ドイツ103型電気機関車

デジタル元祖青信号も永く続いており、そのアクセス件数も凄い数に達していると聞いている。デジ青をいつも見ている私の友人で熱烈な京阪ファンからたまにはヨーロッパ物を出してはどうかと言われた。この友人はヨーロッパに関しては右に出る者がいないと言われるほど実力者でファン誌でも度々登場しており、私が今更と思うが約束であるので今回、ドイツ103型電機を取り上げさせていただいた。

当時の西ドイツではTEEの200km/h運転に対応する機関車として103型交流電機を1965年に試作機4両、その後、1970年から74年にかけて量産機145両を製造した。有名な「ラインゴールド」を始め各種優等列車の先頭に立ち、その優美なスタイル、性能から抜群の人気を博した。

1991.8.31 オーストリアウィーン西駅でのEC(EuroCity欧州国際特急列車) 22列車「ヨハンシュトラウス」ウィーン発ケルン行き ▼

s-91.8.31ウィーン西2

91.8.31ウィーン西1

s-91.8.31ウィーン西PC

2000.5.8 ケルンを出発するEC148列車「FEANS HALS」ケルン発アムステルダム行き FRANS HALSはオランダの画家 全面赤で白によだれ掛けはいただけない ▼

s-00.5.8ケルン01

 

200.5.9 マインツ~コブレンツ間のライン川沿いを行くTEEカラーの103 IR(Inter Regio 地域間急行)2213列車ドルトムント発カールスルーエ行き この場所は友人著作の本から同じ場所を求めて現地で宿泊して撮影 ▼s-00.5.9アスマンズハウゼン01IC-1

5 thoughts on “ドイツ103型電気機関車

  1. フランクフルト・マインでは入線時のE103をでっかいなあと、眺めているだけであった。1996年5月GWのテッチャン旅行では、ケルンに入構する牽引機がE103であるのを知り前頭部の客車に乗りたいと思った。残念ながらECでありスイス・ベルン、フランス・パリ東行きであった。我々はカールスルーエで分割されるパリ行き客車に乗らねば為らずと、なったが野次馬精神旺盛の老人はそうはならない。最後部車のコンパートメントを占有、友人と最前車・食堂車へビール飲みに行った。10時まで飲み物OKで、グラスを傾けていたら前方扉が開いている。刻むジョイント音よりE103の唸りが気になる。相棒は「寝る」と言って消えたが、老人は連結面に行った。ギヤ音が違う。日本では聞きなれない低い音である。30分ばかり聞き入った。左はラインの流れ、時折動くライトと行き交う。準特急氏は昼間の汽車追い、こちらは夜行列車で日本で実用化できなかった駆動装置の音を愛でてて居た。車掌が「危ないよ」と言ってくれたが、日本にはこの駆動装置は無いから音を聞いていると言ったら、にやりと笑って戻っていった。

  2. 準特急様
    ドイツの103型の紹介、興味深く拝見しました。私の初めての海外旅行は1973年のヨーロッパ旅行でした。仲間と3人でバックパッカースタイルの旅行でしたが、同行の2名は鉄道に興味が無く、観光地めぐりが中心でした。その中で、移動の列車の選択は私に任されていたので、有名列車を中心に選び、その中にラインゴールドもありました。当時の記録が無く、乗車区間も定かではありませんが、確かどこかで写真を取っていたはずです。乙訓の御老人も書かれておられるように、その大きさと、スマートな外観が印象的だったのを覚えています。

  3. 乙訓の老人様
    ギヤ音に聞き惚れる若き日の老人様の姿が目に浮かびます。私など機械的なことはさっぱりですが、この機関車はスタイルがいいなと思っておりました。TEEカラーも素晴らしいと思いましたが、晩年にはケルン駅のEC牽引機に見られる赤一色に白の五角形のよだれ掛けの姿は何となくJRのどこかの会社で最近進められている単色を思い出します。同じ機関車でも塗り方一つで印象が変わる好例です。老人様もよく御存知の私の友人からも直接感想が入っております。

    大津の86様
    1973年にヨーロッパとは正しく私と同じ年です。それにしても学生時代からヨーロッパに行ったのですか。私の時はアンカレッジ経由でSASのDC8。どこの空港を見てもB747、B707、DC8が国際線の主力でした。まだ成田空港が開港される前です。ラインゴールド見つけて投稿してください。

    • 準特急様
      アンカレッジ経由とは懐かしい響きです。在職当時長期のプラント建設工事終えて、帰国するときはたいていアンカレッジ経由でした。アンカレッジ空港にあったうどん屋は御存知でしょうか。決してうまくは無かったのですが、日本食に飢えていて、到着すると争って食べに行ったものでした。行くときは目的地の国の航空会社を使うので南回り、これも死語になりましたがヨーロッパまでは丸1日かかりましたね。ちなみに1973年初めてのヨーロッパ訪問も南回りで、帰りはローマ、テヘラン、ボンベイ、バンコック、香港を経由してやっと帰り着きました。今とは隔世の感があります。

  4. 飛行機の話も好きですので少しだけ脱線します。
    アンカレッジ空港では私の従妹が働いていました。大津の86さんと同じ1973年の11月訪欧でしたが、緯度の高いアンカレッジは太陽が低く、離陸してマッキレーを越えると直ぐ暗くなり、北極経由でコペンハーゲンに到着しました。この旅行ではBAのバイカウントやAFのカラベル等も撮影しました。帰りは86さんに似た南廻りルートでローマ→テヘラン→カラチ→カルカッタ→バンコック→マニラ→羽田で、当然のことですが、ヨーロッパと日本は紅葉の秋、アンカレッジは凍り付いた厳冬、テヘランからマニラまでは真夏でした。また、2回目の訪欧は最初にして最後の海外出張でこの時はモントリオールからフランクフルトまで大西洋越えを経験しました。この時はLOTポーランド航空のイリューシン62やコンコルドを撮っております。この他当時の格安のヨーロッパ行きは南廻りが主体でキャセイ、中華、タイなどの各航空会社を使って行ったものです。南廻りではない場合は大韓、アエロフロートが比較的安く、よく利用しました。

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