臨時特急「成田山号」(3301-3302-3303-3304+3333-3334-3343-3344)/大佐倉
京成電鉄モハ3300形は、2月28日臨時特急「成田山号」で営業運転を終了した。
当日のダイヤは、回送列車で宗吾車区発車して、高砂9時58分、青砥10時頃通過して上野に10時13分に到着、上野10時23分臨時特急「成田山号」として発車して、成田に11時39分に到着予定の処、途中混雑のため実際には約10分遅れで到着した。
到着後運転士に花束贈呈等のセレモニーが行われた後、宗吾検車区に回送され、12時15分に入区した。
当日は、勤務が休みのため、自宅を9時に出発し、いつも撮影する「開かずの踏切」に行くと、上り方向に向かって右側に同業者が一人いた。左側で待っていると「鉄おばさん」が来て話をしていると、下りのシティライナー(AE168)が通過した。
おばさんが、3500形の更新車と未更新車の違いが判らないと言われたので、たまたま金町線運用に就いていた3500形の未更新車3592と更新車3524の違いを説明してあげたりしているうちに、中川鉄橋で撮影すると言って行ってしまい、ここでの同業者はゼロになった。
一方右側は6名位に増えていた。右側の方が確かにアウトカーブで綺麗に(と言っても大したことはない)撮れるが、下り列車と入庫車に被られると悲劇である。
9時57分に送り込み回送列車が通過したが、直前に入庫車があり、際どい処であった。
「成田山号」を大佐倉~酒々井間で撮影するべく快速佐倉行(969K)に乗車し、時刻表を確認すると、直ぐ後の特急に乗れば、宗吾参道で回送入庫が撮影可能なため、急遽大佐倉の駅撮りに変更した。
江戸川鉄橋を渡ると千葉県に入るが、線路と道路間の柵が低いため、市川真間~八幡間の沿道は撮影者で鈴なり状態であった。
今まで撮影者を見かけることは非常に少なかっただけに、最終日のみ出動する所謂「俄か葬式鉄」の多さには吃驚した。
これは会社側も想定外であったと思われる。
佐倉で後続の特急(9A17)に乗換え、次の大佐倉で下車した。
さすがにここまで来ると撮影者は少なかったが、それでも15名位はいたようである。
先着の同業者と話をしているうちに、3688編成の次の特急(10A01)が停車、続いて都営車の917T(西馬込~佐倉間の快速)の回送が通過した。
同業者の一人が駅員に「成田山号」の到着時刻を聞きに行くと8分遅れとのことであった。もし定時に到着すると上り列車と被るところであった。
程なく満員の「成田山号」が到着し、無事撮影を済ませた後、10分遅れで来た次の特急(10A03)で宗吾参道に向かうと、既に60名位の人出であった。
それでも成田寄りのトンネルを出てくる所を撮影できる場所を何とか確保して入庫する3300形の最後を見送った。
当日のニュースで成田駅のセレモニーは、罵声が飛び交う凄い混雑であったこと、車内で一部マナーの悪い輩のことが報じられていたが、確かに年齢層の比較的低い「俄か葬式鉄」の多さが目立った。
私個人的には、今まで日常的に利用していた電車が引退するので、最後の記録を残したいと思いから出動したが、特にイベント等は無く、ひっそり引退するものと思っていた処、2月12日京成電鉄のHPで突然「お別れイベント」が発表された。
引き続き今月末か来月に北総鉄道にリースしている7260形が引退すると思われるが、今回の騒動に懲りて引退イベント等は再考されるかも知れないと思った。
モハ3300形営業運転終了までの動き
5月22日 26年度鉄道事業設備投資計画で3000形8両編成2本の新製を発表
1月28日 3030編成が日本車輌より総合車両製作所に搬入
2月3日 3030編成が総合車両製作所より宗吾検車区に自力回送
2月9日 3030編成がA07運用6A06列車より営業運転開始
2月10日 3500形更新車3532-3531+3536-3535-3534-3533+3530-3529の8両編成が編成をバラされ、3536編成と3532編成に分割
2月12日 HPで「さよならイベント」発表
2月28日 臨時特急「成田山号」でさよなら運転
3月1日 HPでモハ3300形の営業運転終了を発表
各線の最終運転日
本線
2月24日 57運用3304 (57運用から千葉線B53運用に入る)
(3344編成 2月23日 55運用)
金町線
2月13日 71運用3304
(3344 2月9日 71運用)
千葉線
2月25日 B53(1)運用3304
(3344 2月24日 B53(1)運用)
★千葉線は「わが心の飯田線」掲示板(http://6711.teacup.com/53007/bbs)より72901さんの調査データを引用させていただいた。
北総鉄道7260形の動向
京成電鉄の26年度新製車のうち3029編成の完成は3月末日頃と報じられており、それまでは安泰と思われる。
別れることは悲しい出来事だ。まして長年に亘り身近な存在であればあるほど悲しい別れとなる。先日も小学校6年間同クラスであった幼馴染の葬式に参列した。思い出すことが多い。高校、大学と同窓となったが、彼は一浪で法学部で授業を一緒になることはなかったが、通学は鴨川べりを徒歩のコースであったのでよく話し合っての下校であった。「最後のお別れ・・・」と言われても立てなかった。同級生の督促でも動けなかった。これと似たようなことを好きな電車でも老人は体験している。市電壬生車庫廃止(四条線廃止)の時は壬生車庫への最終電車入庫の時、万歳が始まった。「万歳は嬉しいときにするもんだ!」と怒鳴ってタクシーを止めて乗り込み帰宅した。京阪京都地上線最終列車には高橋弘さんと乗り、「万歳は辞めといてや」と大西さんや友の会の知人に言っておいたが、「万歳!」があり2人で嘆いたものだ。市電最後の日はアホらしくなって自宅のテレビで拝見した。別れる時は静かに送りたい。その儀式には人それぞれの思いをもって参加しているのだから、俄か芸者になってほしくない!
藤本先輩
デカンショまつり号です。
当日、京成佐倉でさよなら記念乗車券を購入後、京成臼井~京成佐倉間の踏切で、8時半過ぎから待機し、回送と本番を撮影しました。
幸い天気にも恵まれ、なんとか最後の姿を撮影することができました。
ところで、本当の最後の3300形である北総鉄道7260形のさよなら運転について、本日、北総鉄道からリリースされました。3月22日日曜日印西牧の原~矢切間で運転され、印旛車両基地で撮影会も開催されるようです。200名限定で、おひとり様2000円です。
往復はがきでの応募だそうです。
阪急京都線に残る2300系が近く引退する。2月20日にさよならヘッドマークが掲出される言われ、21日に所要あり豊中に行く途中の十三で3人の鉄カメラマンを見つけた。どうやら空振りに終わったようだ。帰路は梅田経由としたが、一番線ホームに10人くらいの鉄がいた。京都行き特急の前に3番線に到着した2303号編成がさよならマーク掲出編成で、待機していた鉄がぞろぞろと移動した。前後を囲んだ人数は先に見つけた人数より多い。
3月2日17時09発桂→西向日間で2342号で走行音を楽しんだ。3月3日朝8時18分発で西向日→西京極間では2302号で乗り心地を楽しんだ。噂では20日まで本務で走り、22日はお別れ運転で、乗車希望者を2300円で募っていたが、しめきり日がどうだったか頭にない。またしても沿線は鉄で満ち溢れるだろう。小畑川土手は2月2、3日に群生していた樹木を伐採してくれたので、老人の居室(2階)小畑川橋梁まで遮るものなしで最高の見晴らし場となる。鉄橋まで直線で約150メートル。さよならの当日は線路際ではなく物干し台から帽子を振ることにしようと思う。