ニーナにも会っていました(原色狂艶の付録コネタ)

コメントが物凄いことになっているEF66の原色狂艶?について、発信元の 鉄鈍爺さま、1900生さまのコメントに感動して、お二人にはコネタメールを送受信しておりました。が、ことここに至っては「そんなに原色が珍しいんかい?」との主旨のコメントもあり、いろんな薀蓄が飛び回っております。

確かに、そうで、 鉄鈍爺さまからは、「こんなん、なんぼでもあったで」という同じ主旨ご返事をもらいました。せっかく、仕事で行ったときに、タマタマ遭遇して喜んでいるのに、フン!というような感じでありますが、確かにフン!と思います。こんなのは掃いて捨てるほどありましたし、DD51なんかは見向きもせず、また、来やがった程度の扱いをうけていました。

その類のコネタです。

1つ目。ニーナ。

少し古い話です。2014年7月1日8時1分ころ、平塚東側の相模川橋梁でニーナを捕らえています。このときは、小田原に仕事で小田原で泊まれば良いのですが、朝のライナーを撮ろうと思って平塚に泊まり、早朝からここにおりました。ニーナなんてその時はどうでも良く、さっさと撮って仕事に行かないと9時の打合せに間に合いません。

そこで暑い中、アルマジロみたいな踊り子のアルバイト運用を横から
撮っておりますと、すれ違いにいきなり飛び出してきたものです。
あのニーナです(縮小して見えない?撮影者が言うからええでないの!)
気を良くして仕事に行きました。仕事ぎりぎりの時間やけど、このときはまだ、早く歩けました。朝だったけど暑くて川から駅まで結構遠かったなあ。写真は飛び出す瞬間で大慌てした時のもの。続きは撮らなあかんと多くを考えずシャッタを切ったただ1枚のニーナです。EF66が飛出して来た

2つめ(これでおしまい)。11日に新潟で仕事があり、午後の仕事であるので朝方、押切で下りて田んぼを徘徊していました。押切は別に女優の名前に惹かれて綺麗そうだから下りたのではなくて、時間の都合と田園が広がっているからだけですけど。

そのとき、何か来るので撮ったのがコレ。EF641053を偶然にGet。最後の機番で、工臨の運用でありました。1900生さまは、今時貴重なんや、に対して鉄鈍爺さまは、冒頭のようなお言葉。仕事の前で気を良くしたのに。まあ、今時は原色に対しては積極的に、そうでなくてもいずれその時期が来るので、せっせと撮っておかねばなりませんね。鉄はより好みはいけません。EF641053

 

xxじが思わしくなく、チャリに乗るのは無理なので、本日583系を諦めた腹いせ?でニーナにぶつけました。

ニーナにも会っていました(原色狂艶の付録コネタ)」への7件のフィードバック

  1. kawanakaさま
    八つ当たりコネタコメントを拝見しました。まあまあそうヤケクソにならないで、気長に追いかけましょうや。確かに少数になってきたので、焦る気持ちはよ~くわかりますが。
    また、なにやら小生の原色好みを云々されているようなやりとりがありましたので、一言申し上げたいと思います。基本的には鉄鈍爺さんや、恐らく普通の方は「昔そんなん沢山有ったやん。今さら何が珍しいねん」ということだろうと思います。確かに現象面はその通りです。しかし登山家を称して「何故山に登る?」「そこに山があるからだ」との例えもあるように、もうこれは各人の価値観の問題、つまり精神面というか内面の問題で、従って他の人がとやかく言える範疇のものではないといえます。昔はゴロゴロとどこにでも走っていた車輛でも、仕事やいろんな都合でゲットし得なかったことを悔やんでいる方もおられるでしょう。それゆえとりわけ懐かしさを感じる方も小生同様あるはずです。
    写真やビデオ等の記録に残すやりかたは種々あります。対象車両を選ばず万遍なく撮る方と、小生のように特定の形式・塗色に限定して撮るという方法ですが、これは優劣の問題ではなく、好きな人が好きなようにやればいいのです。「何故原色?」と問われれば「原色車が走るから」としか答えようがありません。まあ原色はオリジナルカラーですから、それだけでいくばくかの価値があるように小生には思えますので。
    今後も例え石を投げられても、原色車が走る限り追いかけたいと思っています。

  2. KAWANAKAです。
    荒れて居るわけではありませんが、こんなときに脚に加えてxxジはないよ。新潟に行ったとき、用を足した後、アレッと思ったのですがまあ放っておきました。しかし、流石にチャリには乗れず従って間に合わないのです。まあ、超ニコは時間が遅いし、あと数回秋田から来るし、新潟からも来るし(日が違うかも。今日は同じ日やったんや)。
    しかしね、思いつきで塗ったような色と違い、熟慮に熟慮を重ねたと思われる色は、年代を重ねても美しい。沢庵電車などはもう一度元に戻すべきと思う位ですよ。京阪も・・・。阪急はその意味えらい(ごめん)。
    先ほどの電機も、最初から塗装が退化し禿げかけているような薄情けない色より、キリッと引き締まっている原色はなんと凛々しいかと思います。

  3. お邪魔します。仲の良い同級生の話にちょっとだけ割り込ませていただきます。難解な専門用語の飛び交う投稿とコメントについていくのが難しいですが、まず、鉄鈍爺さんの回答コメントで「鉄道趣味には些細な違いを見つけて喜ぶという特性がございます」とありましたが、なるほどと私も思いました。103系なんか見向きもしなかった車両ですが、西日本での改造や色違いで気になり始めたのもそういうことかもしれないなと思います。
    1900生さんのご意見もその通りで「人の趣味は説明できない」、「蓼食う虫も好き好き」といことですね。1900生さんの分類では私はどちらかというと「万遍なく撮る」方でしょうね。多く撮ると何でも撮っているが底が浅いという欠点もあります。
    KAWANAKA様、そういえば大昔、鉄鈍爺さんと一緒に行きました吉松でも荒れてましたね。話は京成ですが、いろんな場所での写真報告有難うございます。江戸川は梅雨の頃菖蒲と電車を撮りに行きました。御宅の近くの京成佐倉~京成臼井間も3度ほど撮りに行ったことがあります。佐倉側の鉄橋がいいですね。しかし、ここを歩き通すのは大変でした。駅間距離5.3Kmです。最後にAE100形は男前には見えません。同感です。但し、佐倉から酒々井側の同車の俯瞰撮影はいい感じなので今度行ってみようと思います。

    • 準特急様
      先の小生のコメントはちょっと筆が滑り、ニュアンスがきつくなったきらいがありますが、要は準特急様の仰るようにそういうことです。「何が好きやろうが放っといてんか」ということが言いたかったのです。またダイヤや運用に興味のある小生の場合は、原色車を撮ることも目的ではありますが、いつでも撮れるわけではないため、本来は過程の作業である運用や情報を分析する行為そのものを楽しんでいる傾向があると自覚しています。まあ何であれ、目的のみならず過程などを含めて幅広く楽しめるのがこの趣味の醍醐味だと思うわけです。
      なお、万遍なく撮るということが決して底が浅いとは思っていませんよ。写真を撮るという行為の最終目的が「記録性」にあるとしたら、その意味においては貴重な行動だと思います。むしろそれが出来ないことが小生の大いに悔いる部分です。

      kawanakaさま
      いつの間にか原色という色好み趣味に引きずり込んでしまったようで、申し訳ないことです。国鉄型・原色車は今見てもスタイル・デザイン・塗色と、どれをとってみてもアカ抜けしていて、飽きのこない車輛だとの思いは日々募るばかりです。加えて我々の青春時代そのものでしたから、眺めておれば懐かしさを覚えて癒されるのも、放っておけない要因ですね。
      残念乍らEF65の原色は無くなったようですから、もう御地でも見られなくなりました。せめて残る66原色を撮りたいものと思っています。
      なお、66のほか稲沢のEF64にも4両ほど原色がいて(改正後どうなるかは不明です)、時々関東圏運用に入りますが、東北線黒磯や高崎線方面へ足を伸ばされるのであれば、運用がわかり次第ご連絡致しますので仰って下さい。

  4. 準特急先輩。
    まず、クローバー会は主張でいがみ合ってもそれは表層で、みんな通じ合っておると思います。一番良い会でしょう。
    佐倉から臼井の方に向かって歩くのは大変です。さらに風車の見える場所は遠いです。その場所は線路の南側に広場があります。古い地図を見ると駅予定とあったみたいです。駅ができると思って自宅を買った人はえらい目にあったと思います。
    それから、酒々井の俯瞰は酒々井と大佐倉の中間くらいで、結構あります。佐倉の城跡をいろいろと発掘みたいなことをしていて、ハンドレールがあったり仮設の階段がありますが、見晴らしがよく見えます。まったく何もありませんが、休日などは時々、歴史散策のマニアがポツリと来るみたいです。飲料水は必須です。シャッターチャンスはいくらでもありますが、特に対象となる車両が通る訳でもなし・・。
    もし行かれるなら新緑のころが田んぼが綺麗で良いと思います。夏は暑くて死にますよ。また、写真を投稿します。
    なお、酒々井からJR酒々井も割りと近いし、成田まで行ってJRと連絡し、物井でのロケとドッキングさせる手もあります。でも、もう原色はありません。

  5. 1900生、鉄鈍爺&KAWANAKA様
    授業にもろくに出ずBOXにたむろして口角泡を飛ばし合い、時には論戦に負けて人知れず悔し涙を流した方も居られたようですね。あれからほぼ半世紀経ちましたが、特に皆様の同期はデジ青上でも活発に活躍され現会長を始め少なくとも5名の方々が顔を出されております。それだけ長い付き合いが続いていることは大変素晴らしいことであり、DRFC-OBクローバー会のいいところだと思います。デジ青の効果は大きく、また、これだけ長年に渡って続いているホームページは他にはそう見られないものだと思っております。それだけに管理者のご苦労に感謝しております。

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