2 thoughts on “営団地下鉄03系

  1. 京阪が5扉車開発についてはいろんな話が残っているが、それらについては過去に紹介したことがあるからコメントしなかったが、運用されるようになった時に最初に見学に来たのが京王電鉄であったと聞いている。参考にしたとかの6000系の車体の一部が残されていたが、準特急氏から説明を離れた位置から受けただけで、子供さんが周囲にいたので近寄るのを遠慮した。何でも改造したとか説明を受けたが、乗車位置のこともありお行儀のよい東京では非難ごうごうとなったのではないか?。営団3号線(日比谷線)は今も盛業中だが、東急方からの入れ込みと東武方からの入れ込みに差があり、北千住折り返しを東急車に限定しておれば何とか捌けている、ということではなかろうか。老人はラッシュ時に日比谷線に乗った事なしで、現状はよく知らない。

  2. 地下鉄3000、東急7000、東武2000の時代北千住から上野への日比谷線に毎日乗っていました。東武線浅草行は人気がなく、その乗り換え客もあり日比谷線上野方面は尻押しのお兄さんが各扉で大活躍しやっと発車できる当時日本一の混雑といわれていてひどい状況でした。その後各社冷房付きの新型車になり、多扉車も入り、浅草方面も地下鉄乗り入れで改善され今後20m車にと 隔世の感が有ります。

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