2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part3 復州湾塩田ナローを撮る その1 五島運輸路線

DSC_82850915【復州湾塩場ナロー鉄路・大連塩化集団
大連からは車で約2時間余り、北約90キロにある遼東半島西岸の復州湾一帯は、温帯大陸性季節風気候に属し、年平均気温は10℃、平均年間降雨量は687mm、年間日照時間は2600時間、年間無霜期間は190日です。冬は厳寒がなく、夏も酷暑がなく、古くから汚染なしの海にめぐまれて品質が高い塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。
日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業(大日本塩業㈱)の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
大日本塩業㈱は、天日製塩のために広大な塩田を造り、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道を敷設しました。最盛期には総延長約100キロにもなったそうです。機関車は当初からDLで今も改造を受けながら現役使用されています。小さな木造トロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。

0303▲ 車庫・機関区は金城五島にあります。かつてはこの間もつながって運行されていたそうですが、現在は休止路線となっています。運行路線距離はピーク時の半分の約50キロになっているそうです。
塩場は、金城第1~4塩場五島には第5~8塩場があり各運輸站では集積場が設置されて、国鉄田五線への積替え作業を行っています。

第2日目 10月11日 その2

13:06 大連北からのCRHで一路順風!さんが、瀋陽北からのCRHで通訳兼案内人が到着されました。チャータ車に乗車して五島運輸站を目指しました。
02_地図02DSC_8225180414:06 五島運輸站に到着。前回は閉鎖されていた機関庫前には小型DLが出ていました。扉向こうにも他のDLたちが顔を覗かしています。今回は運行しているのは間違いありません。一安心しました。

DSCN59853625▲ 何度も訪問されています一路順風!さんは、早速に機関士詰所でご挨拶です。知り合いになった機関士がたくさんおられます。

今日の運行状況の聞き取りはお任せして、私は機関区内の撮影です。
DSCN59883726 DSCN59913827 DSCN59953928▲ 箱型ボディの同じような外観のDLですが、よく見ると微妙に違っています。日本統治下時代はL型DLでした。当時の台枠を利用または模造して再生したそうです。手作り感が見られます。当初のエンジンは、既にへたばったでしょうから多分トラック用を流用しているのかも・・。

14:20 一路順風!さんが通訳を介してお話し中の機関士詰所に行くとは、今は何処に作業車が行っているのかを確認中でした。そして探そうにも余りに広く、よく分からないので一緒に付いて来て欲しいとチャータ車に乗せて案内を頼み込んでおられました。
DSCN60014029▲ 14:31 Google座標; 39.515133, 121.501040
機関士を乗せて、運行している第8塩場へと向かいます。途中からは見渡す限りの塩田地帯に入りました。未舗装の凸凹道を走ります。右手には並行して、ナロー鉄路が同じように海の中道を通っています。

DSCN60074130▲ 14:39 Google座標; 39.535866, 121.534082
第8塩場へと入ってきましたが、分岐しての路線がありました。この向こうには建物がありますが、この地で働く作業員家族が住まれているそうです。

DSCN60082031▲ 14:40 塩田内では天日した塩の採取が行われています。底部に蓄積した塩を吸い出してパイプで送っています。

DSC_82891016▲ パイプで運ばれた塩はここで吐き出されて塩の山となっていきます。

DSCN60132133▲ 14:46 尚も塩田に造られた堤防上の未舗装道を行きます。俯瞰は効かず、タブレットのGPSの位置情報を見ながら現在位置を確認します。

DSC_82281905▲ 14:49 Google座標; 39.555852, 121.557144
機関区で見たのは違っての車体色のDLが止まっていました。何か点検をしているようです。一路順風!さんから、このDLは採取した塩を収める化学工場の所属です。何か調査でもあって現場に来たのかも・・とのご説明でした。

DSCN60202234▲ 14:54 Google座標; 39.545329, 121.544064
ここで、一旦左へと直角に曲がり少し行くと、線路は2方向に分岐しました。我々が乗った車は右へと向かい、少し行くと左に直角に回って北西方向に向かいます。

DSC_82312006[googlemap lat=”39.55910169899428″ lng=”121.55056715011597″ align=”undefined” width=”560px” height=”350px” zoom=”13″ type=”G_HYBRID_MAP”]第8塩場 採取場[/googlemap]

▲ 14:56 ここでは採取された塩のトロッコへの積込が直接行われていました。

DSC_82340107▲ 丁度、積込が終わったようです。直ぐに発車して行きます。

DSC_82380208▲ 26両のトロッコを牽引するのは247型のトップナンバー1001号機です。

DSC_82390309▲ 採取したばかりの塩をこんもりと満載した木造トロッコです。隙間からは海水が滴り落ちていました。

DSC_82470410▲ 作業員の方々は、塩を採取する時にはT字形の器具を使われていました。昔、野球をやっている時に荒れたグランドを均すのに同じような器具を用いました。「トンボ」と呼んでいましたが、ここでは何というのでしょうか。

こういった生産現場に来るのは中国でも嫌われます。早々に立ち去り、ソルトトレインの追っかけ開始です。
DSC_82550511▲ 15:06 ゆっくりと堤防沿いを走っていきます。

DSC_82680713▲ 15:20 Google座標; 39.543046, 121.545522
先回りしましたら先ほど分岐した別方向から資材や作業員を乗せた混合編成がやってきました。

DSC_82760814▲ 15:21 続いてソルトトレインが続行します。心なしかトロッコに満載された塩のこんもりが沈んでいるのがみえました。水分が落ちてきたようです。

大急ぎで車に乗り込んで追っかけを続行しますが、未舗装の凸凹道です。速度は20~45km/hがやっとで、側を走るナローとはいい勝負です。向こうは15km/h制限と聞いていましたが、そんなに遅くはありません。
DSC_83031117▲ 15:38 Google座標; 39.508650, 121.500468
海の中道を渡り本土側の小高い丘に駆け上がってカメラを構えますが、向こうも中道を渡って迫ってきていました。霞んではいますが第8塩場を背景に入れてのカットです。秋の夕日は早く、キツネ色に染まり始めた斜光が辺りを照らしています。コンクリート橋を快走して行きました。

DSC_83171218▲ 橋は、1992年6月に竣功しています。戦前は第8塩場までは拡大されていなかったのかも・・。橋名は、復州灣塩場獅石大橋(复州湾盐场狮石大桥)と近くの狮石村にちなんで名付けられています。
15:39 続行してソルトトレインが渡ってきました。

DSC_83201419▲ 16:01 Google座標; 39.498844, 121.497669
五島運輸站の国鉄への積替え場に戻ってきました。ソルトトレインで運ばれた塩はここで降ろされて積替えられます。堆かい塩の山が出来ていました。

DSC_83271520▲ 16:41 Google座標; 39.430406, 121.650705
明日に備えて、帰路途中で金城運輸站から第2~4塩場の様子を見に行こうとなりました。近づくと、金城運輸站から発車して行くソルトトレインの空車回送が見えましたので国鉄田五線の土盛り高架築堤に上がっての俯瞰撮影です。踏切を渡るカットが撮れましたが、遮断機は上がったままです。
踏切番は遮断機の下にいます。壊れているのか、それとも面倒なのか、如何にも中国らしい、大らかな光景です。

DSC_83291621▲ 16:42 ソルトトレインは夕日が傾く中、運河に沿って第2~4塩場の方向へと向かっていきました。ここから並行する道路はありません。大きく迂回して走り去った方向を目指しました。

03_地図▲ 見事に碁盤の目のようになった塩田が広がっています。赤線が行動軌跡です。

DSC_83331722▲ 16:53 着いた第2塩場の積込場です。塩田から吸い出した塩をトロッコに積みいれていました。しかしここからの道路にはパイプが横断していて車では先には進めません。徒歩で先に進みましたが遠くに線路が続くのが見えただけでした。

DSC_83341823 DSC_83351924DSC_8341_1▲ 塩田から塩を吸い込んでいる光景です。24時間体制で作業を行っていると聞きましたが、過酷な労働です。暖かい地帯ですがこれから夜になると冷えてもきます。また作業は9月~12月、春節終了~4月と続くそうです。冬季は雪も舞いますので大変です。

17:08 大地の彼方に沈む夕日を見ながらの撮影終了となりました。

17:56 今日の宿は普蘭店站近くの漁港至尊大酒店です。夕闇迫った中での到着でした。
DSCN604226_135▲ 19:20 チェックイン後、普蘭店の街中へと向かいますが、案内人さんも不慣れな土地です。とある街角食堂を見つけて入りました。注文するは日本の中華料理屋ではでない蒸し魚です。各自好きに頼んで美味しく召し上がりました。

明日は朝からの撮影です。天候は晴れ予報で頑張っての撮影ができると思っていましたが、とんでもない事になりました。 Part4に続く

2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part3 復州湾塩田ナローを撮る その1 五島運輸路線」への2件のフィードバック

  1. 塩の道と言う言葉は日本では古来日常語となり「塩」以外の日本人が生存するにあたり必要物資が経由する道筋をも象徴するようになったと思う。海に恵まれない国(例えばオーストリアやブルガリアには塩鉱山があるようで、今も塩を堀り出している映像が時としてテレビで紹介されることがある。それがアジア大陸の砂漠地帯では塩湖となり、つい先頃まで中華の人々の塩となっていたことを知り驚いた。海に面した国は科学の力で20世紀半ば以降は海から塩を得ているのだ思っていた老人の頭は、近代文明史をやり直す必要があるようだ。
    1954年夏、生まれて初めて予讃線の汽車の窓から塩田を見た。翌年、宇多津駅から歩いて塩田に行ったことが思い出される。当時から野次馬の突貫小僧で、好奇心に満ち溢れていたが、10年ばかり前から意欲を失ったように思う今日この頃です。

  2. 乙訓の老人様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
    お歳とはいえ、まだまだですよ。欧米に行きますと80歳過ぎてもバックパッカーもどきにリックを背負って旅をされている方を見かける事があります。杖を突いたり、車椅子を上手に操りながら旅している方もおられます。老人や障碍者が移動する環境が出来ている事が大きな要因とは思いますが、日本国内でもバリヤフリー化が進められています。これから一花も、二花も咲かせてください。
    塩田は赤穂で幼き頃に見ましたが、復州湾の塩田はとにかく広大です。見渡す限り続いています。戦前はもとより戦後も日本に輸出されてはいたそうですが、今は中国国内の産業で使われる事が多くなっています。塩田ナローはここだけではなく他にもかつてはありましたが既に廃止されました。ご覧のようにトラック輸送するには道の整備は大変です。船で運ぼうにも運河も未整備です。しばらくはナロー鉄路が続くものと思われます。

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