思っております。

これができるのも元気な身体があってこそです。私は、丈夫な身体ではなく、いつポックリ逝ってもおかしくない持病を持っていますが、じっとしておられない性質ですので、ついつい出かけてしまいます。

▲ ホテルでゆっくりして、正午前に天津空港に向かいました。出張ペースでの駐在でしたが、その頃と比べようがないほどの渋滞です。ちょっとヒヤリとしましたが、中心部を抜けるとスムーズに進み空港に到着しました。
搭乗前のラウンジサービスがありますが、北京等と比べるとしょぼいものです。
機内食も近距離で、初めて天津から日本への国際線が飛んだ時は、おにぎり1個と信じられない機内食に搭乗客のみならずCAさんも唖然としましたが、今日はマシです。昔のように国際線はステーキがどかんと出ることはありませんが、これなら我慢内です。もっとも私としては、アルコールがあれば問題ありませんが・・・。

久しぶりのセントレアに着陸、名鉄、新幹線の流れで無事帰宅しました。自宅では、まだ1歳の孫が誰が来たのかと、不思議そうな顔で迎えてくれました。
2012年冬から春への中国鉄路一人旅 ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅総集編へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part12  瀋陽から天津へ、そして帰国」への1件のフィードバック

  1. 驚きの連続の中国紀行、毎日楽しみにしておりました。
    製鉄所内の撮影など日本ではとても考えられないのですが、これが中国なんでしょうか。また旅に出ておられるとのこと、続編を楽しみにしていますが、くれぐれもお体には気をつけてください。
    帰国報告会ありましたら、私も末席でぜひ拝聴させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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